岡田茂吉 『観音講座』第六講座  日本と外国の使命(昭和十年九月五日)  | 岡田茂吉を学ぶ

『観音講座』第六講座  日本と外国の使命(昭和十年九月五日) 

 光明世界になった時の都市構造は下記の図解の様になる。


 光明世界になった時の風俗、都市、農村及刑罰の点をお話する。


 都市は住宅地、商業地、工業地等と分類され、学校でも大学なぞは中央に近い所に建築される。この時代になると光の発明が出来てくる。これは電気の様な灯火の事である。光そのものゝ本体は未だ不明であるが、観音力によりて発明される様になるのである。この灯火は神様からお知らせの事で間違いのない事だが、一町村に一ケ所、アーク灯の様なものを建てれば、普通は外に灯火は要らん事になるのであるが、一軒の家に一つ位つける様になるだろうが、これは余り必要を感じないのである。街路も噪音が無くなる。今の舗装工事をするのであるから極く静かになる。自動車を走らすのにガソリン等使用せず、鉱石で動かすのである。従って臭気もなくなる。

 街路には木や草を沢山植える。今も各地で行っているが、まだまだ違うのである。果物の木を並木に植えるのである。林檎、柿、無花果(いちじく)、柘榴(ざくろ)等である。人道は葡萄(ぶどう)の棚になる。草花も人道と車道の間に作るから、とても綺麗だ。これらは余り永い事ではなく近い将来に出来る。

 交通機関も非常に発達し、富士山とか日本アルプスにも電車位のものが出来て楽に登れる様になる。この電車も今よりもっと綺麗である。旅行も大層盛んになる。労働者でも月に一度位旅行が出来るが、その費用は富豪が出す様になるのである。富豪も今の様に我利々々(ガリガリ)亡者ではなく、下層階級を喜ばす様になるのだ。

 汽車も現在の様なのではなくもっともっと高級な善美を尽したものになる。

 一町村毎に劇場が出来て、芝居等観せるが、今の様に残虐性の物はなくなり、笑いながら観る様な喜劇、舞踊の類の明るい感じのものになる。

 現在のは切ったり張ったりして、余り残虐性が強過ぎて非常に悪いと思う。これによって何程か悪いことを教える様な結果となるから、この様なものは止めて明るいものになるのである。

 皇居は非常に壮麗な善美を尽したものに成るのである。現在の様に日本ばかりの天皇ではなく、我天皇は世界の天皇陛下とお成りになるのであるから、それ相応の立派な御所が建築されるのは当然な事である。

 食物は大変美味しいものを喰う様になる。今のバラモン的な不味い物を我慢して食べているのとは違うのである。衣服類も日本人は絹を着るのである。日本に絹が取れるのは、日本人に着よと神様がなされた事で、今の様に日本で取れる日本の絹を米国に売り綿を日本に買入れる様では間違っているのである。

 又非常に華美な服装となる。昔元禄時代に派手な衣服であったが、又その時になると派手な衣服が着られ、履物も靴になるのである。今のは革で出来ているが、革でなく外の物で出来る靴が発明される。家屋の構造も泥棒が亡くなるから締りは要らんから明るくなり、光線が射し込む。又大風、大地震、大雨が無くなるから、窓を大きくして危険なく、明るくなって良い芸術の発達により娯楽がたくさんとなる。上流になると文芸や美術がもっと立派となり、音楽や舞踊もテレビジョンが完成してくるから見る事が出来る。

 交通発達の結果避暑等する人も日本内地だけでなく、普通の人が印度あたりに別荘を作って行くようになるのである。世界一周の団体旅行等年一回は労働者でも行ける様になる。

 スポーツ競馬等も青年が競争心を紛らす為に盛んになる。相撲武術等も戦争がないのに拘らず非常に盛んになる。この為にオリンピック等の様な国際的のものが非常に盛んになり、我観音会でもいろいろなチームが出るが、観音力により最強チームとなり、世界記録等も観音会が一番沢山持つ様になる。

