*メシヤ 御垂示録3号昭和26年10月5日⑫

《お伺い》
 教導所をつくった場合に、一般に知らせるのに広告などはいかがでしょうか。

《御垂示》
 広告は要りません。そんな事をしなくても良い。理由を言えば、信者を連れて来るのは――信者になる人が来ますね。お客様がね。来ると言うのは神様なり、そこの家の先祖なりが連れて来るんです。だから広告を見なくても来るべき人は来る。大体ああ言うやり方は神様を冒瀆する事になる。按摩を開業したとか、歯医者を開業した、と言うやり方と同じだ。これは極端な話だが、金光教の信者で、広告とか、人にも宣伝しないと言う――極端ですが――何にもしない。何とかしたら良いでしょうと言うと、いや神様が連れて来るからと言う。二年間一人も来なかったそうです。それから一人来て、それからぼつぼつ来て、大変に繁昌したというんですね。これは極端ですが、神様を信ずると言う点では面白いと思う。

 だから、私は新聞広告だとか、宗教宣伝すると言う気持ちはちっともない。ただ、色々な事の必要で『新しき暴力』のごとき、皆んなが間違っている事の為に、ああ言った拷問や何かされて苦しむ人が沢山できるから、それをやっているんです。一番初めに『信仰雑話』を出した事があるが、新聞広告はどの位反響があるか試したんです。いずれ、結核の本も新聞広告をしますが、あれは、結核の人間を救いたい為です。あんまりひどい事になっているからね。『結核の革命的療』として、または『結核の宗教療法』としてか、どっちかにする。

 信者が病気が治って、その人が宣伝して、だんだん連れて来るんです。その人がまた連れて来ると言うやり方がしっかりしている――強いです。人間の目には見えないけれども、神様には分かる。この人が救われたら、こっちの人、今度はあの人と、霊界では順序が定まっている。だから、順序が来ていないのに、この人に知らせても入れないんです。

《お伺い》重要な人間が入ったら拡がるかと思っていると、そういきませんですね。

《御垂示》そうはいきません。天理教で言っている、(学者、金持ち後回し)と言うが、ああ言う事はあります。いずれインテリの信者が沢山できますが、時期がありますからね。霊界の中で浄化が強くなるから、つまり、理屈だけで、インテリは押していきますからね。ところが浄化が強くなると、理屈では押していけなくなる。実際的に悪くなるとね。

 今迄は医者が注射すると、大抵ちょっとは良いが、いずれは注射すると直ぐ死んじゃうと言うのが沢山できて来る。医者自身が、方法を講ずるのに怖くなって来ますね。それで、何とか方法はないかと言う様な時代になって来ます。それは楽なものです。そうなると言う事は、こっちがそれだけの組織や準備がすっかりできていなければならない。考えてみると、今、どんどんと救われたいと言う人ができたところで、受けきれないから駄目です。だから私なんかでも随分ぼかしてますが、本当にメシヤ――キリストと言うと、世界中の人が寄って来て仕事ができない。『文明の創造』なんか書けない。だから、ちょうど良い様に神様がやっている。この次はこうなる。その次はこうなる――と言う事は、ちゃんと知らせますから、ちゃんと分かっている。神様は、それは旨くやってます。私は今に世界的の論文を書いて、私はメシヤではない。更に、私の仕事を見て、世界を救うと言うメシヤだけの、実際の効果を見て――そうしたらメシヤにしても良いと書く心算(つも)りです。メシヤだけの働きをすれば、メシヤと言っても良いが、最初から、俺はなんだかんだ、と言った処でしょうがないですからね。和光同塵(わこうどうじん)と言ってね。旨何事を言ったものです。大分近寄って来たですね。来年あたりから、かなり目覚ましい事になりますね。

《お伺い》この頃病気になって医者に行くと、救世教に行こうかと言っても反対しないで、むしろ推奨する様で御座います。今迄は、ひたむきに反対していたのが、自分の手に追えないのは、よろしいと言うそうです。

《御垂示》そうです。長い間一生懸命に金を使っているでしょう。それで治らない場合に、先生どうしたら良いでしょう。と言う時に、逃げ場がないので、逃げ場として――責任解除として言う奴がいます。中には良心的な医者もあります。助けてやりたいと言う気持のもおりますよ。結局、段々世の中に分かる人が増えていくと言う訳ですね。そうすると、空気が違って来る。

 それから、こう言う事が大変ある。去年の事件で、あの位やられたら、大抵ぶっつぶれちゃう。処が相変わらず、びくともしないでやっている。そうすると、馬鹿にしたものではない。相当に値打のあるもの――権威のあるものだ、と、見直すと言う空気も大分ありますね。長い間の例から言っても、大抵な新宗教であれくらいやられて、新聞にもやられたら、萎びるか、復活するのに年数がかかる。ところが、びくともしないで、むしろ発展の気勢さえ見える。そこで、考え直すんですね。だから、去年の秋に大祭をやったのも良かったです。謹慎するとか、萎びるとかすると、やっぱり臭い処があるのかな――と思いますからね。平気でいると、そんなに悪い事はないんだ、と言う様になりますからね。また、事実そうなんだからね。

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