日々雑感

メシヤ講座「長年の錯覚、勘違いを発見できる 」を読み返し思う事

代表はこのようにずっと”『夜の時代』の精神の癖”のお詫びについてお話しされていたのでしょうか・・・?。今頃私は、漸く”お詫び”とはなんなのか、なぜ必要なのかなど考えるようになれました。
大経綸

『文明の創造』総篇  悪の発生と病 (文創 昭和二十七年)

前項の如く悪の九分九厘に対して、善の一厘が現はれ、絶対神力を揮って既成文化を是正すると共に、新文化を打ち樹てる。早くいえば掌を反えすのである。之が今後に於ける神の経綸の骨子であって、其破天荒的企図は想像に絶するといってよかろう。
文明の創造

『文明の創造』総篇  悪と守護霊(文明の創造  昭和27年)

前項の如く、現在迄必要であった悪が、不必要になったとしても、そう容易(たやす)く追放される訳にはゆかないが、それに就(つい)ての神の経綸は寔(まこと)に幽玄微妙なるものがある。之は追々説いてゆくが、茲(ここ)で前以て知らねばならない事は、抑々(そもそも)宇宙の構成である。
日々雑感

「お金に不自由をしない御守り」・・・?

光が段々強くなってからいただいたお守りは、病気だけではなく、有り難くも「病貧争」をなくしてくださる、光の強いお守りになってきていた
御講話など

御講話 昭和10年5月11日

観音様の御目的は、病貧争をなくするのであります。でそのうちでも、一番肝腎なことは病気なんであります。
みあとしのびて

[みあと]京都嵯峨 清涼寺拝観 三国伝来の生身のお釈迦様(国宝)

メシヤ様は「ここの仏像は非常に変わってるよ」と一度ならずおっしゃられていたと、”みあとしのびて”の本にに載っていましたが、下記の引用文を始め、二年後の昭和28年には絹で縫われた五臓六腑などが仏像の体内に入っていたことがわかり、驚かれたとの事です。
第三篇「霊界叢談」 

精神変質症 (自観叢書三 昭和二十四年八月二十五日)

症状からいっても精神病者とは受けとり難く、普通人と違はぬ思想も常識も備えてゐるが、唯だ意志通りの言葉や行動が出来ないだけである。此原因は多分前生時代、深刻に苦しめた相手が再生の彼に対し、その復讐をしてゐるのであらう
第三篇「霊界叢談」 

憑依霊の種々相 (自観叢書 昭和二十四年八月二十五日)

此男も霊媒として優秀なる資格者であった。此男は大酒呑みで酔ふと精神喪失者同様、物の見境ひもなく、一文の金も持たずして近所の酒屋を一軒々々飲み廻るのであるが、その尻拭ひを親父がいつも、させられるといふ
日々雑感

[日々雑感] 病気の原因は罪穢!?

拠り所の教えとするならば、本当は教えの全文を出すべきでは無かったのではなかったのか?。一番最初に抜粋させていただいたような内容の御教えを知らずに、分院とか療院建設とか言われても、肝心のメシヤ様の想いは信者さんに理解されることもなく、教団から出された独自の経綸を信奉してしまう事になっていたのではと思います。
御講話など

御講話 昭和10年5月1日 ※罪穢を除る機械ができれば、病気はみんな治る

病気の原因は一つですから、その病気の原因というのは罪穢であります。それで、その罪穢を除(と)る機械ができれば、病気はみんな治るのであります。治す方法は一つなのであります。その人の弱い所へ罪穢が溜まり病気になるのですから、その罪穢を除る薬なり、機械ができればよいのであります。それは、薬や機械では除れぬ
第三篇「霊界叢談」 

グロ的憑依霊 (自観叢書三 昭和二十四年八月二十五日)

