Oさんのお母さんは、お母さんのお姉さんのお導きで入信し、
「百姓に生まれたら自然農法は絶対にやらなければならない。」
と勧められ、御教えに求め米作りを始めたそうです。1977年、慣行農法から転換し2、3年は一反(約300坪)あたり6俵の収量であったそうです。当時の指導でB堆肥(当時の栽培指導で推奨されていたもの)を長年使うも収量は以前同様で草もよく生えました。B堆肥が良くないという話が耳に入り使用を中止しました。
すると草が全く生えなくなると共に、2、3年後には、12、3俵収穫するようになりました。農協職員が、収量が多いので、どのように作っているのかと確かめにきました。その時の様子は稲の株が大きく、穂が地面に付く程垂れ下がりずっしりと重く、食べると甘味が濃い。農協は自然農法に転換して以来、いろいろ揶揄(からかい)に来ていたので、頭をさげたそうです。
尚、母親と一緒に信者4名、親戚1名で始めた自然農法でしたが、母親のみがB堆肥をやめ、他の人たちはそのまま使い続け、収量は6、7俵どまりであったそうです。
母親の収量の多さを見たOさんのある友人は、母親の心と神様の心が一致していたからこのような結果が出たとしか考えられないといったそうです。
母親は「皆に、特に浄化者(病気などで苦しんでる人)に安全で安く、誰にでも手に入る値段で食べさせてあげたい」といって、わけてあげていたそうです。Oさんがお母さんの米を近所の浄化者宅へ、重湯にして持っていったところ、それまで何も喉を通らなかった老人が、その重湯を全て飲み干し、その後元気を回復したことや、近所の人に米を少し上げたところ、美味しいので自分も買って食べたいと言うので、センター(販売所)を紹介したが、食べて味がちがうと言ったそうでした。
母親は米作りは作る人の姿勢にかかっていると言っていたそうです。Oさんが幼少の頃、おたふく風邪で寝ていても、10分間浄霊して
「私が帰ってくるまでには良くなっているからね。」と言って
農作業に出て行かれたそうです。普段から浄霊は10分間で、とにかく忙しい人だったらしいです。Oさんが14歳~23歳まで甲状腺を浄化していましたが、それ以来は1日に30分間の浄霊を夜にしてくれていたそうです。暇を見つけては御教えを拝読している母の姿をよく覚えていると話していました。88歳まで現役で米作りに取り組まれたそうです。

