『自観叢書』第3篇 「霊界叢談」 を掲載しています。 ▶️

金龍物語 (口絵霊写真の解説) (光明世界三号 昭和十年五月二十一日)

此霊写真にある龍体は余の守護神であって、特に神秘な謂れがあるから、詳説しやうと思ふ。時は、昭和四年四月二十一日、春波穏かに、夢の如く、霞立罩(タチコ) めたる、近江の国琵琶湖の湖上、須叟(シュユ) にして、時ならぬ一陣の突風、吹くよと見る間に、一大暴風雨と化し、哀れ、遁(ニ) ぐるに間とてなき、四十数隻の漁船は、転覆したのである(其事実は、当時の各新聞紙に掲載された)茲に、今より三千余年以前、天の安河原の誓約(ウケイ) に依て生れ給ひし、五男(ナン)三女(ジョ)の天津神が、或事情の為、隠れ身の止む無きに立至り、弥勒神政迄を限りとし、各々、龍体となって、日本を中心に、各方面の海洋湖水等に身を潜め、時を待ち給ひ居たのである。彼の釈尊が八大龍王を封じ込めたりと言ふ伝説は、斯事に外ならないのである。
然るに、八大龍王の上に、一の主龍神が被在(アラ)れた。御本体は、伊都能売神龍と申上げ、実は、高貴なる御神霊が、黄金の龍体と化せられ、琵琶湖の湖底深く潜み給ひ、八大龍王と倶に、時を待たれ給ひたのである。
茲に、愈々、天の時来りしを以て、湖水を後に、天空に向って一大飛躍をせんとしたのである。然るに、一方、邪神の頭目として永く露西亜(ロシア) の死海を本拠とし、常に、世界人類へ対って、悪の活動を続けてゐたる、一大赤龍があった。其大赤龍が、突如として、昇天せんとする、大金龍あるを識るや否や、大いに驚き、急遽、翔馳(ショウチ)し来り、是を妨圧せんとし、茲に、神龍、悪龍の一大戦闘は開始されたのである。然し乍ら、予期しなかった金龍の金剛力に、到底敵すべくもないのを知って、遂に惨敗した赤龍は、遠く本拠へ向って遁走し、爰(ココ)に此時の戦闘は終りを告げたのである。
此戦ひが、大暴風雨の原因であったのである。越えて、翌一ケ月後の五月二十日、当時、大森旧八景園に、在住し居たる、余が住宅の上空に、一時間余に渉り暴風雨、雷鳴があった。這(コ) は、曩の金龍が、余の守護神たらんとして来たのであって、此、雷鳴暴風は、余の居所(キョショ)の上空の邪気を浄化する為の活動に、外ならなかったのである。因みに、旧約聖書にある赤い辰即ちサタンは、前記の赤龍の事にして寓意的に書かれたる旧約聖書の予言が、実に偉大なる記録であり、全く神の啓示である事を知って余は驚いたのである。
其後、三年を経た、昭和七年春、前記の赤龍が、或人間に憑依し、余に対し、戦ひを挑み一大攻撃を加へ来ったのであるが、此時も、金龍の守護活動に依って、勝利を博し、事無きを得たのである。そうして、頗る執拗なのがサタンの特性であって、其後に至っても、次々、種々(シュジュ)なる人間に憑依し、凡ゆる手段を尽して、余の活動を妨害せんとし、常に金龍と対戦しつつあるのである。近くは昨年の秋も、或人々に憑依して、余を攻撃したのであるが、一時は余の敗北と観られたが、実は結果に於て、一大勝利を博し、反って、此時の赤龍の活動が、観音運動の促進に、与(アズカ) って力あったといふ、洵に、皮肉な結果に畢(オワ)ったのである。実に、大神の経綸こそは、人智を以て忖(ハカ)られざる、幽玄微妙なる事を熟々感じた事である。然し、神と悪魔の戦ひは、今後も持続し、両雄千変万化の智謀を揮ひ、策戦を練るべく、一面興味ある神劇とも言ふべきであって、そのスケールも、漸次、大となるべき事は今より想察し得らるるのである。
写真の龍体が、全身一定の太さを保ってゐるのは、不思議に余も思ったのであるが、啓示に依れば、神龍は右の姿が本当であって、其大きさも数尺に過ぎない様であるが、霊界に於ては、あらゆる霊は伸縮自在であり、特に龍体に於ては、何万尺の巨龍も僅々数尺になるのであるから、右金龍も如何に巨大な御姿なるかは、想像を絶するものありと思ふのである。次に又現存せる大蛇の類は、悪に属せし結果、長年月に渉り、種々(シュジュ)の生物を呑嚥(ドンエン)する為、口は裂け、顎部突出で、腹部は膨脹して、今日見るが如き、醜悪な姿となったのであるといふ事である。

*口絵写真がなくてすみません

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