海外布教

[東方の光 下巻より] 海外布教(2)第一の布石

教祖は昭和二五年(1950年)ごろから、「アメリカ布教は樋口(ひぐち)さんに。」と語っていた。東京女子大学英語専攻部を出た樋口喜代子(きよこ)は、かつて日本女子大の講師を勤めるなど、長い間英語教育に携わったが、昭和十九年(1944年)、神縁に導かれて入信
海外布教

米国に於ける病気状況  米国駐在信者 立松 文二(『アメリカを救う』 昭和28年1月1日発行)

再びイアゴウ・ゴールドストン博士の言葉を借りれば、「かかる現象は、現代医学の進歩に由因するのである。前にも述べたごとく、現代医学は死亡者数を大量に減らした代りに、罹病者数を大量に増やしたのである」そして、
アメリカを救う

浄霊医術 『アメリカを救う』 昭和28年1月1日発行

専門家も一般人もこれを見たら、現代医学に比べて余りに卓越せる治病力に到底信じられないであろう。しかも施術の方法は患者から数尺離れて、空間に手を翳すだけで、時間は十分乃至三十分位の短時間で終り、何等の器具も費用も要らないで、一人で一日数十人の患者を施術出来るのであるから、これこそ最も進歩せる理想的医術である。
アメリカを救う

 手術について (『アメリカを救う』昭和28年1月1日発行)

手術の進歩とは、医術の進歩ではなく寧ろ退歩であるからである。何となれば真の医術とは、病に冒されている臓器その物を除去するのではなく、臓器はその儘にしておいて、病だけを除去するのが本当であるからである。しかもその為肉を切り、出血をさせ、非常な苦痛を与えるのみか、内部的不具者にするのであるから
アメリカを救う

種痘と薬毒 『アメリカを救う』昭和28年1月1日発行

何よりも凡ゆる痛み、痒みの原因は悉く薬毒であるから、人間薬さえ体内へ入れなければ、一生涯病苦の味は知らなくて済むのである。要するに、この薬毒迷信を打破しない限り、人間から病気の苦痛は絶対解決されない事を断言するのである。
御事績

《東方の光 下巻》 海外布教(1)『アメリカを救う』

世界の文明の中の緯(よこ)の文明、物質文明の代表としてはアメリカで、精神文明の代表者としては日本で、要するに緯の文明の親玉がアメリカで、経(たて)の文明の親玉が日本で、この経と緯を結んで本当の文明が生まれるのだ。そうするとアメリカと日本の文明を結ぶという事が一番肝心な事です
芸術

ピカソ展を観て (栄光 百三十五号 昭和二十六年十二月十九日)

そこでありの儘をかいてみれば、先づ第一之が絵画というものであろうかという疑問である。一体何処に美しさがあり、何処に良さがあるのであろうか、之を室内に飾って、果して楽しめる人が一人でもあるであろうか、というように考えれば考える程分らなくなって了う。
対談

明主様と読売新聞社科学部次長 為郷恒淳氏との御対談 現代人の悩みは何 (栄光百七十九号 昭和二十七年十月二十二日)

宗教には余り興味がありませんよ。宗教家が斯んな事を言うのは可笑しいが、と言って科学でも仕様がないのです。特に現代の青年層などが学校で科学を習って社会に出ると結局科学では駄目だという事が分って、矢張り理屈通りに行きませんので、もっと深い大きな何かを欲しいと言う希望は必ず起るのです。では宗教をと言った処でどうも今迄の宗教と言うものは、あまりに現実離れがして、行る気になれないという感じが……非常に多いと思います
アメリカを救う

「病気とは何ぞや」(『アメリカを救う』 昭和28年1月1日発行)

驚く勿れ病気というものは医療が作るのであって、特に薬剤がその中心をなしているという事実である。つまり病気を治し、病人を減らそうとするその方法が、反対に病気を治さないようにし、増やしているという到底信じられない程の迷妄である。
アメリカを救う

『アメリカを救う』「序論」 昭和二十八年一月一日 発行

キリスト教を以て立国の方針となし、一般国民は神を信じ、正義の行われている国としては、先ず米国を以て第一とせねばなるまい
御教え集15号

御教え *『アメリカを救う』(御教え集15号 昭和27年10月7日①)

アメリカの方で“日本を救う”という本を出したら、之は不思議とは思わないかも知れないが、敗戦国のヒョロヒヨロしている日本の奴が、アメリカを救うなんて生意気な奴だと、無論思うでしようが、こっちは全人類を救うのだから、アメリカだろうがアフリカだろうが、救うべき必要のある所はドシドシ救わなければならないので
信仰雑話

