腎臓炎乃至腎臓病『アメリカを救う』昭和28年1月1日 ※お陰話

悪性腎臓病を全治させて戴いて

     岩手県   A.T (33)


 昨年(昭和二十六年)のお正月釜石に参りました時、顔がむくみまして腎臓病と名前を付けられました。それで二月まで病院通いを致しておりましたが、食事も美味しくほんのちょっと顔が腫れた程度でありました。お医者様が「蛋白が沢山尿に出る」と言って心配しました。そこで近所の人に聞いて、救世教のH支部にお伺い致しましたら「蛋白が多く出るのは結構だ」とB先生に聞かされ、又K様にも「本当にいいんですよ」と言われましたが、医者から見れば反対なので信ずる事が出来ませんでしたが三日通いました。ところが「蛋白が非常に多くなった」と医者に言われ、ついに三月入院致しました。すると喰べたくてたまらないのに食事を制限されまして流動食のみです。牛乳三合に重湯三合と番茶、薬が一日の食事でした。果物も甘い物も全然許してくれません。毎日毎日蛋白の有無を調べられるので、かくれて食べることも出来ませんでした。主人も私もすっかり医者を信用して、医者の言う通りにすれば良くなるとのみ考えてのんびりしていたのです。その食餌法を四十日続けましたら、肥っていた私も日増に痩せまして目眩がして一間も歩けなくなりました。とても駄目ですので医者に頼んでスープだけを許して頂き、皆さんに笑われる位ガブガブ飲みました。すると四月二十二日、「現在の腎臓病の療法は食べさせて治すという事を他の医者から聞いた」と言って食事を許されましたが、その時は既に胃や腸がすっかり弱って少し食べても吐き出す有様です。吐くとちょうど汽車に酔った様に頭痛激しく胸はむかつき、熱はあるし、見る見る顔が今までになくむくんで参ります。医者は心配になったのでしょう。厚生病院長に頼んで診て貰ったら「尿毒症の一歩手前で食べなければ駄目だ」との話でした。そうなるとつい医者もあてにならず、やせてふらふらしながら、四月三十日思い切って退院致しました。そうしてもまだ医学から抜け切れず、別の医者に診て貰いました。気分が良いのですがその頃よりだんだんお腹が大きくなるばかりでした。そうして臨月位になり背中の方まで苦しくなり、遂に五月二十五日第一回腹水をとって貰いました。とった後は体が軽くてとても気持が良いようですが、とる度毎に熱が出たり寒気がしたりして気分が良くなかったのです。腹水も随分溜るものです。全然水分をとらないように御飯におかずだけの食事ですが、十日過ぎると一升五合位とれるのです。尿量がほとんどないと言ってもいいほどで、300cc位で五カ月も続きました。どんな薬をのんでも尿は出ませんでした。そうして腹水を十五回もとりましたら医者も首をかしげて心配しておられました。主人始め子供達まで非常に暗い生活でした。今考えるとあれを称して地獄と言うのだと思います。なんの薬をのんでも尿量が無いので本当に絶望し、一人蒲団に顔をかくし泣きました。全然起きる事も出来ませんでした。が幸い主人も理解があり、妹も一生懸命看護してくれましたので、その点幸福で御座いました。時々子供に「いつお母さんが治るの」と顔をのぞかれては、ただただ涙が出て返事に困っておりました。