 刑罰は今の様な刑務所に打込むのではなくて、下級工場にて一番嫌な人の嫌がる仕事を一番骨の折れる仕事をやらせるのが刑罰である。これは善い事をする人ばかりで悪い事をやる人が少ないからである。

 世界全般が天国化する為、少しも心配なく出来るのである。悪人が無くなるからである。今の人達はこの世界を天国化する事は難しい様に思う人が多いが、むずかしいことは無い、必ず立派に出来るのである。これは人間がやるのでなく、神様がおやりになるのであるから、人間の浅い考えではとても想像だも出来ぬのである。造られた人間の考えと造り主の強力の相違である。

 日本と外国の使命

 ナザレの聖者イエス・キリストが言った「この世の終りが来る」と言った予言があるが、それは気味が悪い様だが、考えて見ると何でもないのである。それは今日までの世界の終りのことであって、この地球上の総てが壊滅して終う事でないのである。

 今までの世界は夜の世界であるから月の世界であり、月夜星の夜であったのである。月夜は満ちたり欠けたりして、今まで過して来たので、皎々(こうこう)と照ったり暗くなったりする。その又晴の夜に星がピカピカ光っている。この晴れの夜を星の世界と言うのである。物騒な戦乱の世があるかと思えば平和の時代もある。この様な現象は月の働きである。一年の内でも一時は非常に良かったと思うと、又とても悪い時もある。欧州大戦争の大景気の下り坂は大正九年三月十五日であって、株式が暴落したのである。そのきっかけとなったのは三月十五日の満月にあたった日で、月が満ちた時で、あの好景気も絶頂であったのだ。

 月の世界とは外国の世界ということである。月とは「尽き」となり、「尽の世の事」、「尽たる世界」日本は日の本といい外国は月の国となる。英国は月の国米国は星の国であるから夜の世界である。英国にとって最も重要なる国である印度は「月氏国」といい、この印度を取ったから英国が月の国の代表者となって今までの欧州文明時代に対する覇者の位置に立つ事が出来たのである。

 夜の世界が済めば月の国、星の国は日の国に頭を下げねばならん事は当然である。今日までの世界は皆夜の文明であったのである。その為に今日までの文化では人を救う事は出来なかったのである。なぜならば、宗教も夜の宗教である為、本当に救われなかったのである。これは絶対に救われなかったと断言して憚(はばか)らないのである。その故は三代も五代も何の災難もなく長生して病気もなく失敗もなく続き、不幸や災難のなかった家が一軒も無かったと断言出来るからである。宗教で救ったとしたらばそういう家が相当に無ければ成らんがこれがないのである。これを以てしても間違った宗教である。キリストの予言したのは夜の世界の終りと言う事である。

 宗教も今まで大過なく来たのは矢張り宗教の御蔭である。キリストの予言したのは立派であった。この予言はこの説明通り観音様が世に出られて決算するので的中するのである。

 日の本というからには、いつか日の出る事に成るのである。又日本から昼の文明が生れ出て、今までの夜の文明と結ばれるのであるから、初めて光明世界となるのである。光明世界とは昼の文明である。日本の文明である。日の文明ともなる。即光の世界となるので、これが光明世界となるのである。大光明世界とは大は五大州の事であるから、全世界が光の文化、日月合した文明となるのである。大光明世界を建設することは昔から解っていたのである。日とは⦿を直(なお)した字で、中の点は太陽の黒点である。太陽の黒点ある事は非常に深い意味がある。統一したのである。スである。

 上御一人とはスであり、天皇陛下の事である。皇(すめる)である、澄める、浄める、臭のない事である。

世界完成という事である。

 日本文化が世界に拡がらねば世界統一にはならんのである。大日本とは実に意味の深い言葉である。我日本は欧州大戦前は五大国の一であったが今は三大国になった。今始めかけている日本の国策は、日本が一大強国となる準備である。

