御講話 昭和10(1935)年6月21日

 観音運動の根本としては、いつもお話する通り、病人のない世界を造ることで、すべてはそれが根本になるんであります。で、そういう病人のない世界というのは、開闢(かいびゃく)以来だれもやったことがない。またやろうとした人もなかった。また、これはたいへんな大きな力でなくってはできないことなんであります。

 実際のことをお話すれば、お釈迦様でもキリストでも、日蓮だの親鸞、弘法大師でも、昔から有名な人がテンでやらなかった。それを今度初めてやるのであります。

 そういうことができるかどうかということは、ふつうは疑うんでありますが、毎度講話会でお聞きになる通り、種々な御神徳話はだいたい病気が良く治ることが主であり、一々体験された方のお話であって、また肉体の病気まででなく、精神上、生活上など、すべての上の病いまで種々と御神徳があり、それによって体験された方は、病気のない世界が実現することは、疑うことができなくなってくるのであります。それで、私が日々講義にして……講義といってもあんまり講義はしませんが、私が病人を治してるうちに、実地にみるのと、断片的に私が話すのを聞くのと、時間があると口述するので、それを聞く。一週間して、大きな財布のような御守りを受ける。そうすると、わずか一週間で博士よりも良く病気が治る。実にこれは不思議な話であります。

 先刻、大竹さんの話で、瘤〔古峰〕ケ原の大天狗が三十日も二十日もかかって治らなかったものでも、わずか数日で治ったというのですが、瘤ケ原の大天狗にしても、少なくとも山へ三年くらいは入って断食したり、水行したり、種々な難行苦行をしたものに違いありません。それでも、医学博士よりは気がきいております。なんとなれば、山へ入るのは学校へ入り研究するような資本がいらぬから、親の脛をかじったりなどしない。この前お話した通り博士となるには少なくとも万というお金は費やし、十年二十年の歳月は費やして苦しんだものであります。そうした博士や、あらゆる難行苦行したものが治らぬものを、大竹さんは、ついこの間ここで一週間修行したばかりで、一月と経たぬのに、そういうものが治せることができるのであります。

 ですから、病人のない世界を造るには、そういう観音会の医者が数多くできれば、それでいいわけで、後は病気に罹らないことを教えればよいのであります。それはどうすればいいかというと、本を読ませればいいのであります。

 そうして、あらゆる健康法の間違ったこと、間違った衛生法を知らし、本当の健康衛生法を教えますから、それに気がついて、言う通りに実行すればいいのであります。

 将来そういう本ができるんで、そういう本ができて、社会百般のものに読ませるようにし、観音医者が数多くできれば、それでいいから、そう難しいことではなく、変わったことではないのであります。

 それについて、観音様の方針を示されておりますが、そういうお医者の名前は、三段に分けられてあります。一番最初の人、下の階級は医業士というので、次にふつうの医者の学士に相当するのが、医療士という名になるんでありまして、ちょうどいまの医学士に相当するんであります。いまのは医学という医者の学問で、医者の学問を学んだから、医学士というので、字がはっきりと現わしております。なるほどたしかに学問であり、あるいは学んだものですが、観音会のほうは治すのですから、療の字をつけるので、医し療すのであります。次に、その上の階級を医療博使というのであり、しの字を使の字にしてあります。士の字をつけるとお医者と間違いやすいから、使としたんであります。

 実際、博士をハクシとよますのは、これも士の字はおかしい。医者は軍人じゃないから、さむらいの士の字をつけるのはチト変であります。もっとも、いまの医者は、さむらいと言ってもいいかもしれません。切ったりハッたり血を出したり、あるいは腕の一本くらい切り落とすくらいはなんでもないのですから。

 また、将来は病院をたくさん作るつもりで、これから博使もできます。医療博使は将来は病院長になられるのであります。

 それからいま医療士を第一期として百人を作るわけなんであります。そうして第二期として千人、第三期として一万人作るので、一万人作ると日本中からあらゆる病気はなくなり、伝染病や重病などはなくなるわけであります。

