大宅壮一という人 (栄光129号 昭和26年11月7日)

 この人は不思議な頭脳の持主である。今度も『東京日日』の「蛙のこえ」で、三回に亘って例の通り巧妙に私の悪口を書いたが、この人は20年も前から、親の仇のように私を狙っていて、根気よく時々私の悪口を新聞に出している。処が今度の記事は、今迄にない御念の入ったものであるので、よく考えてみるとこの間の彼の悪口に対し、教団の方で名誉棄損の訴えを起した為、口惜(くや)し紛れにかいたものであろう、といってまた訴えられるのは怖いとみえて、極力独断を避け、根拠らしいものを集めて、材料にしている点がよく分かるのである。

 ところで、その材料なるものは、昔の私の知人であった頭の少し変な人が、私を恨んで語ったらしい嘘の記事が、昨年某三流新聞に出ていたのをネタに使ったり、まだ白黒も判らぬ昨年の事件を黒と決めてしまって、悪口の材料にしたりしてデッチ上げたもので、何も彼も一方的に取上げて私の名誉を傷つけようとするのだから、こんな不徳義な行為をして何の利益があるのか、確かに普通の頭脳ではない事が分かる。だからこういう精神変質者を相手にするのは大人気(おとなげ)ないが、広い世間には立派なジャーナリストと思っている人もあるだろうから、それに瞞されないようにと筆を汚した次第である。

 ただ右のネタの内、信者の中で霊写真について真相を知りたい人もあるだろうから、この一つだけかくが、最初右の変な人が写真を撮ったところ、その翌日驚いて飛んで来た。それは不思議なものが映ったといって、乾板のまま見せに来たので、それがアノ千手観音様が写った写真なのである。また煙りのようなのは鏡に反射した為というが、その部屋には手鏡一つさえなかったのである。また龍神は誰が見てもハッキリしており、御本人もこれは正に龍神であるといって、不思議を繰返えし得々としていた位である。

 ではなぜこの様な嘘ッ八を新聞へ出したかというと、昨年私の著書の『奇跡物語』へ霊写真を出したので、その謝礼が欲しかったらしく、十六年振りで訪ねて来たが、気まりが悪いと見えて、明(あか)ら様に口へ出さないのと、私はその人を以前立派な人と思っていたので、そういう事をいうと侮辱になると思い、反って触れないようにしたところ、彼は私を、没分暁漢(わからずや)だと思って憤慨し、返報返えしの意味であったに違いないと想像されるのである。

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