『自観叢書』第3篇 「霊界叢談」 を掲載しています。 ▶️

大光明世界の建設 御霊光 (光世二号 昭和十年一月十一日)

 之から愈々此の観音会を機関とされて、観音様が観音力を揮はれるといふ事は、実に開闢以来無い事であって、人間では想像もつかぬ事で、之を成程と思ふ所まで話すのは、実に難しい事なんで初めて聞く人は不思議過ぎて迚(トテ)も本当に出来ぬ事が多いのであります。それ故私は加減して話してゐるんであって、実地有りのまんまを話すと、反って誇大妄想的に思はれやしないかと思ふんであります。ですから何よりも先づ一度御神体をお祭りして、拝んで下されば直ぐに判るのであります。必ず不思議な御霊徳を受けるのであって、お祭りをしてから時日が経つに随って一家にある事すべてが良い方へ善い方へと向って行くのは実に不思議なのであります。詰り病気が無くなり、金銭に困らなくなり、心配する様な問題等、すらすらと片付いて行くのであります。之はどういふ訳かと申しますと、大きな光に照らされるからであります。それに就いて最近斯ういふ話があります。或方が文字の観音様の御神体をお祭りされたんでありますが−私の所へ来て、聞かれますには、先生のお書きになった「文字の墨」には何かお入れになるんですか、と云ふのです。

  私は、イヤとんでもない墨丈で書くんです、と答えますとどうも奇体だ、お軸の大聖観世音と書いてある字が真白に光るんで、私は燐でもお入れになったのかと思ったんです。そしてジーッと拝んでをりますと、字が其儘白い光になって、その光った文字が脇の壁に有々映って、大聖観世音とその儘出るので之は暗い為であらうと、日の当る頃太陽の光を射す様にして見ても、矢張り同じやうに見える。すると此方(コチラ)の壁へ写ったかと思ふと又消えて、彼方(アチラ) の壁へ写る。そして大きくなったり小さくなったりする。そうかと思ふとお掛軸の上の方から紫の如(ヨ) うな、雲の如うな、光が出て来て種々の変化をする。詰りそれは瑞雲でありまして、その瑞雲が下の方からも湧き、彼方からも此方からも出て来るかと思ふと、彼方へ行ったり此方へ行ったりして、恰度ネオンサインの如うで、迚も綺麗で何時迄見てゐても飽きないと言ふのです。

  其に就いて私も詳しく説明して上げたので、やっと判られた様な訳であります。其お宅に一寸面白い話がありますから、お話します。その御婦人はどうして観音様をお祭りしたかと思ふと、その家に十位の男の子があるんであります。然し生れ付に言葉がはっきりしない。全然口が利けないのじゃなくて、ただはっきりしないのであります。アイウエオだけがハッキリ言へぬ丈で、後ははっきり言へるのであります。チョイチョイお出でになる裡に、恰度半分位良くなった時に、観音様をお祭りしたんであります。その子供は、最初頭に瘤があるから、それを熔(トカ)しました。それが荒方解けると最初来られた時には、ボーッとしてゐたんでありますが、非常にはっきりして来て瘤が除れる頃は眼付も大変よくなり頭もとても良くなって従って、学校の成績も驚く程良くなって来たんであります。段々査べてみると犬の霊が祟ってゐる事が判ったんであります。それは其の子のお父さんが犬を殺した事があるのです。アイウエオの音丈はっきり言へないと言ふ事は犬である事を証拠立ててゐるのであります。大抵の動物は七十五音の内どれか一種を発する事が出来るのです。

    犬は、ワヰウヱヲの音で、ワンワンと鳴き、ウーウーと唸(ウナ)り、足等踏まれたり、轢かれたりした時はヰーヰーと呻(ウメ)き遠吠えする時は、オーオーと鳴くのは、皆さんも御存じの通りであります。その他猿はカキクケコ、鼠はタチツテト、牛はマミムメモ、馬はハヒフヘホと言ふ様に各動物は一種の音声を特徴として神から与へられてゐるのであります。犬が祟って、憑ってゐる為に人間の舌や発声機関を使ふのは適しないから、その声丈がはっきりしないんで、又その頭の瘤は犬が殴られた所なのでそれが致命傷になったのであります。それが判ったから早速其の犬を私は祀ってやった所、病気もどんどん良くなって昨今は殆んど快くなったんであります。そのお母さんが光を拝まれたのであります。斯ういふお光は、大抵な方は拝まれます。その光りが種々あって色は金色紫色紅色等が多く、その中でも白金色が一番多いのであります。

      その訳は「神体」を書く場合、「観音光」が私の手と筆を通して文字の中へ入って行くんであります。それが為に文字やお像から絶えず光を放射するんであります。その光に依って一家の罪障が除れるんであります。罪障とは、罪の障りと書くんで、此の障りが解消して行くんであります。一軒の家に不倖せがあるのは、罪が障ってゐるからなんで、罪障の多い家程、それが一つの層になってゐて何時もお話をする、霊界、その家の霊界を暗くしてゐるんで、罪の多い程、其家の霊界は暗いんであって、 暗黒の濃い程悪魔が災害を与へやうとして、跳躍し易いのであります。悪魔は人間に隙さへあれば、災害を与へ苦しませやうと、絶えず、狙ってゐるもので、人間に病貧争の悩み苦しみを与へるのは彼等の天賦的本能とも言ふべきなんであります。故に暗い家程悪魔の力が強いといふ事は当然な事であります。

    暗黒の度の強い家と言ふ事は、一家に罪障が多いと言ふ事であって、罪障はすべて曇りになり、その曇りが暗黒を造るんでありますからそれと反対に正しい信仰をし、善を施し、徳を積めば、それが光となって曇りを減らして行くのであります。斯ういふ説明は信仰的でなく寧ろ科学的であると思ひます。それで観音様のお光は何んであるかと言ふと、太陽と月の両方の光を一つにした光なのでありまして、強さは太陽の光と同一でありますが、太陽の如く、眩しくなくギラギラ光らないのであります。又観音様のお光は金色と紫の光をよく拝む事がありますが、金色は表の光で紫は裏の光であります。詰り金色は日の光で紫は月の光であります。千手観音様の霊写真に私の腹の横から出てゐる光がその光であって、写真を御覧になった方は非常に強い光であるといふ事は想像が出来る事と思ひます。

タイトルとURLをコピーしました