「自観叢書  第三篇  霊界叢談」の全項目の掲載が終わりました。

 「自観叢書  第三篇  霊界叢談」の掲載はこれで全部です。
 私は生まれてからずっと世界救世教でお世話になってきたのですが、あまり霊界の事について知りません。昔は結構霊的な話も多かったらしいのですが、子供だったせいかほとんど知りません。また、ご存知の方も多いと思うのですが、霊界にはあまり興味を持たない方が良いと明主様はおっしゃっていらっしゃる。と、よく聞かされていたのであまり興味を持たないようにしていました。
 ところが、ここ1、2年のうちに鮮やかな霊的救いを目の当たりにすることになり、まさに”目から鱗!”で、私たちに霊界から、今求められているのはまさに、この霊の救いなのではないかと思わされました。
 「龍神界」はお読みいただきましたでしょうか? 年明けになってしまうと思いますが、龍神に関するミニ体験記としてあらましをアップしますので是非読んでください。

 メシヤ様は、「自観叢書  第九篇  光への道」の「入信以後」の中で鎮魂帰神法にふれ、「霊界を知るためには、幾分の効果はあるが、弊害も又少なくないので、初心者は触れないように注意している。」と述べていらっしゃいますので、霊については、十分注意が必要と思います。ただ、ここでも「初心者は」としていらっしゃり、必要もないのに、こんなに沢山の霊に関する御教えをお残しになっているわけもなく、本当は霊界のことは避けては通れない大事な事なのだと思わされます。以下「自観叢書 序文」より抜粋します。

そもそも今日学問も人智も進歩したというが、それは形而下の進歩であって、形而上の進歩は洵(まこと)に遅々たるものである。文化の進歩とは形而上も形而下も歩調を揃えて進みゆくところに真の価値があるのである。文化が素晴しい進歩を遂げつつあるに拘わらず、人間の幸福がそれに伴わないという事は、その主因たるや前述のごとく跛行的進歩であるからである。これを言い換えれば体的文化のみ進んで、霊的文化が遅れていたからである。
 この意味において私は、霊的文化の飛躍によって、人類に対し一大覚醒を促がさんとするのである。とはいえ元々霊的事象は人間の五感に触れないものであるから、その実在を把握せしめんとするには非常な困難が伴うのである。しかしながら無のものを有とするのではなく、有のものを有とする以上、目的を達し得ない筈はないと確信するのである。
 そうしてこの霊的事象を信ずる事によって、いかに絶大なる幸福の原理を把握し得らるるかは余りにも明らかである。故にいかなる信仰をなす場合においても、この霊的事象を深く知らない限り真の安心立命は得られない事である。それについて稽(こた)うべき事は、人間は誰でも一度は必ず死ぬという判り切った事である

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