之は頗るグロで興味のある憑霊現象であった。確か昭和八年頃だったと思ふ。当時四十二歳の男、仙台の脳病院へ入院加療したが、更に効果がないので東京の慶応病院に診療に来たのであった。処が此男の症状といふのは頗る多種多様でグロ極まるものである。特に最も著しいのは普通人には見られない高熱で、体温計を挾(ハサ)むや忽ち体温計の最高である四十三度に昇るのである。
第三篇「霊界叢談」 

狐霊と老婆 (自叢三 昭和二十四年八月二十五日)

此意味によって現世に於ける職業、例えば遊女は狐、芸妓は猫といふやうに、相応の運命に墜ちるのである。従而人間はどうしても人間として愧(ハズカ)しからぬ行為をなすべきである。
御講話など

御講話 昭和10年4月17日

西洋医学と日本医学とは、ぜんぜん相反するものにして、その差は日の出ずる国と日の沈む国との差あるほどの相違である。
御講話など

御講話 昭和10年4月11日

なにが人間は結構であるかというと、まずなによりかより第一番に健康であることは、いつもお話することであります。たとえ、いかなる結構な宗教や救いが出ようとも、人間を健康にする力がなかったら、決して結構な宗教でも救いでもない。
第三篇「霊界叢談」 

化(バケ)人形 (自観叢書三 昭和二十四年八月二十五日)

以前私が扱った化人形といふ面白い話がある。或時私の友人が来ての話に、「化ける人形があって困ってゐるから解決して貰ひたい。」と言ふのである。私も好奇心に駈られ兎も角行く事にした
第三篇「霊界叢談」 

広吉の霊 (自観叢書三 昭和二十四年八月二十五日)

私は霊的研究と治病の実験を併せ行はふとした最初の頃である。それは十九歳になる肺患三期の娘を浄霊した。二回の浄霊で些か効果が見え第三回目の時であった。私が浄霊にかかると側に見てゐた娘の母親であるM夫人(五十歳位)が突然起上って
文明の創造

総篇 天国建設の順序と悪の追放( 文明の創造 昭和27年)

抑々、此世界を天国化するに就ては、一つの根本条件がある。それは何かといふと、現在大部分の人類が心中深く蔵(かく)されている悪の追放である。それに就て不可解な事には、一般人の常識からいっても悪を不可とし、悪に触れる事を避けるのは勿論、倫理、道徳等を作って悪を戒め、教育も之を主眼としてをり、宗教に於ても善を勧め、悪を排斥している
日々雑感

[日々雑感]少し気になる夢をみました。

松果体については、詳しくはまた検索して調べていただけたらと思うのですが、簡単には人間には「第三の目」というものが存在するらしく、退化しつつあるけど、活性化する事で超能力を発生させられると言う事もいわれているらしいのです
第三篇「霊界叢談」 

天国と地獄 (自観叢書三 昭和二十四年八月二十五日)

天国は曩に述べた如く上位の三段階になっており、第一天国、第二天国、第三天国がそれである。第一天国は最高の神々が在しまし、世界経綸の為絶えず経綸され給ふのである
御講話など

御講話 昭和10年4月5日

天津金木(あまつかなぎ)は、天照大神様が押し込められしためお身代わりとしてお作りになり伝えられたるものにして、これが判れば、森羅万象すべてのことはみな判るのである
日々雑感

時々不具合があり、お詫び申し上げます。

春の花 秋の紅葉(もみじ)もみじを 愛(め)づるこそ 神の恵みに応(こと)ふるなりけれ
御講話など

御講話 昭和10年4月4日

仏が滅することもすべて知られたるために、「仏滅の世が来る」とお説きになり、この世は火宅だなどと申されたのであるが、その実は、仏の時代のことであって、一度観音様がお越しになれば、この世は救われることもご存じになられたから、時期の来るまでを仏教により少しでも善いほうへ導くようにと弘められたまでであった
第三篇「霊界叢談」 

死後の種々相 (自観叢書三 霊界叢談 昭和二十四年八月二十五日)