 忘れる事の出来ない昭和二十六年六月二十八日世界救世教T中教会H支部のK様が心配して、わざわざおいで下さいました。その時の有難かった事は筆舌に現わす事が出来ません。その頃尿量は250cc位しか出ませんでした。腹水もとっておりました。先生と相談の上毎日御浄霊に来て下さる事にして下さったそうで、雨の日風の日もいとわず毎日おいで下さいまして、丸三カ月間自分の子供でも病気しているようにいたわって頂いた事は、一生忘れる事は出来ません。御浄霊をして頂きますととても気持良く、時には眠る事さえ何度かありました。Kさんは「大丈夫良くして戴けるから」と慰めて下さいまして、八月二十日にB先生の特別のお計いで、床の中で教修をして戴き、有難きお守様を拝受さして頂きました。それからは神様以外に人間の病を本当に治して下さる方は無いという気持になり、何事も捨てて一心に寝ても起きても「明主様」「大光明如来様」とお念じ申し上げました。十月十五日に御霊紙をお受け致しまして一日三回ずつ頂きました。ところが不思議な事には十五日に尿量が430ccに増し、十六日に500cc、十七日に800cc、十八日に850cc、十九日に950cc、二十日には1200ccと日増に多くなりました。その時は有難さ嬉しさでこみ上げて来る涙をどうする事も出来ませんでした。神様有難う御座いますと心の中で申し上げるだけでした。早速Kさん、B先生(同居)に妹を走らせ、普通尿量になった事をお知らせ致しました。主人始め妹、子供達も大喜びで「お母さん、治った治った」の連発でした。お蔭様で最近は食事も進み気分も良いので妹にも郷里福島に帰ってもらい、後は主人に手伝って頂きまして、なんとかお勝手仕事までさせて頂ける程良くして頂きました。明主様本当に有難う御座いました。一日一日お腹も小さくなり、足のむくみもとれたのでしたが、ちょっと風邪を引いて又尿量が少くなり、足もむくみ、妊娠七カ月位の大きさになりましたが「御浄霊さえ怠らなければ出るようになる」と先生が申され、光明を抱いて御浄霊戴き、又自分でも一日中御浄霊致しておりましたら、二、三日で尿量が増して参りました。全く明主様の御力の偉大さをわからずにはおられません。今日は3000ccもあり、お腹も小さくなってしまいました。頭も今までになく清々しい感じが致します。私は今何事をするにも「明主様」「大光明如来様」が脳裡から離れません。お蔭様にて日増に全快に近づかして頂いております事を、心から御礼申し上げます。

 嬉しさの余りつたないペンを取りまして、これで全国の方々のどなたか一人にでもわかって頂き、お救い出来ればと思い、御礼を兼ねて書かさして頂きました。

 明主様誠に有難う御座いました。
             (昭和二十七年七月二十五日)

腎臓病はじめ全身の病苦御浄霊にて悉く御救い戴く

     長野県     H.F (46)

 私は主人と共に十五、十三になる二女を恵まれておりますが、病の苦しみは下の子を出産した時から始りました。順調な陣痛が来ておりましたが、「真夜中に掛ると大変だから早く生まれさせてしまおう」と産婆さんが促進注射を打ってくれ、間もなく五分もたたない中に生まれ、一同びっくり致しました。その後二週間で起き上れましたものの歩く度に子宮に響いて非常に痛み、大変心配しまして早速婦人科へ参りました。医師は「下腹部にシコリが有る」と言って至急に手術をと奨めましたが、どうしてもその気持になれず、注射で幸い痛みはとれましたものの、それ以後体の調子が次第にだるくなり、腰の痛み、急性腎臓炎等が年中再発し、頭はいつも大きな笠を被せられたようで、すっかり病身となってしまいました。年のせいで休も弱くなったと諦めてはおりますものの、何とかして丈夫になりたいとあの医者、この薬と転々と歩き廻りました。腰に悪寒が参りますとそれが脊髄へザワザワッとのぼり、その冷い感じのものが延髄まで来ますと、後へ引きつって立っている事が出来なく「それ湯たんぽだ、心臓を冷せ」と大騒ぎをして、やっと治るといった苦しみを、年に十数回繰返し、四年間の暗い日を送っていたのでございます。「余り注射ばかりするのも毒になるから、信心なさったら」と心ある人から奨められ、自分もその気になって近くの弘法様の信仰に入りましたところ「あなたの病気にはセンブリ、山牛蒡の根、バラの根等々の煎薬をのみなさい」と言われ、それを二年間続けました。一時非常によい様に思いましたが、その中に下腹が張って、腰が硬い感じで、体は前より一層動けなくなって参りました。

