岡田茂吉 御教え集32号 昭和二十九年三月五日 (人間は神様に騙されて薬を飲んだ)昭和二十九年四月十五日発行 | 岡田茂吉を学ぶ

御教え集32号 昭和二十九年三月五日 (人間は神様に騙されて薬を飲んだ)昭和二十九年四月十五日発行

三月五日

 それから薬を解剖してみたのですが、解剖(カイボウ)してみると、薬というものは全然科学ではないのです。一口に言えば迷信です。“そんな馬鹿な事はあるものか”と、第三者としたら思うわけですが、そういう事を言えないように書いたつもりです。

      御論文〔⇒薬剤は科学?〕【註  栄光二五四号】

  今読んだような工合で、薬というものは全然科学性がないわけです。ただ“効くだろう”というわけで、最初動物実験で、飲ましてみたり注射してみると、どうも成績が良い。“では一つ人間にやってみよう”というわけで、人間が第二の実験材料にされるのです。そうして“良い”というわけです。ところが“良い”というのが短かいのです。一カ月か半年ぐらい効くと“これは良い”と、売出したり学界に発表するのです。ところが、一年も二年も先になって逆効果があるのです。そうなると廃(スタ)ってしまうという事になるのです。ところが薬は浄化停止ですから、必ず逆効果になり、効かなくなるという事に決まってます。だから一つ薬が長く続いたという事はないです。それにまだ気がつかないのですから、やっぱり“超愚”の方です。そういうような工合で、薬というものは全然科学性はないわけです。つまりまぐれ当りを狙っているわけです。それを、さもさも科学で発見したかのようにハヤシ立ててます。やっている御本人自身は実に馬鹿げているのですが、又それを有難がって信じる大衆も随分“超愚”です。そのためによく新聞に出ている“心臓が治った”とか“肝臓が治った”とか、よく発表してますが、あれらはちょっとした実験の結果良いので有頂天(ウチヨウテン)になってしまうのです。しかし暫(シバ)らくたつと煙(ケム)になってしまうので、そういう事を年中繰返(クリカエ)しているのですから、実に可哀想なものだと思います。つまり、医学では全然治らないものを治ったように信じて、ちょっと良いと“これだ”というように思っているわけです。だからその犠牲(ギセイ)になる人間こそ実に可哀想なものです。けれどもしかし、それはもう長い事はないです。丁度自然栽培みたいなもので、或る時期が来ると、分り始めると早いです。

  こういう事を知ってなければならないのです。そういう、人間に害を与えるようなものを、一体神様はナンデ作ったか、何故今まで人間にそれを分らせなかったかという訳ですが、これは大変な深い意味があるのです。というのは、物質文明を発達させるには人間を弱らせなければならないのです。原始時代の、病気もない非常に丈夫ですと、人間はそれに満足してしまうのです。とに角神様の目的は、物質文化を発達させて、そうして真善美の世界を造るのですから、それにはどうしても人間を弱らせなければならないのです。交通機関の発達も、人間が弱るから発達するのです。どんなに遠い所へでも、山野を跋渉(バツシヨウ)しても、足が丈夫なら交通機関を発明しようという心も起こらないのです。文明の発達という事は、前に外国の学者が言ったように“文明の発達というものは、人間が無精になるから発達するのだ。何かやるにも億劫(オツクウ)だ、面倒くさいというそのために発明や発見が現われるのだ”という事を言っているのを読んだ事がありますが、なるほどと思います。それには体を弱らせなければならないのです。だから、体を弱らせるほどいろんな便利な物や、それから美しいものを感じるという感覚、一つの、神経が鋭くなるとか、或いはものに感じやすいということになるので、それには、体を弱らせなければ仕方がないのです。それで弱らせるには毒を飲ませるのです。しかしそれを毒と言ったら人間は飲まないから、それを薬に思わせようという神様のトリックです。薬というものは良いものと思った人間は、神様に瞞(ダマ)されたわけです。神様はひどいと思うかもしれないが、仕方がないです。神様の経綸というものは、人間の、二、二が四とか、二、四が八ではないので、二、二が八にも、二、三が九にもなるのですから、霊妙不可思議なものです。ところがそのために文化が発達したのですが、今度はこれ以上文化を発達させるとマイナスになるというわけです。丁度、発明発見が進んでいって原子爆弾のようなものが出来たようなものです。……原子爆弾は神様が作ったという事を、娘が霊憑りになって言っていますが、面白いので、今度地上天国(註五十八号)に出します……。そういうような事で、今までの人間にはちょっと不思議に思うようないろいろな事柄も、そういったような深い意味があるのです。唯物文化を発達させるために人間を弱らせておいて、今度は薬は毒だという事を言って、反対に健康を取り戻すわけです。それが救世教の一番根本の仕事なのです。そういう訳だから、薬という毒をどういう訳で人間が飲むようになったかという事の根本を話したのですが、そこで薬というものは神様が作ったものです。その一番の証拠は、薬師如来と言って、観音様が薬師如来に化けられるのです。そうして大いに薬を奨励(シヨウレイ)したわけです。尤もその時分には科学はないから、草根木皮を大いに飲まして弱らせたわけです。その観音様が今度は“あれは毒だ”と言うのですから、観音様もなかなか……つまり瞞したり本当の事を言ったり、要するに千変万化、虚々実々というわけです。観音様は凡ゆる面に働きをされる、化けるというわけです。そして観音様は悪魔にもなるのです。馬頭観音というのは悪魔です。つまり動物の働きです。そういうような工合ですから、人間の智恵やそういったもので分るという事は難かしいのです。

  今度の神憑りの中にこういう事があります。共産主義者などに対して、悪の役をするのは随分骨が折れたので、御苦労だったという慰めの言葉もあります。確かマレンコフなども、そういった、神様が御苦労だったと言ってました。悪を通すとそういうようで……スターリンもそうですが、スターリンは今霊界の最低地獄、極寒地獄に居て、結局六千年苦しんで滅びるという事を言ってましたが、其処は私は○○年としておきました。そういうようで、悪い事の御用を仰せつかってやっている霊もあるのです。だから神様のやり方は実に深いのです。

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