科学の力 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日)

科学によって解決不可能の問題も相当あり、之こそ宗教が分担すべきものではなかろうか。是に於て私は惟(オモ)ふ。此両者の一致的進歩こそ真の意味に於ける人類文化の向上であろう事を。
信仰雑話

主義というもの (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日)

此の意味に於て人類社会永遠の平和と栄えを望むとすれば、今日迄の主義と異なる処の−−それは世界的、人類愛的のものでなくてはならないと思う。近来米国に於て唱道され始めた世界国家や、MRA運動等は右の如き意味のもので、吾等と同一目的たる地上天国出現を目標としての運動と見るのである。
信仰雑話

気候と天候 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日)

気候の変化も、天候の好し悪しも、人間が作るという事である。というと甚だ不思議に聞えるかも知れないが、之から私の説く処を玩味されたいのである。
信仰雑話

運命と自由主義 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日)

運命は限定された或枠内の中は自由自在で、その人の努力次第で、枠内の最上位に迄は到達なし得ると共に、その反対であれば下位に転落するのである。
観音講座

『観音講座』第七講座「病気及絶対健康法の原理」

西洋医学の間違い、これを一般に判らせねばならんが、当局者の方では警戒しております。西洋医学の外はなく、これ以外には何物も出ないと定まっているので、我々の主張を入れない。非常にこの点困難だが、そうかといってそれを見ておられない。世間には病気にかゝり財産をなくし家族一般餓(うえ)に泣く有様が現在なのであるから何としてもやらねばならん。
信仰雑話

下座の行 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日)

神様は慢心を非常に嫌うようである。謙譲の徳といゝ、下座の行という事は実に貴いもので、文化生活に於て殊にそうである。
信仰雑話

観音教団とは何乎 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日)

以上説く如く世界の大転換期を乗越す資格とは、病貧争絶無の世界に生存なし得る人間であって文字通り病気のない健康人、貧苦から脱出した人間、和を好み争を嫌う人間である。此三大資格を有する人間であれば神は滅し給う必要がないばかりか、来るべき新世界の有能人として遇される訳で、神の意図と人間の理想との食違いはない事を私は信ずるのである。
日々雑感

[日々雑感]今一番考えさせられる「大乗小乗」「経と緯」とは?

確かに現界では稼がないと食べる事もできない。お金がなければ、衣食住足りて暮らす事も出来ないわけで、霊界より現界の方が良いとばかり思っていましたが、ホント、現界に生きることの方が難しいのかもしれないなーと。
地上天国

大乗たれ (地上天国 三十号 昭和二十六年十一月二十五日)

私はいつもいう通り、大乗の悪は小乗の善であり、小乗の悪は大乗の善であるという事であるが、此肝腎な点をどうも忘れ勝ちな信者があるが、之は大いに反省して貰わなければならないのである。判り易く言えば、何事も大局的見地から観察するのが大乗的観方である
お蔭話

霊界は在りや(栄光122号 昭和26年9月19日)※体験談 ”昏睡して一度は霊界へ赴き新たな生命給わる”

本教信者なら、霊界の有無など問題ではない。有るに決っている位の事は、誰も知っているが、然し乍らヤハリ体験者の話を、一回でも余計聞いた方が、それだけ信じ方が深くなるのは勿論である。殊に信者未信者を問わず、疑いのある人には最もいい参考となると思う
栄光

悪人は病人なり(栄光 百三十一号 昭和二十六年十一月二十一日)

此標題を見たら、誰しも首を捻るであろう。何故なれば、悪人でも、健康そうに見える者も沢山あるからで、寧ろ悪人の方がそういう人間が多い位だ。然し之は表面から見るからで、内容即ち霊の方は立派な病人なのである。というのはいつもいう通り、悪人というものは悪霊が憑依して、本守護神を押込め、正守護神を蹴ッ飛ばして、早くいえば其人の霊の大部分を占領して了い、悪霊自身が主人公になり済まし勝手気儘に振舞うからである
日々雑感

[日々雑感] 新型コロナの重症化リスクは持病のためと言うより、服用している薬が原因では・・? 浜六郎先生の臨床副作用ノートに学ぶ

人間がこの先ずっと新型コロナと向き合っていかなくてはいけないのなら、服用する薬を止めるか、充分に検討することが必須ではないでしょうか?。
御教え集1号

*御法難の別の面の救い(御教え集1号 昭和26年8月21日)

