[日々雑感]今一番考えさせられる「大乗小乗」「経と緯」とは?

 こんにちは
 「大乗たれ」の御教えをお読みいただきましたでしょうか?
 私は日頃から下記に引用させてもらったところがとても大事だなと思っています。

今一つ言いたい事は、小乗信仰の人に限って、他人の善悪を決めたがる。之も私は常にいう事だが、人の善悪を云々するのは飛んでもない間違いで、人間の善悪は神様以外分るものではないのだから、人間の分際で善とか悪とか言うのは僣上(センジョウ)の沙汰で、如何に神様を冒涜する事になるか分らないので、之程大きな御無礼はない訳である。何よりも斯ういう人に限って独善的で鼻が高く、人徳がないから発展しないばかりか時には碌でもない問題を起し勝である。
 

大乗たれ

年頭の[日々雑感]で「馬鹿野郎よく考えりゃ俺の事」を今年の座右の銘としたいと書きましたが、ホームページを開設して1年半ぐらいになりますが、昨年からずっと、今一番気になっていることが「大乗小乗」とは?、また「経と緯(タテトヨコ)」、そして「善悪」です。

 そんなことも分からんのかと、お笑いになられる方もいると思うのですが、とても大事で奥が深いなと思えて来て、強い探究心が湧いてきます。今年の終わり頃には今より向上した覚りを得させてもらっていることを願っています。

 年末に『信仰雑話』を続けて掲載していましたら、丁度「大乗と小乗」のみ教えを掲載することになり、また、昭和26年9月ぐらいのメシヤ様の御教えに「これも慢心」や「大乗たれ」があったので掲載してみました。年末に掲載した「御垂示録2号 昭和二十六年九月一日」の御垂示も「経と緯」に関係あると思いますし、年末年始で自然に関連の御教えを掲載することになりました。まだまだたくさんあると思いますが、今年一年じっくり学ばせてもらいたいと思っています。

 『観音講座』第一講座の天津金木にも大きく関係があると思います。

 自観叢書第三講の「広吉の霊」はご存じと思いますが、私も何回か読んだ事のある御教えだったのですが、掲載にあたって読み直させてもらって見ると下記掲載の部分が昨年はとても気になる一年となりました。

 広吉(ヒロキチ)「それは今度祀って戴いてから実に結構で、何時迄も此の儘の境遇でありたいのです。娑婆はモウ凝りごりです。娑婆では稼がなければ食ふ事が出来ず、苦しみばかり多くて実に嫌です。再び娑婆へ生れないようどうか神様へお願ひして戴きたい。」

と言ひ終って厚く礼を述べ帰った。之に依て察すると死ぬ事は満更悪い事ではなく、霊界往きも亦可(マタカ)なりと言ふべきである。そうして霊界に於ては礼儀が正しく助けた霊は必ず礼に来る。其手段として人の手を通じて物質で礼をする事もある。よく思ひがけない所から欲しいものが来たり貰ったりする事があるがそういふ意味である。

自観叢書第三講の「広吉の霊」

 広吉は「再び娑婆に生まれたくない」と言っています。「娑婆では稼がなければ食ふ事が出来ず、苦しみばかり多くて実に嫌です」と、

 成る程、確かに現界では稼がないと食べる事もできない。お金がなければ、衣食住足りて暮らす事も出来ないわけで、霊界より現界の方が良いとばかり思っていましたが、ホント、現界に生きることの方が難しいのかもしれないなーと。現界に生まれてくる御霊はある程度知恵のある御霊でないと、この世で生きていく事は結構難しいことなのではないかと考えるようになってきました。今さらですが・・・(汗)。

 霊界にいるときは精神的な向上だけを考えていれば良いのではないかと思うのですが、この世では今回のコロナでも普通に働いて暮らしていた人が仕事がなくなると、あっという間に路上生活者に転落してしまうのですから、当たり前と思っていたこの世で衣食住足りて幸せに暮らすと言うことは確かに中々難儀なことのようです。

 昔、お釈迦様が修行された頃から、さらにさらに進んで現代があるので緯はどんどん進化しているわけで、考え方もそこに順応していかなくては行けないし、なんかアインシュタインの相対性理論みたいですが、それが伊都能売ということなのでしょうね。精神的な面と体的な面の両方をバランス良く考え暮らしていかなくてはいけないのですから、良く考えてみるとやっぱり簡単な事ではないですよね。「経と緯」バランスの取れた生き方が常識であり、地上天国建設の柱である個人の完成、家の完成に繋がっていくのですが、つい最近まで夜の世界にどっぷり浸かっていたのが私達人間なのですから、頭をグルッと切り替えていかないと結構難しいですよねー。

今日迄の世界は、東洋文化の精神的に偏した思想と、西洋文化の物質的に偏した思想とであったが為、どちらも極端に偏する以上、一切が巧(うま)くゆかなかったのである。従って人類の苦悩は何時になっても解決出来ず、世界の混乱は停止する処を知らない有様である。斯(こ)うみてくるとどうしても経緯(たてよこ)両方が結ばれなければ、完全な文化は生れない筈(はず)である。としたら此経緯の結ばる時こそ問題であるが、驚くべしそれが今日であり、其力の行使こそ本教の使命であって、本教のバッチがよくそれを表わしている。次に私は前から言っている事だが、観音力の働きもそれであって、即ち経にも非ず、緯にも非ず、といって経でもあり、緯でもあリ、何れにも偏らない応変自在であるから、千変万化、自由無碍(むげ)というのも此意味である。此理によって人間の心のあり方もそうなくてはならない。即ち心は常に原則として経緯結びの中心に置くべきで、之を一言に言えば常識である。本教が特に常識を重んずるのはそういう訳なのである

『文明の創造』宗教篇 「経と緯」

 メシヤ様の御教えは素晴らしいですね。

 いつまでも人間が夜の時代の癖を引きずって、変ろうとせずに今の自分に甘んじていることはもう許されない時を迎えていると思います。世の中も大きく変わろうとする節目を迎えています。個人の完成をどこまでも目指して向上を許されていかないとミロクの世が来て舞台の幕が開いても、本番の舞台に立つ役者がいないなんてことになってしまってはメシヤ様にあまりにも申し訳ない。

 それぞれ、向上を目指し、舞台に立たせて貰えるように、今年も一年励まさせていただきましょう!!。

 私、少し違っている所ありますでしょうか・・・?。
 私は人間なので間違いはあると思いますのでお許し下さいませ。御魂相応で完全ではございませんので。その辺ご理解いただけているものと思っております。 m(_ _)m 

 観音講座もあと第七講座をアップして全部ですし、茨木よし子さんの霊視日記も後2回残すだけとなりました。近いうちにメシヤ様が晩年に発行された『アメリカを救う』の掲載をしていきたいと考えています。昨年秋頃から、アメリカから毎日たくさんのアクセスを頂いております。ありがとうございます。

 メシヤ様が『アメリカを救う』と題した冊子を何故出されたのか?時代背景は少し遡りますが、共に学ばせていただきたいと思います。

         八尾屋


       

タイトルとURLをコピーしました