 二十六年四月のある夜、シクシクと下腹部の痛みで、一晩中まんじりとも出来ません。翌日医者へ参りました処途端に急性盲腸炎と診断されました。入院、手術と矢継早に頭に浮んで参りましたが、この時もまた手術を断りました。手術を奨められましたのがこれで二度目、救われた今日、考えて見ますと二度共手術を断ってしまいました事は、何も知らずにいた頃とはいえ、この様な有難い神様の御導きを戴いていたので御座います。何も知らぬ事とて、注射で散らしてもらい帰宅後局部を氷で冷し通し、三日目に血液検査を受けましたところ「まだ濁っているから」と言われ一生懸命に冷していましたところへ、直ぐ向いの救世教のN先生のお父様が尋ねて来て下さいました。「人間の体の中に霊の曇り即ち毒素と言うものが沢山あって、今盲腸と言う一つの出口へ出ようとしているんだから、こんな結構な事はないから、早く氷を取りなさい。御浄霊と言ってこうして手を翳すと、この掌から神様の御光が出て浄まって、早く病気が治るんです」と浄化作用のお話を詳しくお話し下さいました。何のこだわる気持もなく、早速氷を取って御浄霊を戴きました。一回目はほとんど何の変化も御座いませんでしたが、「この程度の痛みだったら無理に寝ている事もないから起きなさい」と言われ、翌日から起き上って、朝夕二回ずつの御浄霊を二日間戴きました。お蔭様で痛みはすっかり取れましたものの、下痢一つなく、小水も思う程なく、冷切ったお腹は前よりももっとぱんぱんに張り、腎臓まではれ上り、どう仕様もなく御神前へお参りさせて戴き、何かしら変った霊気の中に置かれる感じをしながら続けて二回の御浄霊を戴きました。誰かが臍部の芯の塊りを背中で絞っているような苦しみを堪えながら、腎臓と腹部とを交互に約一時間程御浄霊を戴きましたところ、驚くなかれあれ程永く続きました痛みはほとんど取れてしまい、起き上ってお腹をさすって見ました時、本当に吃驚しました。あの張切っていた太鼓腹は、何の排泄物も無いのに小さくなって、もう体中何の苦しみも無いのでございます。不思議だ不思議だと、それから十日間程、A支部の御神前で御浄霊を戴いておりますうちに、年がら年中笠を被った感じの頭は、すっかり良く治ってしまいました。私のしつこい急性盲腸炎はただの数回の御浄霊で根治して戴いたのです。ただ手を翳すだけでこんなにも自分の体も気分も良くならせて戴ける。これは大変な神様に違いないと、早速主人と相談致しまして、五月の半ばN先生から御教修を戴いたのでございます。

 御教修の御話を聞いておりますと、一つ一つそうだ、そうだ、今までは何も知らなかったけれど、確かにそうだあの時素直に御浄霊戴く気持になっていなかったら、今頃自分はどうなっていただろう。私は救われた! いやお救い戴けたのです。御神前で頭を低く垂れている私の胸は熱く、目頭がジーンとしてなにも見えなくなりました。今まで探し求めていた「幸福」がこの御道だったのでございます。有難くて嬉しくて、到底言葉に表し様も御座いません。どうしたらこの喜びの胸中を分って戴けるのでございましょう。

 知らずにのんだとは言え、余りにも大量の薬毒が体内に入っておりますことを考えますと、それだけでも当然私の生命は無いものと思うのでございますが、御守護を戴きまして入信後一年になります今日まで、時折戴く軽い御浄化によって、恐しい薬毒を出させて戴いております。平常は数年聞苦しんだ病も忘れたような清々しい気分でおりますが、御浄化の時でもほとんど以前のように寝る事はなく、元気に働きながら、次第に毒素のない健康な身体にして戴いております。

 明主様は、朝も夕べもいつも私の身辺においで下さり病ばかりでなく、他のあらゆる面に御守護下さっておられます事を、心から感謝申し上げ、拙き御報告を終らせて戴きます。
                (昭和二十七年六月五日)

危篤の全身浮腫も全快神に委ねし身は安けし

     福岡県 K.U (40)


 昭和二十三年七月、尊きお道に入信させて頂きまして御守様を拝受、以来今日まで数知れぬ奇蹟、御利益を戴き、その上主人と共にお道の御用までさせて頂く事の尊さと勿体なさを、痛感いたしている次第で御座います。

