[みあと]京都嵯峨 清涼寺拝観 三国伝来の生身のお釈迦様(国宝)

 昭和26年5月30日は、メシヤ様が関西地方御巡教の旅をお初めになられた最初の年であり、関西における行事の一日目です。午前と午後の2回に亘って東山の法然院で関西地方の信者さんへの御講和があり、その合間を縫って釈迦堂(清涼寺)、住友美術館、桂離宮、苔寺、竜安寺をお巡りになられたようです。

今回、紅葉の桂離宮と清涼寺を訪れました。

桂離宮のお庭

桂離宮は良く手入れされた素晴らしいお庭でした。拝観申し込みが必要です。インターネット申し込みが一杯で申し込みできない時は、葉書で申し込む方が無難のようです。

清凉寺(嵯峨釈迦堂)仁王門

 清涼寺(嵯峨釈迦堂)は国宝、重文などの仏像がたくさんあり、びっくりしました!
丁度、特別公開していたので、秘仏の国宝の釈迦如来像を拝観させていただくことが出来ました。

本尊 国宝 三国伝来釈迦如来立像 
ポストカードより

2メートル近い仏像は釈迦が37歳の時修行にでられ、残った人々があまりにも淋しいので釈迦に似せてつくられたもので、釈迦が戻られ、見て喜ばれたとのことで、これが初めての仏像と書いてあったと思います。それもインドからチベットなどを経て中国へ入り、日本へ来られたとのことです。
メシヤ様は「ここの仏像は非常に変わってるよ」と一度ならずおっしゃられていたと、”みあとしのびて”の本にに載っていましたが、下記の引用文を始め、二年後の昭和28年には絹で縫われた五臓六腑などが仏像の体内に入っていたことがわかり、驚かれたとの事です。

生身のお釈迦様が日本にやってきた経緯

このお釈迦様が、中国から日本に渡ってくるとき、ある霊験が伝わっています。この像を日本にもたらしたのは、奈良の東大寺の僧で、清凉寺を開山した奝然(ちょうねん)上人なのですが、本来は奝然上人が中国でこの像を模刻してそれを持って帰る予定だったのです。それが模刻像ではなく、本物がきちゃったんですね^^

なぜそのようになったのか?

奝然上人は、中国やインドにわたって、真の仏法を日本に持ち帰りたいという思いを持っていました。

中国の五台山を巡礼していた奝然上人は、インドから伝わってきたお釈迦様の像があると知り、許可を得てそのお像を模刻することにしました。

模刻像が出来上がり、日本に帰ろうとしていたある夜、奝然上人の夢の中で、本物像が「日本に渡って仏法を広めたい」と願い、模刻像と入れ替わったのです
そしてそのまま京都のの地にやってきたというわけです。

これは一説に過ぎませんが、釈迦の生き身であるということを強調するために作られた話でしょうね。

 寺社巡り.com 引用

私には”生き身の仏像”と云われる由縁がよくわかるような気がします。普通の仏像とは何かとても違った感じを受けました。若姫岐美尊様が日本にお帰りになられたかったのかな・・などと。

国宝 阿弥陀三
  ポストカードより 

こちらも大変立派な阿弥陀三尊像ですが国宝です。他に国宝や重要文化財など何体かあり、とても見応えがありました。合掌。

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