御教え集33号 昭和二十九年四月七日  ※ヘンデルの「救世主(メサイヤ)」

  そういうわけで、最近いろんな霊的の事柄で出て来たのです。この間は、キリストやいろいろな偉い開祖、教祖などの神憑りの事を言ったけれども、あれは京都の方の若い女性ですが、今度は熱海に居る若い女の人が、やはり霊憑りでいろいろそういう事を言われたのですが、それが京都の人とよく合っているのです。新しい点もありますから今読ませます。

    (御報告)

  これをみると、キリストはキリストらしい、バイブルの書き方みたいな事を言われているので、面白いと思います。バイブルのいやにくどい所などがよく似てます。そういうわけで、今までは光を持った人間が現われなかったのです。つまりヨハネが二千七百五十年地下に苦しんだという事は、光というものがなかったからです。それで、光を受けなければ救われないのです。神仏も、つまりこの光をいただきたがって、今霊界では大変なのです。それで今度奈良に行くについて、あっちの各海、湖水、池などの龍神が次々と京都の人に憑って、その報告が来ました。そういうようなわけで、まあ、光を憧がれているわけです。

  それで、今読んだ中に「神ならぬ神」という事を言ってますが、これは非常に面白いと思います。実際今まで神と言って拝んでいたのは、実は本当は神ではなかったのです。ですから「神ならぬ神」というのは、うまく言いまわしたものです。そういうわけで、「聖夜」と言って、キリストの聖歌でしょうが、これはあまりにキリストを讃えたので、かえってキリストとしては苦しんでいるのです。そこで歌詞を教えたのですが、これで非常に面白いと思うのは、私は、メシヤ会館が出来たら、前から言っているとおり、ヘンデルの作った「救世主(メサイヤ)」という歌を御祭や何かの時には歌って、オーケストラもやるつもりで、舞台の下の所にオーケストラボックスを拵えましたが、歌うその歌詞は、ヘンデルのような外国語では工合が悪いですから、どうしても日本の言葉でなければならないのです。私が作ろうと思っていたのですが、ところが私が作るという事は嘘なのです。私は歌うのでなくて、歌われる方なのですから……。だから讃えるという事が、自分が自分を讃えるような事になってしまうから、どうしても何か然るべき歌詞が欲しいなと思っていたのです。そうかと言って、適当に作れる人はないのです。ところがキリストが作ってくれたのですから、実に結構なのです。そこで私も一安心したわけです。この歌詞もなかなか良くできてます。簡単で実に讃える心持、気持がよく表われてます。ですからこれを採用するつもりです。そういうようなわけで、これからは、ああいう「神ならぬ神」たちが大いに活動始めますから、どんな事があるか分からないです。いよいよ本舞台になったわけです。今年から表になるという事の最初の一つの現われです。

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