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霊層界 (自観叢書三 昭和二十四年八月二十五日)

霊界の構成は曩に述べた如く、天国、中有、地獄の三階段が三分されて九段階となっており、一段は又二十に分れ、一段階二三ンが六十段となり、三六十八即ち総計百八十段となる。私は名づけて霊層界といふ。
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神霊と仏霊・人霊 (自観叢書三 昭和二十四年八月二十五日)

私は茲で日本に於ける神界仏界の、種々相をかいてみよう。先づ神霊は高級なる程巨大であって、人間と同じ御姿である。唯だ御位により相違はある。普通は衣冠束帯で、最高級の神は紫の上衣に紅色の下袴、冠は纓を垂らしてゐる。
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龍神界 (自観叢書三 昭和二十四年八月二十五日)

龍神界などといふと現代人は荒唐無稽の説としか思はれまいが、実は立派に実在してゐるのである。それに就て私の体験から先にかいてみる
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天狗界 (自観叢書三 昭和二十四年八月二十五日)

先づ天狗界とは、各地の山嶽地帯の霊界にあって、天狗なるものはそれぞれ山の守護としての役を掌ってゐる。天狗界にも上中下の階級があり、主宰神としては鞍馬山に鎮座まします猿田彦命である。
第三篇「霊界叢談」 

地獄界の続き (自観叢書三 昭和二十四年八月二十五日)

これによってみると、霊界行も満更悪いものではないらしく、死ぬのも楽しみといふ事になるが、それには生きてゐる中に善根を積み天国行の資格を作っておかなければならないという訳である。
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生霊 (自観叢書三 昭和二十四年八月二十五日)

某大学生に霊の話をした処仲々信じない。「それなら僕に何か憑依霊があるか査べて呉れ。」といふので、早速霊査法に取掛った。
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夢と邪霊 (自観叢書三 昭和二十四年八月二十五日)

右両例とも邪神の妨害であったのは勿論である。前者は私から離反させんが為、後者は祭典に参拝不能にさせようとした為である。
第三篇「霊界叢談」 

精神変質症 (自観叢書三 昭和二十四年八月二十五日)

症状からいっても精神病者とは受けとり難く、普通人と違はぬ思想も常識も備えてゐるが、唯だ意志通りの言葉や行動が出来ないだけである。此原因は多分前生時代、深刻に苦しめた相手が再生の彼に対し、その復讐をしてゐるのであらう
第三篇「霊界叢談」 

憑依霊の種々相 (自観叢書 昭和二十四年八月二十五日)

此男も霊媒として優秀なる資格者であった。此男は大酒呑みで酔ふと精神喪失者同様、物の見境ひもなく、一文の金も持たずして近所の酒屋を一軒々々飲み廻るのであるが、その尻拭ひを親父がいつも、させられるといふ
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グロ的憑依霊 (自観叢書三 昭和二十四年八月二十五日)

之は頗るグロで興味のある憑霊現象であった。確か昭和八年頃だったと思ふ。当時四十二歳の男、仙台の脳病院へ入院加療したが、更に効果がないので東京の慶応病院に診療に来たのであった。処が此男の症状といふのは頗る多種多様でグロ極まるものである。特に最も著しいのは普通人には見られない高熱で、体温計を挾(ハサ)むや忽ち体温計の最高である四十三度に昇るのである。
第三篇「霊界叢談」 

狐霊と老婆 (自叢三 昭和二十四年八月二十五日)

此意味によって現世に於ける職業、例えば遊女は狐、芸妓は猫といふやうに、相応の運命に墜ちるのである。従而人間はどうしても人間として愧(ハズカ)しからぬ行為をなすべきである。
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化(バケ)人形 (自観叢書三 昭和二十四年八月二十五日)

以前私が扱った化人形といふ面白い話がある。或時私の友人が来ての話に、「化ける人形があって困ってゐるから解決して貰ひたい。」と言ふのである。私も好奇心に駈られ兎も角行く事にした
第三篇「霊界叢談」 

広吉の霊 (自観叢書三 昭和二十四年八月二十五日)

私は霊的研究と治病の実験を併せ行はふとした最初の頃である。それは十九歳になる肺患三期の娘を浄霊した。二回の浄霊で些か効果が見え第三回目の時であった。私が浄霊にかかると側に見てゐた娘の母親であるM夫人(五十歳位)が突然起上って
第三篇「霊界叢談」 

天国と地獄 (自観叢書三 昭和二十四年八月二十五日)

天国は曩に述べた如く上位の三段階になっており、第一天国、第二天国、第三天国がそれである。第一天国は最高の神々が在しまし、世界経綸の為絶えず経綸され給ふのである
第三篇「霊界叢談」 

死後の種々相 (自観叢書三 霊界叢談 昭和二十四年八月二十五日)

死にも種々あるが、脳溢血や卒中、心臓麻痺、変死等のため、突如として霊界人となる場合があるが、何も知らない世人は病気の苦痛を知らないからむしろ倖せであるなどというが、これらは非常な誤りで実はこの上ない不幸である。それは死の覚悟がないため霊界に往っても自分は死んだとは思わず相変らず生きていると想っている
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祖霊と死後の準備 (自観叢書三 昭和二十四年八月二十五日)

世間よく仏壇を設置するのは長男だけで、次男以下は必要はないとしてあるが、これは大きな誤りである。何となれば両親が生きているとして、長男だけが好遇し、次男以下は冷遇または寄付けさせないとしたら、大なる親不幸となるではないか。そういう場合霊界におられる両親は気づかせようとして種々の方法をとるのである。そのために病人が出来るという事もあるから注意すべきである。
第三篇「霊界叢談」 

霊界と現界(自観叢書三 昭和二十四年八月二十五日)

そもそも人間とは肉体と霊体との二原素から成立っており、人間が死するや霊肉離脱し霊は直ちに霊界に入り霊界生活が始まるが、離脱の場合極善者は額から、極悪者は蹠(あし)の爪先から、一般人は腹部の中央臍部辺から霊は脱出するのであって、
第三篇「霊界叢談」 

霊界の存在(自観叢書第3篇『霊界叢談』昭和二十四年八月二十五日)

人間は何がためにこの世に生まれて来たものであろうか。この事をまず認識せねばならない。それは神は地上経綸の目的たる理想世界を建設せんがため人間を造り、それぞれの使命を与え、神の意図のままに活動させ給うのである。原始時代から今日のごとき絢爛(けんらん)たる文化時代に進展せしめたのも、現代のごとき人間智能の発達もそれがために外ならない。
第三篇「霊界叢談」 

自観叢書第3篇『霊界叢談』序文 昭和24年8月25日発行

そもそも今日学問も人智も進歩したというが、それは形而下の進歩であって、形而上の進歩は洵(まこと)に遅々たるものである。文化の進歩とは形而上も形而下も歩調を揃えて進みゆくところに真の価値があるのである。文化が素晴しい進歩を遂げつつあるに拘わらず、人間の幸福がそれに伴わないという事は、その主因たるや前述のごとく跛行的進歩であるからである。これを言い換えれば体的文化のみ進んで、霊的文化が遅れていたからである。