[日々雑感]箱根神仙郷が国の名勝に指定される。現界はミロクの世に入っているのだろうか・・・?。

神仙郷 石庭

こんにちは、箱根に参拝させていただきました。
メシヤ様がご造営になられた箱根神仙郷が、いよいよ、国の名勝に指定されました。ヤッター!!

世界救世教発行の「大経綸」no.20https://sekaikyuuseikyou.or.jp/wp-content/uploads/2021/06/daikeririn20.pdfに詳細掲載されています。大経綸に紹介されている神仙郷があまりにも美しいので一部だけアップしておきます。

神仙郷マップ(大経綸no.20)


 同じく、メシヤ様を教祖と仰ぐ教団でも、箱根や熱海の聖地に行くことを禁じている団体もあるやに聞いています。岡田茂吉教祖が一人でも多くの人を天国へ誘いたいと、世界の地上天国の型として心血を注いで建設された聖地に、是非一人でも多くの方が身を置かれ、メシヤ様の御心に抱かれて欲しいものです。

 随分前の事ですが、神仙郷で奉仕研修に参加させて頂いたことがありました。

 あまり、霊感が強いとは言えない私ですが。研修の時は神苑内でご奉仕や研修に参加させていただき、終わって、神苑から一歩一般道に降りたった時、神苑内との霊界の違いをはっきり感じさせて頂いたことを覚えています。神仙郷の大変高い霊界に是非とも身を置かれてみてください。メシヤ様が良く来たなととてもお喜びになられると思うのです。

 何故、私がこんな事を言うかと言いますと、聖地である箱根神郷も熱海の瑞雲郷も京都の平安郷も、どの庭園も私が行くとたまたまなのかもしれませんが、大変空いているからです。私にとっては空いている方がそれは散策させていただくのに大変嬉しいことなのですが、メシヤ様がお亡くなりになる直前までご指示を出され、心血を注いで地上に天国の雛型をお造りになられた庭園。初夏は新緑が、初秋は萩が、そして秋の紅葉はまた素晴らしく、毎年テレビ放映もされるぐらいです。そんな地上の天国に身を置かさせてもらわないのはもったいな過ぎると思うのです。

 今回は、名勝に指定された為か、アマチュアのカメラマンが数人、熱心にお庭を撮影していらっしゃいました。

 さて、地上天国祭前後に、神仙郷に関する御教えを続けてアップしてみました。お読みいただきましたでしょうか?

 今回神仙郷関連の御教えを列挙させてもらったのは、神苑の深い意味を学ばせていただくと共に、現界が夜から昼の世界へ変わっていく段階を、わかる範囲で追ってみたいと思ったからです。

それで本当に日が出たのは、私の自観叢書にありますが、昭和六年六月十五日に房州の日本寺が始まりですが、あの時は霊界の奥の方、最奥霊界が黎明になったのです。今度は現界の霊界に日が出たのが一昨々年の私が庵原警察の留置所の中で、日が出たと言えばおかしいですが、非常に神秘があったのです。

御教え集23号 昭和二十八年六月十六日※世界にミロクの世が生まれた 

 庵原警察の留置所の中でメシヤ様のお腹の光の玉にチョンが入られましたが、それは現界の霊界に日が出たとおっしゃっています。では現界の体に日が出たのはいつなのか、現界の体にメシヤ様が御生誕されたのはいつなのか気になっておりました。

 メシヤ様は最後の関西御巡教から昭和29年4月14日にお帰りになられ、15日・16日・17日と信徒とのご面会を済まされ昭和29年4月19日に御浄化に入られました。

4月19日 午後2時突然脳溢血のような症状を起こし倒れる .,
4月23日 床の上に起きることが出来る状態となる。機関紙への執筆 揮毫 面会などを取     りやめ、静養に努める。
4月24日 この世の大峠の様子を見せられ悲しむ
4月26日 信者に対し今回の浄化の意義を録音して聞かせる .
4月 ー  左の掌の指先から付け根まで5本の鮮やかな線が表れる。また、側頭部の3ヵ所に黒髪が生え始める
5月 31日 阿部晴三執事をお宮参りの型として熱海伊豆山神社に参拝させる .,
6月 5日 おもだった教会長資格者を熱海碧雲荘に招集面会、メシヤ降誕について語る
6月 15日 救世会館にて「メシヤ降誕仮祝典」浄化後2カ月ぶりに信者と面会。
     参拝者数約10,000人。この日より呼称を「明主」より「メシヤ」に改めるが2ヶ月後もとの呼称に戻す
     終了後箱根観山亭に移る。箱根では毎日夕方車イスで庭を視察、美術品に目を通し美術館の展示品を自ら選ぶ

岡田茂吉全集年譜より一部引用

 私は昭和25年庵原警察署で岡田茂吉教祖のお腹の光の玉にチョンが入られた時、メシヤ様がお生まれあそばれたと単純に考えていましたが、黒髪が出てきたりしたのは、昭和29年4月に御浄化に入られてからのお言葉だった事に何年か前に初めて気づきました。そして28年7、8月の井上邸での御神事の後、9月の日光殿での秋季大祭で、光の玉は大きくなっているよ、日光殿ぐらいに大きくなっているとお話しされ、井上邸での御神事から十月(とつき)経って、ご浄化にはいられ、メシヤが生まれたとおっしゃられました。この時が現界の体にメシヤが生まれたということになるのでしょうか・・。

 阿部執事をお宮参りの型として熱海伊豆山神社に参拝させるということは、正にこの時、現界にお生まれになられたのだと思います。しかし、その当時の幹部たちはその事をまともに受け入れることができなかった・・・。それでまた、名称をメシヤ様から明主様に戻していただいた・・・と、言うことだったようです。

 岡田茂吉教祖のお体の中でメシヤ様が現界の体にお生まれになられたのでしたら、光の玉は体的にどんどん大きくなられるわけですから、岡田茂吉教祖のご肉体がそれに耐えられなくなるのは当然であり、私達人類の為に岡田茂吉教祖の御身体は御昇天あそばされたという事なのだと私は思います。

 いずれにしても、3千年前に昼の時代から夜の時代に入った時も徐々に夜になっていったのが歴史を見ても分かります。今は昼の時代に入り、徐々に夜が無くなり、昼に変わっていく過渡期の時であり、その事は世の中の動きからも見て取れますし、岡田茂吉教祖御在生当時と比べてみると、明らかに時代が昼に変わってきているのが良く分かるのではと思います。ただ、現世が本当にミロクの世になれるかは、私たち人間にかかっているのでしょうが・・・。

 話は途中で断ち切れの感が拭えませんが、どこまでも神秘は深く、現在の自分の立ち位置で考られる事を書いてみました。

 今思いつく範囲の関連する御教えを参考までに下記に添付します。お一人お一人、ご探究下さいませ。お互いにさらに尊い学びを許されて参りたいものです。

         八尾屋
 

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