私は何もないから――良い弁護士を傭う丈の力があるから思いきつてやる。之も印刷にして、裁判長や検察官に配る積りですが、それは何にも気が咎める事がないから出来る。そうすると、今迄泣寝入りして、罪をつくられた人を助けてやる。それから、日本の裁判の非民主的のやり方を幾分でも良くしなければならないと言う、やはり一つの救いです。救いの別の面のやり方になる。
信仰

之も慢心 (栄光 百二十一号 昭和二十六年九月十二日)

其證拠には今迄間違った信仰の為に、神様から裁かれ、人によっては命迄失った事実は沢山あり、古い信者は幾度も経験しているであろう、だから人の善悪を批判する前に、先ず自分の腹の中の善悪を見る事である。
日々雑感

[日々雑感] 2021年、年の初めに思わされた事。

年の変わり目に名言いただいたように思えて、高すぎる課題とは思いますが、この一年座右の銘とさせていただこうと思いました。
信仰雑話

地上天国 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日)

地上天国という言葉は、何たる美わしい響であろう。此言葉ほど光明と希望を与えるものはあるまい。然るに多くの者は、地上天国などという事は実現の可能性のない夢でしかないと想うであろうが、私は必ずその実現を確信、否実現に近づきつつある事を認識するのである。
信仰雑話

宗教と分派 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日)

以上の如くであるから私は出来るだけ難解を避け、何人にも理解出来得るよう、新しい形式の下に教の道を説かんとするのである。
信仰雑話

大乗と小乗 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日)

最後は経緯を結ぶ、即ち十字型とならなければならない。此意味に於て時所位に応じ経ともなり、緯ともなるというように、千変万化、応現自在の活動こそ真理であって、此十字型の活動が観音行の本義である。昔から観世音菩薩は男に非ず女に非ず、男であり女であるという事や、聖観音が・・
信仰雑話

禁欲 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日)

 昔から立派な宗教家たらんとするには、禁欲生活をしなければならないように想われ、それが真理を悟り魂を磨く最良の方法とさえ思われてゐた。然し私は反対である。
日々雑感

[日々雑感]2020年新型コロナに見舞われた年の終わりに。 

あくまでも御教えを中心にということで進めてきましたが、今回、この御垂示を読ませていただき、御論文を読んでもらうために興味をひいていただく内容や、楽しんで読んでいただくように工夫することも大事なんだと思いました。それがイズノメと言うことなのかも・・・。
御垂示録2号 

*理屈は面白くない(御垂示録2号 昭和26年9月1日①)

話の前に言いたい事は、「地上天国」や「栄光」に載せる寄書ですね。あれを少し変えて貰いたい。年中同じで、論文ばかりです。面白いかどうかは自分で考えて見ても分る。分り切つた事や真面目な事は、偶に少しは良いが、読む気にならないでしよう。
信仰雑話

迷信邪教 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日)

今日新聞雑誌ラヂオ等、盛んに迷信邪教に瞞(ダマ)されるなという事を警告してゐるが、成程迷信邪教は昔から断えず輩出してゐるばかりか、今日は最も甚しいようである。然し全部が全部迷信邪教とはいわれまい。その中の幾分かは今日立派な宗教として残ってゐるからである
信仰雑話

難行苦行 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日)

日本に於ても未だ相当バラモン式苦行を行う行者や宗教家もあるようであるが、私はあまり賛成出来ないのである。というのはわが観音教の信徒が別段難行をせずとも覚者となり、正しき道を履(フ)み、天職使命を実践するようになり得るからである。
信仰雑話

怒る勿れ (信仰雑話 昭和24年1月25日)

私の修業は「借金の苦しみと怒りを我慢する」という此二つが重なるものであった』と答へるので、聞いた人は唖然とするのである。
御教え集29号

御生誕祭 御教え *満七十一歳/散花結実(御教え集29号 昭和28年12月23日)

私は今日で満七十一歳になります。それで今日は皇太子様の御誕生日にもなるので、余程私と因縁があるように思われます。皇太子様は明仁と言って、やはり「明」の字で、私は明主なのですから、これも不思議と思われます。
信仰雑話

プラグマチズム (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日)

世間よく信仰を鼻の先へブラ下げてゐるような人がある。之を第三者から見る時一種の不快を感ずるものであるから、理想的にいえば、些かの宗教臭さもなく普通人と少しも変らない、唯だその言行が実に立派で、親切で、人に好感を与えるというようでなければならない。一口にいえばアク抜けのした信仰でありたい、泥臭い信仰ではいけない。
信仰雑話

奇蹟 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日)

私は思う。悠久極りなき此地球上に於て、何時如何なる時代に、奇蹟の宗教が表われないと、誰か言い得るであろう。
日々雑感

[日々雑感]観音講座「第六講座」を読んで、令和二年夏の「よみがえる正倉院宝物」展の感動ふただび!

