[ミニ体験談] 筋強直性ジストロフィーにご家族でご守護いただくも、「人の為にさせてもらうという事はできない」と言われた方

 私がまだ3人目が生まれていない20代の頃、4階建ての集合住宅の3階に住んでいました。
 上の4階に住んでいらっしゃる奥さんが、毎月のように救急車で運ばれているようで、聞いてびっくりしました。私が覚えているのは坂を自転車で降りているとき止めれなかったのか、そのまま坂の下まで突進して転んで救急車で運ばれたことがありました。家の内外で小さな事故みたいなことが時々あったようです。毎月、救急車で運ばれるなんて普通あることじゃないので、心臓が悪いからと聞いたので、御浄霊を頂かれたらどうかなと思いお伺いしました。お伺いしてよくよく聞いてみると、筋強直性ジストロフィーの病気があり、それが原因で心臓とかにも影響があったようです。

 御浄霊のことをお伝えすると、素直に受けられ、大分よくなられたのか、その後救急車で運ばれることもなく、普通の人とあまり変わらないところまで回復され、喜んでいらっしゃいました。その後信仰にも入られお話を聞いていくと、弟さんが海で事故で亡くなっていて、丁度その月命日または前後の日に事故など起こって救急車で運ばれていたことがわかりました。私も若くてあまり詳しくはなかったとおもいますが、世界救世教の慰霊祭を勧め、彼女も毎月申し込まれ、ますます調子が良く、遺伝で同じ病気を持つ息子さんの高校進学なども大変心配していらっしゃいましたが、スムーズに進学され大変喜んでいらっしゃいました。調度入信して一年ぐらいだったのではと思います。自然食も使われるようになって、普通の生活がおくれるようになっていたのですが、「利他愛が大事」ということをチョコチョコ聞かされて負担だったのか、せっかく普通に生活ができるという凄いご守護をいただいていたのですが、「人のためにするという事は自分にはできない、したくないと言われ」信仰も辞められ、慰霊祭もされなくなりました。私も若くて、そのように言われるのだったらしょうがないですねと、止めもせず受けてしまったのです。そうしていましたら、その後の月命日の日に、息子さんがせっかく高校に入学され、ご家族も喜んでいらした高校のグランドで走っていて倒れて亡くなってしまったのです。聞いてびっくりしましたがどうすることもできませんでした。

  そんなことになるとは思ってもいませんでした。本当はもっとお止めしていたら違う人生になっていたのかもしれませんが、自分はまだ未熟ですし、大体が人を説得することが大嫌いなのです。「人のためにする事がイヤだ」と言われては信仰以前の問題ですが、そこをも少し賢く解くべきだったでしょうか・・・・。

 しかし、息子さんが亡くなっても、自分の間違いに気付き後悔されるというような感じはなかったので、しょうがなかったのかもしれません。

 神様は前倒しでご守護を下さいます。でも、”利他愛はできない”というのではお救いさせていただくすべがなかったのではないでしょうか。ご先祖様は段々救われて来て喜んでいらしたのに落胆と怒りは相当なものだったのでしょう。

 今になっていろいろ考え思い出されますが、多分私には、今そんなことが起こったとしても説得して救い導かせていただくことは無理なような気がします。

 利他愛に関するみ教えを一つアップします。みなさんもご存知のように岡田茂吉教祖は関連するような御教えをいくつも残していらっしゃいます。

 自分の都合よくなりたい、よくしたいという念が、少しでもあるとすれば、物が思うように行かぬ。自分を空虚にする、自分を無視すればするほど、自分の実在はたしかになる。この点だけが肝腎な悟りで、この前お話したが、お釈迦様の時代に木〔目〕蓮尊者という人がいて、母が地獄で苦しんでいるのが見えるので、どうか助けようと思っても助からぬ。他の人はいくらでも助かる。で、お釈迦様に、お母さんを出そうと思うが、どうしたら地獄から出せるかと聞くと、お前のお母さんはお前が忘れればいいと言われた。そこで考えた結果、はっと思った。

俺は天下万民を救う使命によって働いているのに、自分の近親の者、親のことばかり思ったため救えなかった。たいへんな間違いをした。第一に天下万民を救わなければならぬと、それからは母のことも忘れ、一切衆生を救いのため活動して、一年経って地獄を覗いてみると、もう地獄には母はいなかったというのであります。

自分を良くしたいと自分だけよくしようとすると、まずそうなさなければならぬ。人をよくしよう、人を助けようとするときに自分はよくなる。

信仰の妙諦はここだけなんであります。

御講話 昭和10(1935)年8月11日 〈信仰の妙諦はここだけ〉

           八尾屋

 

 

 

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