*お守り 御垂示録3号昭和26年10月5日⑪

《お伺い》大社の信者さんが、法難事件の時、癪(しゃく)に障ったと、お守り様を海に捨てたそうですが、山に行った処が、ちゃんと拡げてあったそうです。二、三カ月経ても全然破れていないそうです。

《御垂示》やっぱり、全然違うんです。

 昨日のお蔭話の中に、その人一人が信仰に入っていて、医者に行って切って貰えと大騒ぎだった。ところがどうしても柔らかくならない。しかし、どうしても医者に行かない。御霊紙をはって、三日目の朝取った処、膿がどっと出て治っちゃった。今度『栄光』新聞に出します。他にはってあったものは、膿がつくとぐちゃぐちゃになるが、御霊紙は何ともない。それで、汚物を焼いたんです。二度か三度焼いたんですが、御霊紙は焼けないんですね。それで、今迄自分の信仰がぼやぼやしていたのを見せて下さったんだ、と。之から一生懸命やる、と言うお詫びの様なものがあったがね。燃えないと言う事を非常に強調していた。

 昔、婆さんが見物に行った時、艀(はしけ)から本船に渡る時落ちて沈んだ。そうしている中に浮き上がって、手を持たれて助かったが、びっしょり濡れたので、段々着物を脱いでいたら「おひねりさん」を持っていた。それだけは濡れていなかった。それで助かったんですね。その位の力がなかったら、病気を治す事はできませんからね。

《お伺い》三年程前に入信、お蔭を頂いておりましたが、その後やっておらず、最近病気をして、御嶽(みたけ)教や日蓮の行者が来て、こんなものを掛けているからいけないと、お守り(光明如来様)をはずしてしまい、それを燃しつけると、燃え終わると同時に、息が絶えてしまったのだそうです。

《御垂示》やっぱり、その人はそれだけの――霊的に極く低いんですね。第一、御嶽の行者に言われて、それを信ずる様じゃ問題にならないですからね。

《お伺い》亡くなった人のお守りを教会に持って来た場合は。

《御垂示》それは死ぬ人の気持ちに任かせれば良い。そう言う希望がなければ、そこの家で、紙に包んで粗末にならない所に取って置くと良い。

《お伺い》信仰を止(や)めております。

《御垂示》それじゃ、教会に持って来て取って置きなさい。いずれ、先が詫びて来ますから、取って置くと良い。

《お伺い》ある信者が、過まって、紐が切れていたか、袋がなかったのか、便所に落としましたが、如何致しましたら宜敷いでしょうか。

《御垂示》それはしょうがない。無論新しくするんです。

《お伺い》お焼きするのは、庭では勿体ないから、火鉢で。

《御垂示》いやいや、そんな事はない。庭と言っても便所より上だからね。

《お伺い》主人がシャツに入れていたのを、奥さんが知らないで、お守りが入っているまま水に入れてしまい、気がついて申し訳ないと持って来ましたが、拡げて乾わかしても、乾わかないのです。今もって――半年以上になるのですが、湿めっぽいそうです。

《御垂示》良くお詫びするんです。その人の心掛けが悪い。それをお知らせしたんです。本当は首から掛けて洋服を着ると言うんです。そうでなく、ポケットに入れていたんだから、良くお詫びして御神前に置くかすれば良い。それを、普通のものを掛ける様にしているからで、心掛けが悪い。

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