ホーム

地上天国22号  教えの光  昭和二十六年三月二十五日

梅の実は、花が五弁であるから五行、即ち木火土金水の意味でもあり、又松竹梅の一つで、芽出度い意味でもある。又兄の花といつて、百花の中一番先に咲く ので、始めであり、春、即ち天国の始めでもある。故に散花結実とは、梅の事をいう
御教え集

立春祭 御教え *節分の意味/国常立尊(御教え集31号 昭和29年2月6日)

今年の節分は非常に意味があるのです。私としても非常に大きな奇蹟があったのですが、それはまだ言うわけにはゆきませんが、いずれ話をします。この節分という意味は、大本教と非常に関係があるのです。ごく古い、神代というのですが、神代と言っても、空漠(クウバク)たるものでなくて、神格を得た人間が住んで居た時代で、いわばの前の昼間の世界といったようなものです。
日々雑感

[日々雑感]病気治しだけにしてしまってはいけない!「浄霊」は神の実在を認識させる無神論者を救う手段!

『そうして神は無伸論者を救う手段として採られたのが、神の実在を認識させる事であって、其の方法こそ本教浄霊である。』ということですので、結果的に病気が治ったり問題が解決していくのですが、この浄霊というのは神様の実在を知らしめるためにあります
文明の創造

『文明の創造』科学篇「医学の解剖」( 昭和二十七年)

若し病気が医学で本当に治るとしたら、段々病人は減り、医師の失業者が出来、病院は閑散となり、経営も困難となるので、売物が続出しなければならない筈であるのに、事実は凡そ反対である。何より結核だけにみても、療養所が足りない、ベットが足りないと言って、牟々悲鳴を上げている現状である。
文明の創造

『文明の創造』科学篇「病気と医学」( 昭和二十七年)

彼の薬剤、機械、放射能等の物質の応用である。成程之によって病気の苦痛は暖和されるので、之で病が治るものと誤認し、緩和法を続行するのであるが、事実は苦痛緩和と病気の治る事とは、根本約に異うのである
ミニ体験記

[ミニ体験談] アトピーなどは”陰性化せる天然痘の毒素” 排泄で解決

私は生まれて6ヶ月の頃から目と口を残して全身に瘡(クサ)が出て両親も大変だったらしいです。夜中もかゆがって母もよく起こされたようですが、父は何事もメシヤ様の教え通りにする人でしたので、薬を使うようなことなど全くなく、御浄霊で浄化を乗り越えてくれたようで両親には心から感謝
岡田茂吉について

『文明の創造』科学篇「病気とは何ぞや」(昭和二十七年)

愈々之から病気についての一切を解説する順序となったが、抑々病気とは何かというと、一言にしていえば体内にあってはならない汚物の排泄作用である。従って体内に汚物さえなければ血行は良く無病息災で、年中溌刺たる元気を以て活動が出来るのである
ミニ体験記

[ミニ体験記] 親の罪穢の分担

回「病気の原因と罪穢 」の中に「すべて人間は、親の膝下(しっか)を離れて、一本立になればともかく、親によって養われてる間は、親の罪穢も分担する事になっている」を読んで、ここを見逃していると大変なことになる場合があるなと思い投稿しました。
新日本医術書

病気の原因と罪穢 『新日本医術書』昭和11年執筆

病気の原因は、汚血及び水膿の溜結であり、その汚血と水膿は精霊の曇の移写であるという事は、既に述べた通りであるが、しからば、その曇はいずれから発生流転して来たかというと、それが罪穢なのである。しかして、罪穢にも二種あって、先天的と後天的とのそれである。
新日本医術書

病気の根本原因と真の治療 『新日本医術書』昭和11年執筆

そもそも、病気の根本原因とは何か。それは、一言にして言えば精霊の曇である。本来、人体は精霊と肉体から成立っているのであって、肉体ばかりであるならば、それは単に物質でしかないのである。そうして、精霊の中心に支配者としての魂がある。その魂こそ実に生命そのものである
第九篇  「光への道」

麹町時代 (自観叢書九 昭和二十四年十二月三十日)

前項の如く、私は昭和三年から昭和九年迄六年間、霊的研究と相俟って、神霊療法による病気治療の確信を得る迄に至ったので、之を引提げて世に問ふべく決意した。そこで、其頃の東京市の成可中心を選ばうとして、麹町平河町に、ピッタリ条件の叶った貸家があったので、そこを借りて、信仰的指圧療法といふ建前で治療所を開業した
みあとしのびて

[みあと]メシヤ様が天照皇大御神様を御鎮祭された日枝神社に参拝

御祭神は天照皇大御神様とばかりおもっていたのですが、どうも違うようで、素盞嗚尊様の孫の大山咋神(おおやまくいのかみ)様 で、国常立神(くにのとこたちのかみ)様、伊弉冉神(いざなみのかみ)様が祀られていました
観音講座