 それから次に海外進出となり、東洋各国は勿論のこと、西洋の各地へも日本医学の病院ができる。そして西洋人の病気を治すのであります。無論、西洋医学よりはずっとよく治りますから、西洋医学はだんだん人類からなくなるわけであります。

 ですからみなさまも、親戚の方などで医学の学校へ出てる人があれば、いまのうちにやめられるようにされたほうが、算盤に合うと思うのであります。

 で一万人作るには、やはり医者をそれに当てるよりしようはないと思うのであります。今度病院を建てると、博士や学者も傭うのです……と言うのは、世間に医者を信じている人を安心させるためと、も一つはお医者さんに日本医学を知らす、つまり教育するわけで、本当にこれほど治る医学はないということを判らすんで、治る医学を宣伝させ、お医者に知らさなければならぬと思うのであります。

 ついこの間も麹町会館で伝染病予防の話がありましたが、慶応病院の草間博士の話で、今日の医学では病気は治らぬことが判った。それでいまは、病気に罹らぬ研究を医学界でしているんだということを、ある人から聞きましたが、そのように医者自身、今日の医学では、病気は治せぬということを自覚してきたのであります。

 要するに、だんだんと観音運動に対する機運が醸成されつつあるわけであります。そういうわけでありまして……

 ところで、だんだん忙しくなりまして、私が直接病気を治したりすることも、もう長くはないと思うのであります。でありますからして、講義なども先へ行くと直接することができなくなると思います。いま講義を受けるお方は、その点が非常にいいと思います。ですから第一期の百人という数は、御都合のいい方はできるだけ早くお受けになるのがいいと思います。今月いっぱいで四十人くらいになりますから、後二月経てば百人くらいはできると思います。

 それから先は、また他の仕事にかからねばならぬことになりそうですから、いまやる方は非常にいいと思うのです。ですから、できるだけ御都合のつくだけ、いまのうちに受けられるといいと思います。やはり将来博使になる方は、早く習ったほうが博使になる可能性があるわけであります。今度の病院は医学博士が下になるのですから、大学を卒業した人よりも地位が上になるわけであります。

 で博使になる資格としては、信仰のしっかりした人で、治療のほうは無論優秀、人格とか、品行とか、そういう方面も大病院の院長としてふさわしい方ということになるわけであります。

 世間のそういうものとは違って、光明世界になると試験とか、袖下とか、そういうものでやるのでなくて、自然とその人がそういう資格になるので、閥(ばつ)とか情義とかはなく、無理がなく、ひとりでにそういう地位になるのであります。ですから、その点は絶対公平なんであります。

 どうしても、そういう考えをもって進まねばならぬ。ぜひとも病院ができます。病院ができればどうしても看護婦とか、そういうものがたくさんできるのであって、なかなか養成もたいへんですから、ぜひそういうことも……

 で、看護婦の婦長は、今日から育った観音会の婦人があてられるので、そういう婦人は、『東方の光』を売る人が、その候補者のつもりであります。将来そういう看護婦長になり、御婦人の地位を得られるのは、半年以上新聞を売られた方、それが将来そうなるということになるのでありますから、そういう希望のお方は観音隊へ入っていただきたいと思います。

 それから、指圧療法の大きな御守りは……御守りの御玉串百円となっておりますが、男の方で『東方の光』を半年以上売った方は、それはいらないという特典があることになりました。で、それは半年以上売らなくとも、半年売ってやめても差し支えないわけであります。そして、まだ『東方の光』売った方の特典は、まだまだ出るかもしれませぬが、新聞売る方はだいぶ観音様も優遇されるようで、だんだん規則のようなものにされて発表されますから、そのおつもりに含んでおいていただきたいのです。

 いずれ、本部の地所の候補地もおよそみつかりました。なぜおよそかと言いますと、まだ金を出して、こちらのものにならないからで、約一万坪ばかりありまして、金さえできれば、いつでもこちらのものになるようになっているんであります。それも、他の宗教のように、みなさんから寄付を強要するなどということはぜんぜんなく、ぜひ出さしていただきたいという方はお断りはいたしませんが……