 日本は日であり、世界各国は一つ一つ星であるからである。日本が益々発展するのは日が中天さしてグングン昇って行く事である。朝鮮や満州が手に入ったのも日が出たからである。今度は支那へ手が出る様になるのであるが、これを止める事は絶対に不可能な事である。なぜならば日の中天さして昇るのをいかに権勢の人が止めようとしても、止め得るものではないのである。支那へ日本が手を延ばす事はこの意味であり、追々全世界はこの様にして順次統一されて行くのである。昔平清盛が日を招いたという事があるが、到底及ぶ所ではないのである。日本は世界の祖国である。

 大和島根(やまとしまね)とは大に和する大和合、大調和の意味である。今世界のあらゆるものを調和するのである。大和とは矢的となり、⦿である。秋津島根とはアキツとは蜻蛉(とんぼ)の事である。蝶々(女)蜻蛉(男)、島根とは五大州の元であるという事である。根は元である。根本根元である。

 豊葦原瑞穂(とよあしはらのみずほ)の国とは、神代の時代に葦が生えていた。豊はユタカ沢山の意味である。中津国とは中心であって、日本国の事である。

 秀妻(ほずま)の国は少し意味があるが、後にお知らせする時が来る。

 皇御国(すめらみくに)、東方の君子国、日出る国、大和日高見国、心安(うらやす)国、豊秋津根別国、言霊の幸う国等沢山の名がある。これらは今余り必要はない。

 日本は治者である。外国は被治者となるのである。これは何も日本に野心があってつけたのではなく、どうしてもこの様にならねばならんのである。

日本 天照皇大神    真

朝鮮 素盞嗚尊     悪(ユダヤの祖、マッソン(フリーメーソン) 、イエス)

支那 盤古神王     善(釈迦、マホメット、孔子)

 善の盤古の末が亡び、悪の世界の西洋(素盞嗚尊の後のユダヤ、マッソン、イエスは皆西洋である)思想が流行したのである。

 今までは死を本当に知らなかったから、悪を平気でやっていたのである。悪をやっているのか善をやっているのか少しも解らずにやっている。その為偽りが多く、虚偽が非常に発達したのは、善を行っている様に見せかけて悪をやるという訳で、実にずるいやり方であったが、世間ではこれを知らなかったのである。今までの人は実に気の毒であった。日本と外国とはほとんど反対である。今までの称えた日本精神(心)は神の日本精神ではない。バラモンから出た所の精神であった。真の日本精神は大調和の精神である。常軌を逸した様な事や、人の目にいかにも善の様に見えても、皆日本魂と今まで言ったのは違うのだ。一方に偏するのは日本精神ではない。

 日本は太陽の国である。太陽は白色であって、白は色々な色になる。色々な色とは各国の事である。独逸(ドイツ)がナチス、伊太利(イタリア)がファッショ、露西亜(ロシア)が共産主義と言った様な訳である。日本はこの各国の色を取入れて白く光るのである。

 ファッショでも共産主義でも一色だけでは駄目である。英国は代議政体である。英国は紫である。米国は黄、伊太利は黒、仏は褐色、露は赤色と云う様なもので、日本は色々なものを取り入れて立派なものに仕上げるのである。日本は求心的で、⦿である。富士山で言うと真中が日本である。それは頂上から見ればス⦿である。

西、横から見れば極東又東である。麓は西となる。

日本の文化は求心的であり、西から出来て来たものは荒ごなしで仕上げがしてないのである。これは遠心的であって、仕上げて西へ又逆輸出するのが日本の今後の仕事である。今までの状態は西より東へ来たが、これが九分九厘である。

 今度は東から西へ太陽の光りで一遍に照して終うのである。



 これが直線的であるが、悪の文化とは曲線的であって(曲)はまがである。今まで何千年もかゝったのを今度は一度に早く直線的にやってしまう。これが真である。今までの世界各国は部分品を作っていたのであるから完成していない。