『神幽現 三界の御経綸』 (観音講座 第六講座より)

今度、愈(イヨイヨ)光明世界になるのは天照皇大神が出現になられる岩戸開きがあるのであります。昭和六年六月十五日、私が房州日本寺に天照皇大御神を御迎えに、大勢の信者さんを御供にして参詣に行ったのであります。此の時大神様が霊界へ御出現なられたのであります。
メシヤ様の生涯

大森時代 (自観叢書九  昭和二十四年十二月)

愈よ全身全霊を打込み、神の命のまま進む事となった。何しろ神の意図が半分、自己意識が半分というような訳で、普通人より心強い気もするが、普通人より心細い気もする。勿論それ程の経済的余裕もなく、先づ数ケ月維持する位の程度しかなく、確実な収入の見込もない、実に不安定極まる生活ではあるが、然し絶間ない奇蹟や神示の面白さで、経済不安など忘れて了ふ程
第九篇  「光への道」

入信以後 (自観叢書九  昭和二十四年十二月三十日)

神秘を暴こうとする意欲から熱が出るのである。茲で神秘に就て少しかいてみるが、人間の意欲の中で、此神秘を探りあてようとする事程魅力あるものはあるまい。信仰に熱が増すのは神秘探究心からである。従而昔から神秘の多い宗教程発展するのである。尤も神秘の表現化が奇蹟であるから、神秘と奇蹟とは切っても切れない関係にある。本教の異常の発展も之が為である
御光話録

御光話録 昭和二十三年九月二十八日(キリスト23年8月•9月) 

“メシヤといふのはヘブライ語ですから一寸日本語には解し難い。意味は救世主、救ひ主といふ事です。
日々雑感

茨木よし子さんの霊視日記を掲載しました。 

「霊的事象を信ずる事」によって「幸福の原理を把握し得らるる」とおっしゃっていることは、霊界の事象を知らずして、世界メシヤ教はありえないという事だと思いました。
御光話録

御光話録 昭和二十三年八月十八日 (信仰の小学校、中学校、大学)

“来月「信仰雑話」を出版するが信仰のない人でも判る様に書いてある。在来の宗教は宗教一点張りで外の事は説かなかったが、私のは千手観音式でいろんなものに手を出すのです
第九篇  「光への道」

入信の動機 ( 自観叢書第九篇 「光への道」昭和24年12月30日)

私の若い頃は不正を憎む心が旺盛で困る事がある。特に政治家の不正や、指導階級の悪徳ぶり等を、新聞や雑誌でみたり、人から聞かされたりすると、憤激が起ってどうにも仕様がない事がある。全く信仰上からいえば厄介な小乗的人間であった。此様な性格が私をして不正を行はしめない処ではなく、何か社会人類の為、役立つ事をしたい。社会悪を少しでも軽減したいといふ気持が一杯で、それにはどういふ事をしたら一番効果的であるかを考え抜いた
第九篇  「光への道」

入信以前の私 (自観叢書第九篇 「光への道」 昭和24年12月30日)

私が信仰生活に入ったのは、前述の如く、大正九年夏三十九才の時であった。私の性格と入信の原因に就て述べてみるが、それまで私といふものは無神論者のカンカンで、神も仏もそんなものはある筈がない。そういふ見えざるものを信ずるのは迷信以外の何物でもないとしてゐた。
メシヤ様の生涯

はしがき (自観叢書第九篇 「光への道」 昭和24年12月30日)

之は私の自舒伝である。最初わが半生の記と名づけたのであるが「光への道」の方が感じがいいのでそう名づけたのである。私の前半生は洵に平凡で世間ありふれた経歴で、面白くないから書かない事にしたのである。
ミニ体験記

ミニ体験談「実家の水神様の祀り跡を供養する事で子供の性的悩みも解消!」

結婚の話も度々あるらしいのですが、本人がどうしても女の人を好きになることが出来ないという悩みがあり、そいう事情をひた隠しに隠し、人知れず悩みを抱えて暮らしていたようです。
御教え集18号

御教え *霊界→言霊→物質(御教え集18号 昭和28年1月3日⑤)

凡て順序というものは最初は頭の中です。これは霊界に出来るのです。それでこれを、こうしろああしろという言霊に出て、それから本当に物質が現われる、という順序です。それで今は頭の中の霊界では設計が出来てます。それで四月に行って、今度は言霊の設計をやるのです。そこで言霊というものは非常に重要なものです。それは誰がやる事でもそうです
芸術

御教え *箱根美術館(御教え集18号 昭和28年1月3日③)

