御講話 大日本健康協会発会式 昭和11年5月15日(筆記) ※観音様がやる。三六五日について。

観音様がやる 

 種々の運動の方法など、今後もできるであろうが、これは私がやるんでない。観音様がやる。ただ一つの道具に使われるようなものである。去年あたりは夢にも思わなかった。しかし時期が来ると、どうしても造らねばならぬこととなった。だから発展するにきまってる。だいたい、健康協会の目的は、無論病気をなくするというのだが、観音会だけですと非常に狭い。例えばキリスト教、天理教の人などは、観音様というと躊躇する。また、科学一点張りの人は迷信臭いとして触れようとはしない。そういう点から救われない人がたくさんできる。いままでは、救われる門が一つしかなく狭かった。今度はもっと広い。入りいいものが、も一つできたことになる。

 この間埼玉へ行った。あっちのほうでは、観音様を拝めば治るというのがいい。故に土地に合わしてやって行くのが応身の働き、つまり、観音様のやり方である。いずれは健康協会の本部ができるわけで、いまは家がないので見つけている。まだちょっと時期の早いため、これはという家が見つからぬ。時期が来れば観音様のほうでとっておいてあるように見つかる。もう少しだろうと思う

 運動の概略をお話するが、近き将来にそうとう大きな病院をこしらえる。病院というと言葉がおもろくない。療院とか、治療院とかいうのが本当である。名称は大日本治療院とか、治療所とかいうことになる。今日の病院のごときものをつくり、外来の入院などもすることになる。また、新聞雑誌へも出し、後援会などもいずれは生まれる。そしてできるだけ知らせる。というのは、ご承知のごとく現在の医学は、ぜんぜん間違ってる。決して病気は治らぬ。治るかのようにみせたり、信じさせたりしているが、絶対に治らず、非常な間違いで、それがために病人がますます殖える。病人が殖えれば死ぬ人は殖える。

 いまの子供で完全な健康はない。肺の素質、近眼、トラホームか胃腸が悪い。故にこれでほおったら、本当に日本はどうなるか判らぬ、健康の大非常時である。

 これを救うべく観音様がそういうことをおやりになるわけである。それには一人でも多く知らすこととともに治療士がたくさんいる。

 これが本当に社会に判れば、医者へかかるものがなくなる。医者で一月かかって百円くらいの入院料がかかれば、同じ病気を三日で十円以内で治る。早く治って時日が短いから、客は来るに決まっている。これが少しでも知れればたいへんなことになる。

 故に、講習を受け治療士になる方がたくさんいる。故に、そういう方は至急講習を受け、そういう人があったら観音様がしてくださること、また、完全人間を造ること、いずれ健康保険的方法もやる。例えば一軒一カ月二円なら二円出す。初期のときはただで治す。健康保険では、医者で二日や三日で治らぬ。こっちへ来れば官民ともに助かる。よく保険で病気が治らず、間に合わぬことがある。そういうのは、こっちでは充分間に合って、首になったりなどしなくてすむ。で、そういう方法で治し、たくさんの人が救われて行くことになれば、本当に病人はなくなる。歴史あって以来、おそらくこういう大事業はないと思う。

 これは、観音様のお知らせになってることだが、東京に十カ所、全国に百カ所、全世界少なくとも千カ所できる。そのうち病人がなくなり寿命が延びる。世界中の人民は百以上生命が延びる。まるで夢のようなことだが、決して架空でもなんでもない。現にいま、やりつつある。いま、小さくやってる。大きくやればその通りになる。このことを考うれば、いままでのキリストや釈迦のやってることは、小さなことと思う。実に全人類が救われる時が来たというよりしかたない。

 観音力の療病と現代医学の間違ってるのとの比較を判りやすく書いた。これでいかに間違ってるかが判る。間違っている急所である。

 健康の種類と医学の盲目、これなど『健康』などにどしどし発表する。これが急所なんであります。

 昨晩もある陸軍の軍医官の話で……

 二年も悪い、肺が悪いとお医者に言われ自分もそう思ってる。みると肺も胃もなんともなく、水膿の溜結がお腹に溜まってる。喘息で咳が出てる。いままで肺に異常があるとしていた。私は一カ月くらいで治ると言って引き受けた。そういうのは働きながら治す。そういうのは、薬とか滋養物とか、安静療法などすると、少しずつ少しずつ悪化し衰弱して死んでしまう。これに気づかず医学は進歩したとありがたがっている。実に恐ろしい。極端にいえば殺されてありがたがっていることである。

 この話のは一人と一人とのことだからさしたることないが、また防止する方法もない。医学は治されるもの、治せるものと思わせているが、事実は悪化させ殺されるもので、これほど恐ろしいことはない。

 ちょうど、共産主義者も人類社会の大罪を救うべき良いことと思い、生命をかけてやった時代があった。それと同じことである。否それ以上で、共産主義はいいと思っている。

 ちょうど、二・二六事件の「兵に告ぐ」とある、お前らが正しいと信じている、それが大いなる誤りである。これが当てはまる。いいと思ってやること、それがたいへんな誤りである。

