茨木よし子さんの霊視日記を掲載しました。 

 霊視日記が掲載され、驚いていらっしゃる方もおられるのではと思っています。
メシヤ様が御在世中の刊行物に連載されていましたので、私たちに霊界のことを知っておくようにと云うことなのではと思い掲載する事にしました。
 2、3日前の夜、今年、HPに掲載していく内容を書き出して休んだのですが、朝起きがけにおかしな夢を見て少し気になっていました。その夢は、聖地に向かう電車のホームでのことなのですが、おかしな事に私はとても大きなリュックを背負っていて、それが重すぎて立ち上がる事も出来ないのです(笑)。
勿論電車にも乗れるはずもなくホームで尻餅を付いているような夢でした。(笑)
 ホームページに関係のある夢なのじゃないかなと思いました。今回昭和28年のお正月のお言葉や御詠を掲載させていただくにあたり、当時の「御教え集」や「地上天国」の冊子を読ませて貰っていたのですが、「地上天国」に茨木よし子さんの”霊視日記”が何回も連載されているのを見て、メシヤ様は晩年にも一貫して霊的なお話も多いし、かなり、有識者の方ともお会いしていらっしゃったけれど、社会的にマイナスになると言う事はなかったのかなーと、ぼんやり考えていました。
 夢を見た日、朝拝をしていましたら、自然に茨木よし子さんの事が浮かんできました。お恥ずかしい話、私は茨木よし子さんの事をあまり知らないのです。世界救世教での長い信仰生活でほとんど聞いた事がありませんでした。メシヤ教に来て、たまにお名前を聞くことがありましたが、具体的にどんな方なのか調べてもいませんでした。しかし、自観叢書  第三篇  霊界叢談 「序文」でも以下のように述べていらっしゃいます。

この意味において私は、霊的文化の飛躍によって、人類に対し一大覚醒を促がさんとするのである。とはいえ元々霊的事象は人間の五感に触れないものであるから、その実在を把握せしめんとするには非常な困難が伴うのである。しかしながら無のものを有とするのではなく、有のものを有とする以上、目的を達し得ない筈はないと確信するのである。

 そうしてこの霊的事象を信ずる事によって、いかに絶大なる幸福の原理を把握し得らるるかは余りにも明らかである。故にいかなる信仰をなす場合においても、この霊的事象を深く知らない限り真の安心立命は得られない事である

霊的事象を信ずる事」によって「幸福の原理を把握し得らるる」とおっしゃっていることは、霊界の事象を知らずして、世界メシヤ教はありえないという事だと思いました。
 初めて世にお出になられた救世主であられるメシヤ様がお亡くなりになられた訳で、メシヤ様亡き後、人間の存在で、どなたが中心に立たれても、それまでとは同じように「世界救世教」を運営できなかったのは当然の事だったのではないかと私は思いました。一宗教として、社会に迎合して、霊的な面が、段々、段々に片隅に追いやられるようになって、今では、かつてないほどのばらばらな教団が露呈されている現状ですが、これも霊界が必要があってされている事でしょうし、それぞれ信者が”メシヤ様と自分を見つめなす”ために与えられている好機のようにも思えてきます。
 長くなりましたが、霊視日記は宗教団体としてお出しするには、出しにくい面もあるかもしれませんが、個人的に過去の刊行物に載っていた興味深い記事を掲載させていただくということでしたら、あまり問題もないのではないかと思います。
 読みたい方は読まれれば良いし、読みたくない方はスルーしていただければと思います。
 ということで、少し気にはなりましたが、メシヤ様が出せとおっしゃっていらっしゃるような気がしたので今回から掲載することにしました。

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