 フォードの部分品は工場で造るのであってフォード本社は工場等なくて各工場で部分品を取り集めて一つの自動車を作っているのである。

 西洋
  個人主義―獣(音声)―物質的―仏―権利―濃厚
  石―水―右―仏・女主―博愛―弱肉強食―言論機関・印刷物等
  人君―人立―覇道―人道―人為的―平等―自由的

 日本
  家族主義―和―鳥(音声)―神霊的―神である・心を主とする―義務―淡白。
  木―火―左―神・男主―忠孝-共存共栄―言挙(ことあげ)せぬ国。
  神君―天立―皇道―神道―自然惟神―階級制度―規律的。

 この何も彼も片寄らず調和したのが、今後の文明即ち日本文明なのである。これが真である。これを見ても皇道は余程考えねばならぬのである。皇道の皇の字はノ⦿と王との三つより成り立って居ります。「ノ」は天より降る有様であって⦿は日であり、王である。即ち天より降られた日の王である。天より降った皇である。天降りの天皇の御道であって、道とは行(や)り方、方法、すべき事、自らの道ありとて非常に広い意義の深い字で首へ辶(しんにゅう)をかける程重大な事である。

 三千(みち)とは体霊(みち)となり、観音様の事ともなるのである。故に皇道とは、天皇陛下の御道であり、人民がとやかく言うのは間違っている。人民が口にすべきではない。人民が言わんとすれば、皇民道とも言うべきである。その故は人民は被治者であるからである。人民は人民道と言うべきである。皇道とは上御一人の道である。我々が口にするさえ恐れ多い訳である。我々は被治者であるから、いかに治められるか、我々はいかにして最善を尽すかとまでは言うことが出来るのであるが、この上は言う事は出来ぬのである。

 日本は日月の文明である。皇太子殿下の御名、明仁親王と申上げる御名も今後出来上る世の中の為に御付け遊ばされると拝察申上げるのである。日本精神とは何んであるかというと、昔から神道で言う四魂が完全に調和すれば良いのである。

 四魂
  荒魂(アラミタマ)……勇
  和魂(ニギミタマ)……親
  奇魂(クシミタマ)……智
  幸魂(サチミタマ)……愛
 
 この四魂の調和した働きを伊都能売の働きと言い、観音行であるのだ。これを最もよく表わしたのが明治天皇の降し給える教育勅語の御精神通りに人間の行をする様に成ってこそ初めて人間であるのだ。

 今までは人の皮着た獣であった人が多かったのである。なぜならば人として尽すべき道を実行していなかった人が余り多過ぎたからである。少なくとも日本人はその様な者にならんのだ。まず観音会から見本を示してこれを日本中に押し拡げ、又世界中に拡げねばならんのである。これにより真の世界が開けるのである。世人は今まで「人は病の器」なんぞと間違った事を言った。「人は健康の器」であって皆そこ迄行くのである。

 神幽現三界の御経綸

 昭和三年の節分から始められて、昭和六年の節分までが神界の御経綸でありまして、その間に色々な神秘的な事が沢山ありました。

  昭和六年の節分
     |      三ケ年が幽界の御経綸でありました。
  昭和九年の節分

  昭和九年の節分
     |      三ケ年が現界の御経綸であります。 
  昭和十二年の節分

 又三年三月、三年三月となって、五月一日に又新しい御経綸があったのであります。昨年五月一日に大森から麹町平河町、東京の中央へ出ましたが、今年の五月一日には麹町一丁目へ移転したのであります。

 天の岩戸開き

 今度いよいよ光明世界になるのは、天照皇大神が出現になられる岩戸開きがあるのであります。昭和六年六月十五日、私が房州日本寺に天照皇大御神を御迎いに大勢の信者さんを御供にして参詣に行ったのであります。この時大神様が霊界へ御出現なられたのであります。房州は女の陰部であります。房州の保田(ホド)北条も同じ陰戸(ほど)、房州の房の字も同様であります。