 すべて神様のことは、どうか出さしてくれと言うて出すのが本当であって、いくらいくら出してくれと金高まで書いた奉加帳を門並を持ってまわり歩くなどは間違っているんであります。

 それはいままでのやり方で、既成宗教へいくと、どこどこまでも伸ばさねばならぬと、非常に迷信的の宗教のため、苦しみ悩む人がたくさんできる。それはなくさねばならない。それは信仰の病気で……

 それで、病気治しを願うとき、その病気は治してやるからいくら出せ、などいうのは、実に恐るべき迷信で、こういうことは断然なくしてしまわなければならないのであります。そういう方法は、あらゆる宗教にあるんであります。

 観音様のほうは実にうまいもので、これは、いま発表はしませぬが、それについてこういう標準があります。いまここにある人があって、ある宗教へ入ったとすると、その宗教へ入ったときと入った後と比べてみればいい。その宗教に入ってから病人がなくなり、体が丈夫になったかということ、また財産が減ったか増えたかを見ねばなりませぬ。もしか、財産が減ったか、またつぶれたかとしたら、その宗教は本当のものではないのであります。なんとなれば、本当の宗教は病貧争をなくするんでありますから、貧のほうへ接近させるのは本当の教えではないのであります。そういうふうに見るのが一番判りやすいのであります。

 まず信仰に入って財産が増えたか減ったか、あるいは、商売が衰微したかどうかをみればいい。もしか少しでも財産が減ったなら、それは迷信だと断定して差し支えないのであります。

 ところが、観音会には決してそういうことはないのであります。もしあればこういうことは言えません。

 しかし、特に使命のある人は、一時商売をよさなければならぬから、大きい家に住んでいたのが、小さい家に一時入るようなことがあるのは、特にしかたがないと思っていただきたいのであります。

 観音会のほうの博使や医者ができても、ほかの既成宗教の役員や布教師ですと、いくら成功しても、生活はキリキリいっぱいであります。けれども観音会はそうではないので、すべてが無理がなく、相応の理で身分階級も当てはまるので、博使以上になると、家も門構えの家に住むようになるのであります。

 既成宗教を見ますと、ちょうど「一将功成り万骨枯る」という状態で、これはあらゆる宗教に当てはまると思います。本部は馬鹿に太くなって、御一統はすばらしい豪奢(ごうしゃ)な生活をし、信者は切り詰めた生活をしているのであります。

 それはたいへんにいいように思われるんです。それはたいへんに間違っているということは、すべて階級があるので、ある程度の階級はなければ相応しないのであります。すべてのそういう種々な、いままでの欠点や、いままでの間違ったことを、本当の治ったやり方になってくるのであります。そういう新しい形式、新しい文化が生まれるんであります。

 これはずっと先の話ですけれど、観音会で将来、観音様から知らされたことなんですが、一つの都会を造るんであります。

 仮に十里四方の土地を買うとして、そこへ三里四方くらいの土地を造る。観音会員ばかりの都市を造る。病院とか警察とか裁判所など、そういう忌まわしいもののいっさいない都会。また、文化設備のあらゆるものを取り入れて、また、高壮な建築物もでき、劇場もでき、鉄道など交通機関も完備したすばらしいものができるんであります。これが大光明世界、地上天国の模型で、これが最後にでき、それを世界の人間に見せる。そしてそれを世界各国の都市が見倣うという具合になるんで……なるほど、今日の都会をそういうふうにするのは、改めたり壊したりたいへんであります。

 それで、観音会でそういう物を建設するんであります。あるいは小さい国くらいはできるかもしれません。そうすれば、あるいは支那辺りへ一国としてできるかもしれません。

 日本にも無論一つくらいできます。

 種々な経綸は、まだたくさんありますが、追々と少しずつにでもちょいちょいお話をする考えでありますが、まずこれからの方針と、最後の目的たる大光明世界の片鱗をときどきもらす場合がありますから、講話会へはできるだけお出でになったほうがよいと思います。そういう片鱗は雑誌へ載せませんから、知っておくことは結構と思います。

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