去年の夏頃から不思議に浮世絵のいい物が集まってくるのです。それまではそんなに考えなかったのですが、これは神様が浮世絵展覧会をやれという事と分りましたから、そういう計画を立てたのです。それで去年の京都の浮世絵展覧会の品物よりもずっと上の物です。これは今までに例がないでしょう。又不思議にすばらしい物がはいってくるのです。これは道具屋がみんな不思議に思ってます。
日々雑感

御教え集18号新年御教えのまとめ掲載について

御教えを私が編集するようで申し訳ないと思いましたが、全文は全文で掲載し、内容が豊富な時は今回のように、主だった内容をいくつかに分け掲載する時もあると思います。ご了承下さいませ。
大経綸

御教え *大芝居(御教え集18号 昭和28年1月3日②)

建設が進むに従って破壊も進んでいくというわけです。ここのところに実に微妙な神様の経綸があるのが分ります。それが分らないで見ると、何がなんだか見当がつきません。つまり芝居なら筋書ですが、それを救世教信者は分っていて見るから、つまり芝居の役者でなく見物人、お客様の方です。
ホーム

御教え *「二十八」の数字(御教え集18号 昭和28年1月3日①)

今年は二十八年ですが、「二十八」というのは数字から言っても大変いいのです。終戦になったのが昭和二十年ですが、この「二十」という数字は今までにも沢山ありましたが、特に良いという事は「昭和」という年号に対して、その文字に対しての二十というのが大変大きな意味になるのです。「昭」というのは日偏に召すという字ですが、この「召す」という事は「しろしめす」という意味になります。「しろしめす」という事は「統治する」という事です
大経綸

御教え *法難→散花結実(御教え集18号 昭和28年1月2日①)

丁度覆い被さった黒雲が晴れるという様な気持がします。しかし今度は神様の方から言うとそれが必要だったのです。これは一昨二十五年に散花結実という事を言いましたが、あれで花が散ったわけです。ですから検察庁の役目は、つまり低気圧の役目をしたわけです。
社会情勢

世界夢物語 (栄光189号 昭和28年1月1日)

私は宗教家であり乍ら、軍事に関した事をかいてみようと思うのであるが、何しろ夢物語だからそのつもりで読んで貰いたい。勿論逆夢にはなりっこないが、どの程度迄正夢になるか、これは今後の実際に徴して分るであろうから、一応の参考として貰えば幸甚である
御教え集18号

御教え *裁判/散花結実/箱根美術館(御教え集18号 昭和28年1月2日)

富士山を一名昔から「八スの山」と言うのです。「八が統(ス)べる」というわけです。それで「八」は「五三」ですから伊都能売にもなります。そういう様な訳で、これは日本の将来のあり方を表わしているのです。(中略)そういう様でミロクが開けるという、それが二十八年からになります。それで丁度救世教の経綸も凡てそういう形になりつつあります
日々雑感

昭和28年元旦の御教えを掲載しました。

本冊子は、御参拝日における明主様の御教えを記録にとり、ここに「御教え集」として信徒の座右に呈せんとするものであります。明主様の御神言の一語一語は、真善美全きミロクの御代への指針であり、この御教えを履(フ)み行う事によってこそ幸福者となり得るものと信ずるのであります。
日々雑感

[ 日々雑感]「世界救世(メシヤ)教開教以前と開教後の御教えの違い

 このホームページで、立教前の御教えを沢山アップさせてもらっています。是非、上記の内容を御参考の上お読みいただけますよう、よろしくお願い致します。
文明の創造

『文明の創造』総篇 地上天国(文明の創造 昭和二十七年) 

此の様な末期的惨状を、神としてそう長く放任して置けないのは当然である。という理由と、来るべき理想世界の住民としての健康人を作らんが為との、二つの理由によって茲に医学の迷妄を発表するのである。
仏教

『文明の創造』総篇 救い主と贖罪主(文明の創造 昭和二十七年)

即ち九分九厘の悪とは現代医学であって、之も曩にかいた通り必要悪であるから、今迄はそれでよかったのである。然し其の結果として人間の最大貴重な生命を完全に握って了った。若し医学が誤ってゐるとすれば、生命の危険は言語に絶するといってもいいであらう。之程世界人類から固く信じられてゐる医学を是正するのであるから、容易な業でない事は言う迄もない。
日々雑感

「自観叢書  第三篇  霊界叢談」の全項目の掲載が終わりました。

霊界にはあまり興味を持たない方が良いと明主様はおっしゃっていらっしゃる。と,よく聞かされていたのであまり興味を持たないようにしていました。 ところが、ここ1、2年のうちに鮮やかな霊的救いを目の当たりにすることになり・・・
大経綸

