神奈川県 M.M(73歳)
■入信の動機
私は昭和28年に福井県で生まれ、高校まで福井で過ごしました。陸上競技をやっていましたので、卒業後は日本大学の体育の方に進みましたが、その頃、捻挫や肉離れ、骨折など、いろんな怪我をしました。
当時は、今のようなスポーツ医学というものもなく、一般の人でもプロでも、同じような「固め療法」をするわけです。それで、「医学というのは西洋医学だけがいいんじゃないんじゃないか。世の中にはいろんなものがあるんだから、もっとトータルな医療をやりたい」と思い、大学を2年で辞めて、東海大学に入りました。
その頃、友人から世界救世教の話を聞いていました。友人の弟が原因不明の腰痛で、どこの病院へ行っても治らなかったのが、浄霊をいただいて良くなったという話でした。私自身も入信前に浄霊をいただいたことがありましたが、最初は何も感じませんでした。
ところが、私自身が怪我を繰り返し、どうにもならなくなり、それで調べてみると、当時、神奈川県の平塚に布教所がありました。
ただ、私は宗教というものにすごく違和感があって、「騙されるんじゃないか」という思いがありました。一人で行くのは怖かったので、陸上部の後輩を連れて行きました。
布教所に入ると、ちょうど入信式が終わったところで、皆さんが天津祝詞をあげていました。それを見て、「こりゃ大変なところだ。帰ろう」と思ったんです。
すると後輩が、「先輩、怖気づいたか」と言うんです。その一言で、しょうがなくその場に残りました。あの一言がなかったら、今の私はなかったと思います。
その後、支部長からいろいろお話を聞き、「自分でお光をいただいて、浄霊をしないと分からない」と言われ、入信することになりました。
一番心に残ったのは、「この教えはすごい教えなんだから、嫌ならいつ辞めてもいい」という言葉でした。
本当に浄霊で病気が良くなるのなら、これは全力で広めなければいけない。もしインチキ宗教で、お金儲けの組織なら、自分で確かめて、それをなくさなければいけない――そんな思いで入信したんです。
■医師として、在宅の看取りへ
卒業してから、薬毒とか分かっているから普通の医者をやるわけにいきませんので、スポーツ医学の研究所に入って、東海大学の大学の陸上部のコーチもやりながら、選手を強くするということをやっていました。
その一方で、信者の方から病院での治療について相談を受けたり、最後まで浄霊で頑張ってきた方が、最後には病院で亡くなる姿を見たりしました。
「何とかしなければいけないんじゃないか」と思い、大学を辞めて小田原で開業しました。
そして、患者さんが最後まで自宅で過ごし、自宅で看取れるように、在宅医療にも取り組むようになりました。
現在では、信者の方に限らず、癌の末期などで「もう何もしたくない、自宅で過ごしたい」という方にも、本人とご家族の希望を聞きながら往診しています。
そうした在宅医療を通して、私はこれまで本当にいろいろな体験をさせられてきました。

