*最善を尽くして時を待つ 御光話録 昭和二十三年九月二十八日 奥付不明

《お伺い》メシヤの言霊についてお伺い申し上げます。

《御垂示》 メシヤというのはヘブライ語ですからちょっと日本語には解し難い。意味は救世主、救い主ということです。キリスト教の人はキリストが救い主だと信じているが、本当は贖罪主であって救世主とはたいへん違うのです。万民の罪を贖った人、罪の代表になり生命をギセイにして初めて許された人ですが、救世主のほうは許されるのではなく許す方です。まあ時機の進むにつれて話しますよ。

《お伺い》幽界は大国主命、現界は国常立尊が主宰されている由ですが、神界はどなたが主宰されておいででしょうか。

《御垂示》 国常立尊は主宰はされてない。尊が大浄化されているのですが、その先はまだ言えません。幽界は大国主命です。神界の主宰神はこれから定まるのです。

《お伺い》主神とはこれをくるめたものでしょうか。

《御垂示》 ええそう、天御中主大神(あめのみなかぬしのおほかみ)です。これは変わらない。が、個性を持つ神の主宰はまだできてないのです。だから宗教でもいままで世界を支配したのはない。

善悪不二と申しますが、善主悪従と考えてよろしいでしょうか。

《御垂示》 ええ、いまはそう思っていればよい。

《お伺い》道を求めるについて低いものは高い者を経て初めて高くなれると存じますが……

《御垂示》 ええ、まあそうです。

《お伺い》道を悟るため自分でいろいろやってみても頼りないのですが……

《御垂示》 それは主観だから判らない。この場合は神が客観する。そこで自分は最善を尽くして時を待つのがいい。向上を期するのはいいが、短時日にしようとすると焦りになり、焦っては高まるよりむしろ地獄、修羅道へ近くなる。
―自分を指導する者がなければ自分が救われないと考えますが。

《御垂示》 指導は他力であり、自分で向上を励むのは自力であり、この両方で行くべきです。他力だけでも救われるが自力も必要、日蓮宗は自力のみだが、これは一種の信仰地獄へおちることになる。だから最善を尽くして時を待つのが一番いい。

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