あの有名なゴッホも、日本から大きな影響を受けたのだなーと言うことを実感したのでした。
信仰雑話

信仰の醍醐味 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日)

私は常に、どうしても判断がつかぬ難問題に逢着した時、観音様に御任せするといふ事にして、後は時を待つのである。処が想ったよりも良い結果を得らるる事は幾多の体験によって明かである。殆んど心配したやうな結果になった事は一度も無いといっても可い。
信仰雑話

善を楽しむ (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日)

私は熟(ツク)づく世の中を観ると、多くの人間の楽しみとしてゐる処のものは善か悪かに分けてみると、情ない哉、どうも悪の楽しみの方がずっと多いようである。否楽しみは悪でなくてはならないように思ってゐる人も少なくないらしい。
観音講座

『観音講座』第六講座  日本と外国の使命(昭和十年九月五日) 

光明世界になった時の風俗、都市、農村及刑罰の点をお話する。
信仰雑話

悪の追放 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日)

総ゆる問題も、成功不成功も善悪の量に因る事で、此意味に於て為政者も、教育者も、知識人も、世を挙げて悪を減滅する事に専念すべきで、それ以外に良法のない事を私は断言して憚らないのである。
信仰雑話

敗戦の教訓 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日)

日本が敗けたという事は、日本が救われたのである。成程一時は悲観のドン底に陥り、上下を挙げて未だ曽て経験せざる混迷状態に陥った事は吾々の記憶に新たなる処であるが、実をいうと、それは一時的であって、将来を想う時は悲観する処ではない、
日々雑感

[日々雑感] 岡田茂吉教祖の御講和「 昭和二十八年八月十六日 の超奇跡について、医師7人を迎えての診察」を読んで思うこと

再生医療がもてはやされている現代、医学的にも漸く岡田茂吉教祖の理論に追いついてきたと言えるのではないでしょうか?。昭和20年代の医学ではとても睾丸が再生されるなど考えも及ばなかった事でしょう。しかし、医学が発達した今だったらどうなのだろうか・・・?
世界救世教奇跡集

神様も御手数が掛る (世界救世教奇蹟集 昭和二十八年九月十日)

現代人は残らずといいたい程、宗教特に新宗教を蔑視し、信じなければならない程の事実を見せられても、疑いが先に立って中々信じようとしないのは困ったものである。この原因こそ医学迷信のコチコチになり切っている為であるのは言う迄もない。
御蔭話(御在世当時)など

超奇蹟 (世界救世教奇跡集 昭和二十八年九月十日)

この御蔭話の奇蹟は奇蹟以上の奇蹟であって、恐らくこれ程の超奇蹟は人類史上空前であり、医学関係者は固より、普通人が読んでも只唖然として言葉も出ないであろう。これこそ世界的大問題として取上げてもいいと思うのである。私はこれを読みつつ驚きと共に涙が溢れて来てどうする事もならなかった。
世界救世教奇跡集

病気に就いての奇蹟 (世界救世教奇跡集 昭和二十八年九月十日)

今迄のは病気以外の奇蹟であるが、今度は病気に就いての奇蹟であるが、その前に 断っておきたい事は、勿論全部が本人の手記その儘であるから、文中冗漫な点や感謝の言葉など、どれも同じようで五月蝿いかも知れないが、些かでも直さない方がいいと思うからそ...
信仰雑話

宗教と芸術 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日)

今日迄、宗教と芸術とはあまり縁がないように多くの人に思われて来たが、私は之は大いに間違ってゐると思う。人間の情操を高め、生活を豊かにし、人生を楽しく意義あらしむるものは、実に芸術の使命であろう。
信仰雑話

宗教と政治 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日)

犯罪の根拠は人間の内面にある魂そのものであるからである。此魂を浄化する事こそ真に効果ある方法で、それは正しい信仰以外他にない事を私は信ずるのである。 
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