死にも種々あるが、脳溢血や卒中、心臓麻痺、変死等のため、突如として霊界人となる場合があるが、何も知らない世人は病気の苦痛を知らないからむしろ倖せであるなどというが、これらは非常な誤りで実はこの上ない不幸である。それは死の覚悟がないため霊界に往っても自分は死んだとは思わず相変らず生きていると想っている
御講話など

御講話 昭和10年2月11日

観音会の仕事は、人間の心の岩戸を開ければ、世界中開かれるのであります。宇都売之命(うづめのみこと)が踊って神々様を笑わせますが、観音会には笑いが必要なのであります。なぜかと申しますと、議論や説教では岩戸は開けません。笑いはにこやかであります。笑い合うようでなければ心の岩戸は開けません。議論や小言では逆に岩戸がしまってしまいます。
岡田茂吉について

祖霊と死後の準備 (自観叢書三 昭和二十四年八月二十五日)

世間よく仏壇を設置するのは長男だけで、次男以下は必要はないとしてあるが、これは大きな誤りである。何となれば両親が生きているとして、長男だけが好遇し、次男以下は冷遇または寄付けさせないとしたら、大なる親不幸となるではないか。そういう場合霊界におられる両親は気づかせようとして種々の方法をとるのである。そのために病人が出来るという事もあるから注意すべきである。
みあとしのびて

[みあとしのびて]最後の御巡教地となった吉野。吉野神宮に参拝

私たちには、霊的な御因縁というような事はわからないが、お車がお社の前で、故障もしないのに動かない。その不思議さ。御神霊が明主様の参拝をどんなに待たれたことか。天皇の悲劇的なご生涯と思い合わせて
第三篇「霊界叢談」 

霊界と現界(自観叢書三 昭和二十四年八月二十五日)

そもそも人間とは肉体と霊体との二原素から成立っており、人間が死するや霊肉離脱し霊は直ちに霊界に入り霊界生活が始まるが、離脱の場合極善者は額から、極悪者は蹠(あし)の爪先から、一般人は腹部の中央臍部辺から霊は脱出するのであって、
第三篇「霊界叢談」 

霊界の存在(自観叢書第3篇『霊界叢談』昭和二十四年八月二十五日)

人間は何がためにこの世に生まれて来たものであろうか。この事をまず認識せねばならない。それは神は地上経綸の目的たる理想世界を建設せんがため人間を造り、それぞれの使命を与え、神の意図のままに活動させ給うのである。原始時代から今日のごとき絢爛(けんらん)たる文化時代に進展せしめたのも、現代のごとき人間智能の発達もそれがために外ならない。
大経綸

自観叢書第3篇『霊界叢談』序文 昭和24年8月25日発行

そもそも今日学問も人智も進歩したというが、それは形而下の進歩であって、形而上の進歩は洵(まこと)に遅々たるものである。文化の進歩とは形而上も形而下も歩調を揃えて進みゆくところに真の価値があるのである。文化が素晴しい進歩を遂げつつあるに拘わらず、人間の幸福がそれに伴わないという事は、その主因たるや前述のごとく跛行的進歩であるからである。これを言い換えれば体的文化のみ進んで、霊的文化が遅れていたからである。
文明の創造

総篇 既成文化の謬点(びゅうてん) (文明の創造 昭和27年)

天の時来って絶対力を与へられ、其行使による人類救済の大使命を帯びて出顕したのが私である以上、私によって真理の深奥を説き、人類最後の救ひを実行すると共に、新文明世界設計に就ての指導的役割をも併せ行ふのであるから、実に全人類に対する空前絶後の一大福音(ふくいん)である。
栄光

⦿(ス)の文化(栄光173号 昭和27年9月10日)

言い換えれば九分九厘の悪を一厘の善の力で往生させるという意味である。恰度○全体が黒く塗りつぶされようとする時、チョン一の力で、反対に黒を消して白全体にして了うので、之を世界的にいえば空虚な文明に実を入れる。即ち魂を入れるのである
日々雑感

「文明の創造」の掲載によせて

御教えは信徒が良くわかるようにという、信徒の為に書かれたものであり、ただ、「文明の創造」は、一般の有識者に向けてメシヤ様がお書きになられたのではないかと思えます。bu
御光話録