 いま、人類救済の根本は、これ以上のことはない。これをもってみても、観音様が助けられるわけはたいへんな結構なことで、千手観音様の生まれたわけなんであります。

 その意味によりみなさんもこれ以上結構なことはないから、大いに覚悟されんことを希望してやまぬところで、健康協会によって治った場合、不思議だという気持ちを必ず抱くにきまってる。これは観音様が観音力で治されたと言うと、ぜひ拝みたいということになり、信者になる……という具合に非常に広い門ができたわけであります。そして結局観音様の信者が殖える。だから、実に観音様はうまくやるものだというと変だが、巧妙におやりになると思って感心するわけであります。

 観音運動については、始終東京本部でもお話しているが、くわしくお話する必要はないと思う。観音様の御目的とミロクということについて、簡単に説明しようと思う。それについて論文を書いておいた。

 光明世界という別の方面から説いた「獣性より神性へ」これは、いままで『光明世界』などにも出ているが、ちょっと説き方を違えた点があります。

 つまりその大きな、いよいよ世界完成時代は、観音様が全部やる、私がやるんでもなんでもない。だから、今後私がやることを悪いというのは、観音様を悪くいうことになる。

 この前本部の建物となるべきもの二軒、もっかあいてる。二、三年もあいてる。私の行った前の日、見に行った人がある。で延び延びになり、私も気づいたが、発会式をしなくてはならぬと……で、麹町のいまの本部でなくてはならぬというお知らせがあり、発会式をすることにした。

 ところで、東京本部の隣の地所があいた。ここへやるといいと思った。権利はだいたい六十円ということで、なんとかしたいと交渉したら貸さないと言う。やはり観音様はいけないと言うのだなとやめた。ところが、二・二六事件のとき、あそこが中心となり、買わなくてよかったと思った。危険な所だと思った。今日考えると、あすこへ宗教的な建築は許さぬものと思う。

 今度、健康協会としてよさそうな家があり、交渉すると不思議にうまくゆかぬ、また発会式がすんでからでなくてはならぬと思った。そういうように、仁斎個人で考えることはみんな駄目で、観音様のお知らせのことはとてもスラスラできる。で、私個人の考えと観音様との使い分けすることがよくある。そういう具合でいかなることもすべてキチキチと観音様がやられる。後になってみると、一糸乱れず観音様がやられてることがわかる。そこにおもしろいところがある。

三六五日ということについて


 三六五日ということについてお話するが、一年は三六五日、何分何秒ということになっているが、三六五日と定ってるところに非常に神秘がある。今度できる光明世界の一つの暗示になっている。三六五日だから、三・六・五、すなわち三六、ミロク、五は五大州、日は統一ゆえ、ミロクの前に五大州が統一さるることとなる。三六は三六九を差す。本当書くと三六九と書くのが本当である。三六九は合計十八となる。三六も十八となる。六を三つでも十八である。三を二倍して六、三倍して九、三を三つ重ねる意味にもなる。だから、結婚のときの三三九度もそういうことから出てる。支那人の礼拝は三拝九拝という。

 また、五六七も合わせれば十八になる。昔から観音様の御命日は十八日になっている。観音様のお堂は十八間四面になっている。一寸八分ということもみなそういうわけで、ミロクということは完成世界の姿で、これは観音講座でお話したが、すべてが三段になる。

 いままでは二段の世界で、一段足りなかった。故に、今度はこれが三段になる、今度は二段が三段になる。これからできる世界が三三ガ九。いままでは二二ンガ四――ニシである。故に、いままでは二千世界だった。二が、西が支配したのはそういう意味からでもある。決して偶然ではない。よく神道によっては二つずつ手を叩く、それはやはりそういう意味である。

 観音会は三つ叩く、故に、今度は一段殖えるわけである。その一段殖えるのが日本文化が加わることになる。

 今日までの文化は月と地で、今度日が出て日が加わる。日すなわち日本である。いままでは日が下で地が上になっていた。地がアジア諸民族、アフリカの土民など、白人は月の系統の人種だから、いままでは月の文化と土の文化だった。キリスト教は月の宗教だった。いままでは月と地だった。数からいうと、月は六、地は七ゆえ、六と七であり、月と地……その上に日が乗るのである。日は五である。それで五六七となる。五六七をミロクともいう、すなわち完成世界である。

 釈迦は五十六億七千万年と言った。五六七とすると、あまりはっきりするから、十と億を入れたのである。これはあまりはっきりしたのでは、経綸ができなかったのである。

 それで、ミロク神とか、ミロク仏とか……そういうものが出るんでない。ミロク菩薩は釈尊のときに出た。で、ミロク完成世界の形は三三三となる。も一つの意味は月の数は三五の月といって、三五の数である。その三五へ日が一つ加わる、それで三六となる。いま、まだ時期が早いから、その神秘はとけない。もう一つ、三年ほど前の昭和八年、十五日と二十日の日に月が金星と土星を呑んだことがある。これは、ミロクに関して神秘がある。あの日の月は四日月である。三五の月は三日月をさすので、月そのものは三五で、月の一番照ってる(張ってる)のが、三五の十五の満月で、その三五の月へ四日月ゆえ一加わる。一つ加わると日月ということになるのであって、金星と土星ということは、あらゆる物質ということになる。

 この翌年に皇太子殿下お生まれになり、その御名には日月がついた明仁となった。これにはよほど関係があると思う。

 ミロクということは、だいたいそういう意味があります。

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