 毎日の御守護御利益のため、つい御利益の不感症となり、その都度の御報告も怠り、今更何とも申訳なく、ただただ罪深きこの身をお赦し下さいませ。

 私事二十六年十月初め頃より入信前の薬毒のため、腎臓の御浄化を戴き、全身浮腫、呼吸困難、排尿なく、目も全く日を見る能わざるようになり、これを医学の方で言えば尿毒症を起して生命は時間の問題と言う、全くの危篤状態でありました。明主様の御守護の下、毎日(当時一四名の浄霊患者があり)御浄霊に従事さして頂き、夜分主人や協力者の方より御浄霊を頂いておりましたが、十月二十一日の中教会の御祭には特別御浄霊を頂きまして一層御浄化を早めて載き、十一月六日よりはいよいよ全身ダルマのようにむくみ、目も全然見えなくなり、御浄霊従事も困難となりましたので遂に就寝致しました。でも御浄霊を頂き御守護により食欲はあり、気分も平素と変りなくただあまり腫れたので心臓圧迫のため呼吸が少し苦しく、排尿不良のため益々腫れますのみで、浄霊に来ておる人々は「いくら御浄化とは言え大丈夫ですか」と心配そうに言って下さいますのでした。でも主人も私も「絶対の御力に絶対の御守護、鳴呼有難い御浄化」と感謝しつつ平気で皆さんにお答えしておりました。

 近所の方々もとりどりに「あんなにはれては尿毒症でも起したら大変だ、医者に見せんでも大丈夫かなあ、いくら神様でもあれは危い」との噂があったそうです。

 ちょうど主人は八日の中教会の例祭に参拝しまして、御守護御願いをして九日午後一時半帰宅しましたので、約四十分御浄霊をして戴きましたところ、今まで呼吸が苦しくて排尿困難なのが急に楽になりました。しかし浮腫は段々増加するようでした。ちょうどその時(午後三時頃)お隣りの奥さんと毎日来るおさかな屋のおばさんが来て色々と心配して御見舞に来て下さいましたが、お姿も見えませんでした。

 当日浄霊患者が多数ありましたので午後十一時に外来者の御浄霊を終ってから、御神前で主人とHさんIさんと三人で約一時間半許り御浄霊を戴きましたところ、見る見る中に両眼は潮の引くごとくに腫れが引き開眼し、多量の排尿を催し、全身の浮腫が減り楽になりまして、安々と眠る事が出来ました。午前一時、皆で御参りして御明主様の御写真、大光明如来様に御礼を申し上げ、九死に一生を得て、主人外四人で偉大なる御守護に感激の涙がやみませんでした。

 もしお道の事が判らなかったらどんなでしょう。全く入信前の私を顧みて想像し、はだえに粟を生ずる思いが致しますものの、かくも楽々と癒される大神の御恵に浴する身となり、ただただ歓喜に堪えません。罪穢多き私共にまでも大神は大慈悲の御恵を垂れさせ給うこの大御心に対し奉り、報わん術のなき身の毎日御用さして頂きながら、何らの御用も出来ませず、万分の一もの御報恩とも思いつつ精進させて頂けますようお念じ申し上げます。

 そうして救世教信徒として真の安心立命の生活者と等しく、全人類が一日もはやくこの大御恵に浴する身となり、現世地上天国の大建設に邁進されん事を希う次第で御座います。救われし心境に御讃歌を拝誦して

  救はれし辛を思へば身をつくし心砕きて酬はでおかめや
 
命さへ危き程の病きも癒えて恵みに浸る嬉しさ

 こうしてその後も時々小浄化を頂きつつ、毎日御用させて頂く事の出来ます事はただただこの御恵なかりせばと痛感しますのみ、御歌の通り到底筆舌に表現出来ません事をお察し下さいませ。

 御明主様有難う御座いました。遥かに合掌礼拝申し上げます。

 なお今日まで御指導賜わりました諸先生に対し厚く御礼申し上げます。
           (昭和二十七年八月一日)

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