プラグマチズム (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日)

 私は若い頃哲学が好きであった。そうして諸々の学説の中、最も心を引かれたのは彼の有名な米国の哲学者ウィリアム・ジェームズのプラグマチズムである。先づ日本語に訳せば哲学行為主義とでもいうのであろう。それはジェームズによれば、唯だ哲学の理論を説くだけであっては一種の遊戯でしかない。宜しく哲学を行為に表わすべきで、それによって価値があるというのである。全く現実的で米国の哲学者らしい処が面白いと思う。私は之に共鳴して、其当時哲学を私の仕事や日常生活の上にまで織込むべく努めたものであった。その為プラグマチズムの恩恵を受けた事は鮮少ではなかった。

 私は其後宗教を信ずるに至って、此哲学行為主義をして宗教にまで及ぼさなくてはならないと思うようになった、即ち宗教行為主義である。宗教を凡てに採入れる事によって如何に大なる恩恵を受けるかを想像する結果として、斯ういう事が考えられる。先づ政治家であれば第一不正を行はない、利己のない真に民衆の為の政治を行うから民衆から信頼をうけ、政治の運営は滑らかに行く、実業家にあっては誠意を以て事業経営に当るから信用が厚く、愛を以て部下に接するから部下は忠実に仕事をする為堅実な発展を遂げる。教育家は確固たる信念を以て教育に当るから生徒から尊敬を受け、感化力が大きい。官吏や会社員は信仰心がある以上立派な成績が挙り、地位は向上する。芸術家はその作品に高い香りと霊感的力を発揮し、世人によき感化を与える。芸能家は信仰が中心にあるから品位あり、観客は高い情操を養ひ、良き感化を受ける、といっても固苦しい教科書的ではない、私のいうのは大いに笑わせ、大いに愉快にし、興味満点でなくてはならない。其他如何なる職業や境遇にある人と雖も、宗教を行為に表わす事によってその人の運命を良くし、社会に貢献する処大であるかは想像に難からない。茲で私は注意したい事がある。それは宗教行為主義を実行の場合、味噌の味噌臭きはいけないと同様に宗教信者の宗教臭きは顰蹙(ヒンシュク)に価する。特に熱心な信者にして然りである。世間よく信仰を鼻の先へブラ下げてゐるような人がある。之を第三者から見る時一種の不快を感ずるものであるから、理想的にいえば、些かの宗教臭さもなく普通人と少しも変らない、唯だその言行が実に立派で、親切で、人に好感を与えるというようでなければならない。一口にいえばアク抜けのした信仰でありたい、泥臭い信仰ではいけない。世間或る種の信者などは熱心のあまり精神病者かと疑わるる程の者さえあるが、此の種の信者に限って極端に主観的で家庭を暗くし、隣人の迷惑など一向意に介しないという訳で、世人からその宗教を疑わるる結果となるが、之等は指導者に責任があり大いに注意すべきであると思う。
  

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