『自観叢書』第3篇 「霊界叢談」 を掲載しています。 ▶️

千手観音様の霊写真に就て (光明世界一号 昭和十年二月四日)

 

 昭和九年十月十一日、午後二時頃、全く未知の人、東光男なる名刺を持って、面会を求められた。余は、その姓名を見るや、興味を覚へ、早速、面会に及び、其来意を訊ねたるに、同氏曰く、「自分は予(カネ)てより、霊感に依って「観音力所有者」を探しゐたり、而(シカ)も本年は、自宅より東方に方(アタ)って、見当るとの霊感ありて、其の地点は、麹町区に思へてならず、漸く尋ね得たり」との事。夫(ソレ)を聞いて「貴下の尋ぬるは余に違ひなし」と語り「余の肉体を通じて観世音菩薩が、観音力を現はさるる時となりたり」と、語れば、氏も大いに喜び其場に於て撮影を求められたり。
余も快諾し「応神堂」二階九尺の床の間に正座し、撮影されたるに、不可思議にも、口絵に在る如き「大霊光」迸出し、其の上段に白雲に端座さるゝ如く「千手観音」の聖像現はれたり。撮影の際はマグネシュウムの発光を用ひたる故、其の一秒の何分の一かの一瞬間に、為されたる霊光と聖像にして、如何に観音力の偉大不可思議力なるかは、想像を超越せりと謂ふべし。恐らく、今日迄の世界霊写真史上、空前の事蹟なるべく、随而之を「全世界の心霊及写真科学界」に、提供すべく目下準備中にあり。而して科学者は、如何に之を説明するや、其解釈は絶対不可能の事なるべく、之に関し神秘なる事あれば、其の前後の経路を、左に後の為め記し置くべし。
余は、一度は「千手観音の使命」を遂行すべき事を、数年前より啓示されゐたり。然るに、昨年九月の半頃、千手観音の画像を描くべしと、示されたるを以て、早速下絵を作り、翌十月五日より、幅五尺縦六尺と云ふ、尨大なる紙本に、筆を執り始めたり。是より先、赤坂田町に住せらる某氏夫人が、永の重病や其他に就て、非常な利益を戴かれ、それが為め頗る熱心なる観音会信者となられ、御自宅に観音様の部屋を設けるべく、三階に新しく一間を増築せられたり。
然るに今「千手観音の大画幅」を描筆するとなれば、応神堂にては来客繁くして、到底不可能なる故、如何せんかと煩ひ居りしが、恰(アタカ) も好し、前記夫人より右、新築座敷に於て描くべく申出でられ、大いに幸ひとして右の部屋に於て描き始めたり。それが約三分の一位描きし時、右の霊写真の事あり。然るに、余は霊写真に関係なく描き続けんとしたるに、間もなく其の家の主人公が、描きかけの千手観音像を過って破損せられたり。其時又霊示あり。写真に現はれたる通りの「千手観音」を描くべし、其為に主人公の手を以て、描きかけの画像を破損させたるなりと、故に霊写真に現はしたる通りに描くべしとの事なるを以て、急遽(イソギ) 下絵を作りて一週間にて描き上げたり。
茲に於て、最初の画像に比ぶれば、重大なる異点あり、前のは半裸体なりしも、今度は衣を纒はされ居り熱帯印度と異り、日本なれば衣を纒はされる事、当然なるべく、次は、前のは雲の上なるも、今度は岩上に座ませり。之も雲の上にては、天上なる故適当ならず、現界を救はせらるる以上、下津磐根に座するを至当なりとす。又前のは御頭(オツムリ)を「主としての円光」なりしを、今度は全体を包む「大円光」となれり。之もそれが実相に叶ふべきなり。而して東方の光の経綸の第一歩となりし、此の写真の撮影者の「東光男」なる姓名と思ひ比べて、寔に神秘幽幻なりと謂ふべきなり。

東氏が撮られた霊写真
霊写真を見てメシヤ様が御揮毫なされた千手観音様

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