 日枝神社の御鎮座

 昭和九年六月十五日に私は御神命により、麹町の山王様即ち日枝神社へ三十何人の御供を連れて御参拝しまして、天照大神様を御鎮祭、一同で祝詞を奏上致しました。これは日枝神社へ天照皇大神様が御鎮りになられたのでありますが、霊的の事でありますから神官すら知らん事であります。

 日枝神社は今まで三柱の神様が御祭りしてあったが、この三柱の神様は今までの御留守番であったのでありますから、六月十五日の朝御昇天になられたのであります。これが昼間の世界の第一歩であります。その時に麹町の町名が大変に変りましたが、これも御経綸の一端でありまして、この日のお祭りが今までのお終いの又始りのお祭りに当るために盛大なお祭りでありまして、日枝神社の出し物はほとんど猿でありました。猿とは猿田彦命の事で、昔から神様の案内役でありました関係であります。関東では日枝神社と、大宮の氷川神社が関東二大官幣大社であります。これが御夫婦神ともなるのであります。観音会でも地方としては大宮へ支部が出来たばかりであります。これも不思議な因縁であります。

 重大な経綸

 昭和十二年五月一日は神幽現三界の御経綸がすんで、新しく重大なる御経綸が始まります。

 昭和十四年七月二十三日は私が弥々五十六歳七ケ月となるので、いよいよ光明世界建設の事となり来るのではないかと思われます。

 昨年九月十五日(昭和九年)大本教と絶縁してより、私は自分の思う通りになってきたのであります。

 昨年の五月一日から麹町へ出て病気治しをしましたが、この時あらゆる病気の人が来て色々な事を知らされたのであります。

 医療士の講習


 昭和十年五月一日より病気治しをする医療士の講習を開始する様になりました。これこそは破天荒(はてんこう)の事でありまして、釈迦もキリストも未だ曾(かつ)て行われたことのない事で、釈迦もキリストも人を救う為病気は癒された事はあっても癒す力を人に授ける力は無かったのであります。最初第一期は百人でありまして、既に九月末で目的を達したのであります。第二期は千人、第三期は一万人と益々この目標へ向って増加させて行くのであります。

 大日本観音会の名称の起因 

 昨昭和九年十月十一日東光男氏が参りまして、霊的写真が出る事になりまして、観音会が出来たのであります。この霊的写真の説明を付けることにして説明を書いていると、東光男氏が来て、大先生が説明を書いたのではおかしい、何か会名で説明するのが本当だと言う、なる程自分で自分の説明をするよりは何か会の名を以てするのが良いという事になり、大日本観音会という名が出来たので、その名のもとに説明だけの心算(つもり)で居る間にこれが本物になって来た訳であります。

 最初は朧気(おぼろげ)に見える事が忽(たちま)ちはっきりしてくるから、行(や)って見ると忽ち出来上る。この様にして朧気には沢山知らされているが、それは絶対に間違いない事でありまして、最初からあゝしよう、こうし様と計画を立てゝやるのではない。その時その時にあたって順次出来るのであります。この様にして観音会は出来上ったのであります。計画とか考え等はないので、ただお知らせのままのことをやって行けば、きちんきちんと合って来るのであります。自分であるか、観音様がやっているのか同一の様なものである。これは私も観音様も同一であるんであります。

 大本教とは何か

 それは世界の型であります。教祖は絶対善で人間として又婦人としてこれ以上の人格者はありません。間違ったことは絶対にしない人でありました。これは東洋の善の型なのであります。大本は私の生みの親であり、バラモンの善の型であるのが、教祖出口直子刀自であります。出口王仁三郎先生は西洋の悪の型でありまして、悪事はしないが色々な事をやるのであります。これは西洋の物質文化を建設する型であります。善悪不徹底で世界を救う為には、悪も何んでも善いと言う人であります。

