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精神変質症 (自観叢書三 昭和二十四年八月二十五日)

大体狂人は皆変質であるが、之は又珍らしい型である。此男は四十幾歳で、発病後五六年経た頃私の処へ来たのであるが、其態度も話しぶりも普通人と少しも変ってゐない。精神病者とはどうしても受取れないが、此男の語る所は次の如きものである。
私の腹の中には○○○といふ神様が居られ、神様の仰有るには、「お前はトコトンまで修業をさせるから、如何なる苦痛も我慢しなければならない。先づ第一金を持たせない。貧乏のどん底に落すから、その積りでをれ。」との事である。彼は元相当大きな石炭屋の番頭であったが、不況時代転業し不遇数年に及んだ頃発病したので、発病当初は何ケ月間殆んど寝たきりで、然も全身硬直し、便所と食事以外は身体が自由にならず床縛り同様であった。其時腹中の神様は「お前は修業の為寝てゐなければならない。此方がそうしてゐるのだ」と言ふ。其から一ケ年位経た頃漸く身体が自由になり、外出も出来る様になった。然し神様の御指図以外自己の意志ではどうにもならない。例えば、「今日はどこそこへ行け。」と神様が言ふので、その通りにするが、それ以外の方へはどうにも足が動かない。つまり神様の操り人形に過ぎないのである。その為多少蓄へのあった彼も漸次生活困難に陥り、遂に妻君の内職や子供の工場通ひ等で辛くも一家を支えてゐたのである。其内病気もやや軽快に赴いたので、元の主人である石炭屋へ再勤する事となった。これからが面白い。
彼の友人である某会社員がコークスが欲しいとの事で、彼は其を世話してやった。友人は非常に感謝し御礼の為と一日彼を某料亭へ招き、労を犒(ネギラ)った。其時謝礼として金一封を出されたが見ると金五百円也と書いてあった。貧乏の彼は喜んで受取らうとした刹那、腹の中の神様は、彼の意志と全く反対な事を喋舌らしてしまった。
「僕は礼など貰ふつもりで骨折ったのではない、斯んな事をするとは甚だ失礼ではないか、人を見損ふにも程がある。」と言ふので、先方は驚いて大いに詫び、それを引込めてしまった。彼は非常に残念だが仕方がなかった。それから別間で芸妓に戯(タワム)れようとすると、全身硬直して一言も喋舌れない、それから便所へ行き、用を済ませ出るや否や突然縁側で転倒した。神様は、「お前は金を欲しがったり、芸者に戯れようとするから、懲らしの為斯うしてやったのだ。」と言ふ。
或日主人が彼に向って、「君は成績が良いから給料を増し、支配人格にしようと思ふ。」といふので、彼は非常に喜び受諾しようと思ふや否や、神様は又逆の事を喋舌らせる。「僕は給料なんか問題にしてゐない。増す事は御免蒙る、又支配人もお断りする。」と言ふので主人も不思議に思ひ、撤回してしまった。又或時二十余歳になる主人の令嬢と面接し、世間話などしてゐると、神様は突如思ひもつかぬ事を喋舌らした。それは、「お嬢さん、僕とキッスしませんか?」と言ふので、これには彼自身も驚いた。勿論お嬢さんも仰天して部屋から逃げ出した、これらが原因となって店は馘になったのである。
其後、職業紹介所や知人などに頼んで、やっと職業にありついたかと思ふと、必ず先方を立腹さしたり、厭がらせるやうな事を喋舌るので彼も就職を諦め、家に閉籠るのやむなきに到った。そんな事を知らない近所の人達は妻君に向ひ、「お宅の御主人は何もなさらないやうだから、町会の役員になって欲しい。」と言はれる。神様は、「そんな事はならぬ」と仰有る。それに叛けば全身硬直といふ制裁を加えられるからどうする事も出来ないで毎日ブラブラしてゐる。神様に訴えると「お前はもっと貧乏で苦しまなければいけない。」と言ふので、いよいよ赤貧洗ふが如くになったのである。
以上のやうな訳で、症状からいっても精神病者とは受けとり難く、普通人と違はぬ思想も常識も備えてゐるが、唯だ意志通りの言葉や行動が出来ないだけである。此原因は多分前生時代、深刻に苦しめた相手が再生の彼に対し、その復讐をしてゐるのであらう。最近彼は全快して私の家へ礼に来たのである。

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