岡田茂吉 御光話録8号 昭和二十四年三月(今の日本寺は仏界の型) | 岡田茂吉を学ぶ

御光話録8号 昭和二十四年三月(仏の滅する一つの型)

        “法隆寺焼失の因縁に就て御知らせ下さい。”(御光話録第三号((*1))二十六頁参 照)

    之は今言った仏滅の、仏の滅する一つの型になるんですね。あんな貴重なものを焼いた事を旨く理窟づけるなんて怪しからん、と言はれるかも知れませんがね。然し焼けたのは事実なんですからね。あらゆるものは偶然の如くして決して偶然ではないんです。焼けたのは焼けるべき理由があって焼けたんです。で、この法隆寺の焼けたのも仏滅の一つの表れと解していゝんですね。我々の解釈は霊的であって、体的ではないんですからね。
そこで最初の仏滅の表れは昭和六年六月十五日に私が安房の日本寺に行った時なんです。この日本寺は乾坤山って言ふんですが、まあ御寺で日本寺なんて言ふのは珍らしいもんですね。そこへ行った時いろいろ神秘がありました。私は十四日の晩に泊って十五日の未明に頂上まで登ったんですが、頂上まで一時間位かゝるんですよ。その途中、山の到る処に仏像があるんですね。観音、釈迦、阿弥陀から木蓮、龍樹等、まあ殆どの仏が網羅されてるんです。そして日本寺に入ると橄欖樹があるんです。釈迦がその下で悟りを開いたっていふ菩提樹ですね。まあ日本にあれ位大きな菩提樹はないと言っていゝでせう。そこで、あゝこれは仏界の型だなと私は思ったんですよ。

    神様が世界の経綸を行はれる場合はね、すべて「型」ってものをおやりになるんです。神様がこの位(直径一尺位の円をおかきになられる)の活動をなさる時には、この位(直径一寸五分位)の型もやられゝば、又この位(直径三分位)の型もやられんです。丁度之は人間が最初に胎内に宿る時は虫けら位の大きさですが、それが一人 前の大きさの人間になる様なもんでね、世界の動きも、国際状勢もある型によって示されるんです。私なんかは周りでよく示されるんで実に便利なんですがね。

      で、今の日本寺ってのは仏界の型になるんです。こゝで昼の世界への第一歩が始まった訳なんですね。時間がないので何れ詳しく御話しますがね。まあ、もう一つ御話しませうかね。十六日に東京に帰ると、その時分は東京の大森に住んで居ましたが、下駄の職人で小池っていふのが飛んで来て、私にね、「大変です。私はゆうべ夢を見ました。恐ろしい夢なんです。大変です」と言ふんですね。私が「何が大変なんだ」って訊くと、最初御釈迦様が鍬で穴を掘ってゐた、そして山口四郎――之はその頃ゐた人ですが、この人が御釈迦様になってゐたんださうです。そしてその御釈迦様の山口がね『小池さん、世の中ってつまらないものですね、結局こうやって自分が穴を掘って自分でその中へ這入るんですから』と言ふんださうです。それから夢が一転して私の家の庭に小さな池があったんですが、この小さい池が小池になって、また面白いですがね、その小池へ誰かゞ石を投げた。そこで渦巻が出来たがそれがだんだん拡がって、たうとう世界中の人が死んでしまう。そして暫らく地上が淋しくなってゐると、所々に観音様が立たれてるんだって言ふんですね。さう言って大変だって騒ぎ立てるんですよ。そこで私は「何だ馬鹿々々しい。聞くのも可笑しくて仕様がない」って言って帰したんですがね。すると夕方になって電話がかゝって来て、小池が変だから来てくれと言ふんです。あんまり遠くもないので私行ってみると、「先生、心配で心配で仕様がない」ってまだ言ってるんです。そして、私ってのは世界のピントを合はせる為に生れて来たんだって言ふんですね。そこで可笑しくなって、「そのピントっていふのは一体何だ」って訊いたら、「いや、何でもピントってのがあって、それを合はせるのが先生だ」って言ふんです。その当時は大本時代でしたからね、鎮魂っていふのをやってたんですが、その鎮魂をやってね「安心して心配しないで居給へ」って言って帰ったんですが、あくる日又電話があってね、「小池が今朝鈴ケ森(スズガモリ)の海(註……大森の近くの海)へ入って自殺した」って言ふんです。そこで私は、これは本当の事だな、と思ひましたがね。とに角、命を捨てるって言ふのは容易な事ではないですからね。それから昭和六年六月十八日に非常な神秘があったんですが、これはまあ又の機会にして、満洲事変の始ったのは丁度それから三ケ月経った時でしたかね。この始まった時に「あゝあの渦巻が始まったな」と思ひましたね。結局、あれから日本の大波乱と大転換が始まったんですからね。――

      それでゝすね、日本寺は十年程前に焼けたんですが、そこの管理者は原田祖岳って有名な坊さんでしたが、もう再建不能だって言ってましたがね。まあ、法隆寺が焼けたのも、この日本寺が焼けた意味みたいなもんですね。

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