 三位一体

 この大本教の二人が私と共に三位一体となるのであります。王仁三郎先生は西王母になります。三千年の桃の実を天皇に献じたのであります。私は桃の実であります。桃太郎は私で、王仁三郎先生は婆で、教祖は爺であります。昨年私が生れたから母体たる大本教から離れたのであります。

 鬼ケ島征伐

 五月五日から鬼ケ島征伐となるのであり、五月五日は桃の実の節句であります。三月三日は桃の花の節句であります。私が桃太郎でありますから、信者はその従者である犬、猿、雉に当るのであります。つまり臣であり、又桃太郎は千手観音であります。

 出口王仁三郎先生の写真の中で二十年位前の写真に、お腹に日が宿っている写真がありますが、あれは胎臓の弥勒であります。

 昨年私が大本を止める時、大本と大喧嘩をしたが、それは生みの大陣痛であり、又その時の型が今度の伊太利(イタリア)エチオピヤ問題にからんで欧州方面のゴタゴタの型なのであります。

 満州事変の時もその型をやりました。私がいろいろ世界の型をやるので、これが全世界に拡がるのでありますから、私は予言が出来るのであります。神界へ出た事は必ず現界へ出るのが原則でありますからであります。今に観音会が非常に発展する事や、日本が世界的に発展を来す事も充分解っているのであります。

 観音運動の概略

 病気をなくする事、百人以上の収容力を持つ病院を造る事になるが、これが東京へ十ケ所、全国へ百ケ所造るのである。西洋医学も光を顕微鏡で見る事が出来る程の進歩を来すのである。病院というのは名が悪いから観音会では療院というのである。

 観音会は、病院では病人が入る意味になるのみで、治療する力の言霊が無いからである。世界中へその内にどんどん日本医術の療院を作る事になる。

 学校も出来る。小、中、大学と三年制度として九年を以って大学まで卒業する事になるのであります。この学校では人格教育を主にやるのである。外国語等の必要を感じない時であるから、非常に短時間を以って立派な教育が出来るのである。

 スポーツを盛んにやり、野球のチームも作り、又オリンピックにも出場する様に選手も造るが、皆観音力でやるから必ず勝つのである。

 芸術の学校も作り、世界のあらゆる芸術を取入れて、昼の大芸術を造り出すのである。

 今のは夜の芸術であるが、今度のは心の躍進する様な芸術を造り出しこれを表す機関として大劇場を造り、大いに人々を楽しませるのである。今までの宗教は芸術は罪悪であるとまで言われたのであるが、決してそんな事はない。要するに夜の芸術暗の芸術であったからである。産業も非常に進歩してくる。

 鉱業もやる。特に鉱山で非常に金が沢山出る様になるから、どんどん掘り出して使うのであるが、この金は山から出した綺麗な、人の嫌な想念のかゝった金ではなく、純な金であるから、立派な殿堂を建築しても今までの殿堂の様に火事等出ないで、金銀を使用して立派なものがどんどん造られるのだ。

 発明の奨励もやる。人間の智慧で考えるのと違って早く考えられ立派な発明品がどんどん出来る。新聞事業もやる。新聞は一般国民が読む教科書で、この新聞経営をやるについては第一新聞記者を教育するのが一番必要である。今の家作等新聞記者とか弁護士とかが一番家賃を払わないとの事で実に驚いたのである。

 人を教化する人が心が間違っていては何にもならん。そんな人々を教育するのは反って大変だから、それより当方において新しく記者を養成して新しく新聞を発行して日本人を教化し、延(ひ)いては世界に宣伝して昼間の宗教を世界に知らせるのである。それには観音様を祭らせれば一番良いのである。一軒でも余計に祭らせれば光明世界が造られるのである。光を配る事により、太陽の光が全世界を照した事となるのである。時期はきているからいよいよ加速度的に進展する事となる。
   

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