御教え*言霊学(御光話録 昭和23年10月18日)

言霊学上ア行以下各行の働き、意味につき御教示を御願い致します。
文明の創造

『文明の創造』 総篇 「序文」( 昭和二十七年)

此の著は歴史肇って以来未だ嘗てない大聖著であり、一言にしていえば新文明世界の設計書であり、天国の福音でもあり、二十世紀のバイブルといってもよかろう。即ち現在の文明は真の文明ではなく、新文明が生まれるまでの仮の文明であって、聖書にある世の終りとは、この仮定文明世界の終りを言ったものである。また今一つの“普く天国の福音を宜べ伝えらるべし、然る後末期到る”との予言も、この著の事であろう。
光明世界

話上手より聞上手 ( 光明世界二号 昭和十年三月四日)

次に相対する場合何処までも先方を上座にコチラは下座にゆかなければ駄目だ。処が往々先生と言はれるようになるとブリたがるもので此の点大いに注意すべきであ
東方の光

全人類待望の炬光 大聖観音力の顕現 併而仏説の開扉 (東方の光三号 昭和十年二月二十三日)

古来仏誕の国、印度に於いて面白い伝説がある。正法千年、像法千年、末法千年であって、今日は正像の二千年が過ぎ、已に末法に入って六百年を経過してゐる訳である。
日々雑感

「メシヤ講座」掲載雑感

私も久し振りに読ませて頂くと、楳木代表が、みんなの思考を何とか宇宙大に広げたいと思われて話されていたのだなーということがよくわかりました。
光明世界

余が発見せる風邪の原因と其療法 (光明世界一号 昭和十年二月四日)

医学は、非常に進歩したといふ。然し乍、罹病率の王者を占め、また重病の先駆的危険を有する風邪(カゼ)の原因が未(イマ)だ、発見せられざると言ふに至っては、甚だ以て心細い限りと云はざるを得ない。然るに、余は数年来、独特の神霊療法を施行中、終に、此の風邪の本体を掴み得た
メシヤ様の生涯

千手観音の霊写真に就て (光明世界一号 昭和十年二月四日)

昭和九年十月十一日、午後二時頃、全く未知の人、東光男なる名刺を持って、面会を求められた。余は、その姓名を見るや、興味を覚へ、早速、面会に及び、其来意を訊ねたるに、同氏曰く、「自分は予(カネ)てより、霊感に依って「観音力所有者」を探しゐたり、而(シカ)も本年は、自宅より東方に方(アタ)って、見当るとの霊感ありて、
大経綸

金龍物語 (口絵霊写真の解説) (光明世界三号 昭和十年五月二十一日)

八大龍王の上に、一の主龍神が被在(アラ)れた。御本体は、伊都能売神龍と申上げ、実は、高貴なる御神霊が、黄金の龍体と化せられ、琵琶湖の湖底深く潜み給ひ、八大龍王と倶に、時を待たれ給ひたのである。
大光明世界の建設

大光明世界の建設 --会主仁斎先生の御話-- (光明世界一号 昭和十年一月一日)

大光明世界といふのは、読んで字の如く「観音の光」に依って、闇のない世界が出来るのであります。闇の無い世界と云ふ事は、苦み悩みのない世界、罪悪のない世界であります。斯ういふ世の中が来ればいゝ、斯ういふ世の中を造り度いといふ事は、何千年前からもろもろの聖賢、或は大宗教家等が大いに教を説き、骨を折ったんであります。所が、そういふ世界は、今日まで出来なかった、
観音講座

観音講座 第三講座「観世音菩薩の本体」

イエスをキリストでないと言う事を見破った者ありて、あれは偽のキリストであると皇帝に告げた。その者を生かして置いたら非常なる間違いになると言う見地からイエスを磔刑にしたのである。イエスは素盞嗚尊が以前罪を犯した為、黄泉国へやられた。その罪を赦して戴くために大きな功をたてなければならん、その贖罪をなされたのである。それ故イエスは贖罪主である。人類の罪の代表者なのである。人類のお詫びの代行者なのである。
大光明世界の建設

