御講話 昭和13(1938)年1月26日 ※やむなく治療で立つ

 本当の宗教からいうと、着物の上からしなくてはならぬ。あれ以来、治療いっぽうでしなくてはならぬ。どうしてもやり方も変えて行かねばならぬ。今度初めてぜんぜん宗教やらない約束をしたから、治療いっぽうでやらなくてはならぬ。従って弟子も治療いっぽうでしなくてはならぬ。

 先の修業した人でも今度のやり方を知らねばならぬこととなる。故に、先の信仰的にやることとなると、ぜんぜん信仰心なく、知らぬ人には不安になった。病気の発見など、いろいろの点が不安があった。今度治療いっぽうだとよく判るし不安なく徹底してやれる。また患者も楽で大いばりでやれる。患者のほうも安心してまかせられる。故に、今度の治療のやり方でやれば、どうしても発展するわけである。故に、近ごろは治療士は忙しく飯食う暇さえないくらいになった。しかも、これは一晩だけ講義つければだいたい判ってしまうから手っ取り早い。

 先には字を書いた。やっぱり字を書いたほうが本当はよいが、ある場合には書かぬほうがよいときもある。故に、差し支えない限り書いたほうがよい。まわりに人がいるときは、かえって迷信臭く見られる憂いあり、先のように拝む形式はやらなくてよい。患者のほうも両方とも拝まぬ。



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