霊層界 (自観叢書三 昭和二十四年八月二十五日)

霊界の構成は曩に述べた如く、天国、中有、地獄の三階段が三分されて九段階となっており、一段は又二十に分れ、一段階二三ンが六十段となり、三六十八即ち総計百八十段となる。私は名づけて霊層界といふ。
第三篇「霊界叢談」 

神霊と仏霊・人霊 (自観叢書三 昭和二十四年八月二十五日)

私は茲で日本に於ける神界仏界の、種々相をかいてみよう。先づ神霊は高級なる程巨大であって、人間と同じ御姿である。唯だ御位により相違はある。普通は衣冠束帯で、最高級の神は紫の上衣に紅色の下袴、冠は纓を垂らしてゐる。
日々雑感

[日々雑感]体験報告で「お詫びさせていただきます!」・・・”お詫び”がわかっていなかった私

人間は神様が必要があって作られた長い夜の時代に、人間である限り、誰でも沢山の罪を作り続け、人間はみな、ビックリするぐらい罪が堆積しているわけだから、誰が悪い彼が悪いといった所で所詮、皆んな罪深いことに間違い無いので、気づいた者からまず、ずっとお待ちのメシヤ様にお詫びさせていただかなくてはいけないと思いました。
栄光

『文明の創造』天国篇(栄光137号  昭和27年1月1日)

私は科学篇、宗教篇を次々かいて来たが、之から最後の天国篇をかくのである。併し此所論は真の意味に於ける前人未説のものであって、文明世界設計の根幹ともなるものである
御教え集5号 

御教え*御生誕祭/美術館 (御教え集5号  昭和26年12月23日①) 

何う言う訳かと言うと、私は昔――若い時分から薬をうんとやつたんです。此――薬毒を知る迄は殆んど薬づけと言つた様な具合だからね。それが相当なんですからね。それで、始終自分で浄霊している為に、年々それが減つていくので、健康を増していくんですね。
文明の創造

『文明の創造』総篇   健康と寿命 ( 昭和二十七年)

現代医学が真の医術であるとすれば、病人は年々減ってゆかなければならない筈(はず)であり、それと共に寿命も漸次(ぜんじ)延びてゆかなければならない道理である
第三篇「霊界叢談」 

龍神界 (自観叢書三 昭和二十四年八月二十五日)

龍神界などといふと現代人は荒唐無稽の説としか思はれまいが、実は立派に実在してゐるのである。それに就て私の体験から先にかいてみる
第三篇「霊界叢談」 

天狗界 (自観叢書三 昭和二十四年八月二十五日)

先づ天狗界とは、各地の山嶽地帯の霊界にあって、天狗なるものはそれぞれ山の守護としての役を掌ってゐる。天狗界にも上中下の階級があり、主宰神としては鞍馬山に鎮座まします猿田彦命である。
御講話など

御講話 (昭和10年7月1日)

いろんなことが間違いだらけなことがたくさんある。そういうことをたくさん知らせ、目をさまし、たしかな真理を行なう。あるいは本当のこと、本当の信仰、本当の生活ということの標準を示さなければならぬと思うのであります。
阿呆文学

「阿呆文学」 目下罪障消滅中 (光明世界二号 昭和十年三月四日)

どの宗教の信者でも、本当に惨(ムゴ)い体たらく、そこで阿呆も世の為と、出鱈目混りに笑はせて、お気の毒だが内々で、打明話をする程に、とっくり聞いて下されと、前置代りに言ふので御座る。
第三篇「霊界叢談」 

地獄界の続き (自観叢書三 昭和二十四年八月二十五日)

これによってみると、霊界行も満更悪いものではないらしく、死ぬのも楽しみといふ事になるが、それには生きてゐる中に善根を積み天国行の資格を作っておかなければならないという訳である。
御講話など

御講話 昭和10年6月21日

観音運動の根本としては、いつもお話する通り、病人のない世界を造ることで、すべてはそれが根本になるんであります。
みあとしのびて

「みあとしのびて」再度吉野へ 金峯山寺 

メシヤ様の関西御巡教最後の日、吉野神宮に御参拝の後、金峯山寺にご参拝になられました。
第三篇「霊界叢談」 

生霊 (自観叢書三 昭和二十四年八月二十五日)

某大学生に霊の話をした処仲々信じない。「それなら僕に何か憑依霊があるか査べて呉れ。」といふので、早速霊査法に取掛った。
第三篇「霊界叢談」 

夢と邪霊 (自観叢書三 昭和二十四年八月二十五日)

右両例とも邪神の妨害であったのは勿論である。前者は私から離反させんが為、後者は祭典に参拝不能にさせようとした為である。
タイトルとURLをコピーしました