大光明世界の建設 罪障消滅 (光明世界二号 昭和十年一月十一日)

個人的にも家庭的にも世界的にも不倖せ難渋が増えても減る事がないのであります 詰り之は何処かに間違ってゐる点が有るに違ひないのであります。ところが、今度「東方の光」即ち観音力に依って、そういふ一切の不倖せの原因が判り、随而不倖せのない世界が出来るのであります。病貧争のない世の中、病貧争、之が完全に無くなって了ふのである。
大光明世界の建設

大光明世界の建設 真のミロク (光明世界二号 昭和十年一月十一日)

仏の世は必ず滅する。そして仏滅後に弥勒が現はれる。それからが初めて五風十雨の正しい世、苦悩のない五六七の世が出現すると予言されて居るんであります。であるからお釈迦様も、ミロク出現迄は苦の娑婆であるから夫迄は多くを望むな、諦めてをれとお説きになられたのが仏法の根本であります。
大光明世界の建設

大光明世界の建設 光明如来 (光明世界二号 昭和十年一月十一日)

 観音様は別名光明如来と申され、光に依って一切を救はれるのであります。今日迄の宗教は罪障消滅するには非常な努力をしなければならないのでありまして、それでもなかなか一生懸っても消滅は六ケ敷かったんでありますが、それが今度は観音様に依って至極簡単に罪障消滅が出来るんであります。何故かと言へばそれは大きな光であって、光で出来るんであります
観音講座

観音講座 第二講座 「宗教の根源と救世主の出現」(昭和十年七月十五日)

地上の御経綸については、初め国常立尊(くにとこたちのみこと)が善一方の世界を出現させるべく御経綸遊ばされたが、余り厳格なりし為諸々の神様が非常に煙たがり反対された為にこれは失敗し、いよいよ善悪二通りで進む事と今後なるのである。二千六百年以前神武天皇に御神勅ありて日本統治をなされた。
大光明世界の建設

大光明世界の建設 御霊光 (光明世界二号 昭和十年一月十一日)

「神体」を書く場合、「観音光」が私の手と筆を通して文字の中へ入って行くんであります。それが為に文字やお像から絶えず光を放射するんであります。その光に依って一家の罪障が除れるんであります。罪障とは、罪の障りと書くんで、此の障りが解消して行くんであります。
岡田茂吉について

『天国の福音書』 序文  救世(メシヤ)教とは何ぞや       (天国の福音書 昭和二十九年八月二十五日)

この文を書くに当って、前以て断っておきたい事は、我がメシヤ教は純然たる宗教ではないのである。と言っても、一部には宗教も含まれてはいるが、全部でない事は勿論である。では、何故メシヤ教の名を附けたかというと、何しろ有史以来夢想だもしなかった処の劃期的救いの業である以上、止むを得ずそう附けたまでであって、特殊の名前を附けるよりも、この方が分り易く親しみ易いからで、これを卒直に言って宗教以上の宗教、即ち超宗教であり、空前の救いの業と思えばいい

大光明世界の建設

大光明世界の建設 光の活動(光明世界三号 昭和十年一月十一日)

私が書いた、御神体は、観音様が直接に、お拵(コシラ) えになられると、言ってもいいのでありますから、此の御神体の強い光に遇へば、一家の暗黒即ち曇は、どんどん解けて、明るくなるんで、実に簡単なんであります。
信仰

大光明世界の建設 本然の道 (光明世界三号 昭和十年一月十一日)

観音様を信仰すれば、病貧争が無くなる斗(バカリ) でなしに、未(マ) だまだ重大な御蔭があるのであります。それは何かと云ふと人間としての「真の道」が判るのであります。あらゆる階級−−あらゆる職業、凡ての老若男女は、各々天から定められた「本然の道」があるのであります。
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