テーマ別御教え

信仰雑話

人間の賢愚 (信仰雑話 昭和二十四年二月五日)

人間生れながらにして腎愚があるのは如何なる訳であろうか。之に就て解説してみよう。それに就て前以て知らなければならない事は、人間は一度は必ず死ぬが、死とは何ぞやという事である
信仰雑話

霊線に就て (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日)

霊線、という言葉は今日迄あまり使われないようである。というのは霊線というものゝ重要性を未だ知らなかった為で、空気より稀薄な目に見えざるものであったからである。処が人事百般、此霊線による影響こそは軽視すべからざるものがあり、人間にあっては幸不幸の原因ともなり、大にしては歴史にまで及ぶものである
信仰雑話

夫婦の道 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日)

近来、見合結婚が良いか、恋愛結婚が良いかは、相当喧しく論じられてゐる。然し乍ら之を霊的に解釈をする時は、どういう訳になるかを説いてみよう。
信仰雑話

我と執着 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日)

凡そ世の中の人を観る時、誰しも持ってゐる性格に我と執着心があるが、之は兄弟のようなものである。凡ゆる紛糾せる問題を観察する場合、容易に解決しないのは、此我と執着に因らぬものは殆んどない事を発見する
信仰雑話

順序を過る勿れ(あやまるなかれ) (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日)

心棒に近い処程少数者が担当し漸次遠心的に多数者となり、最外側のタイヤに至っては道路に接触する為過激の労働となる事によってみても、順序の何たるかを悟り得らるるであろう。故に、凡て主脳者たる者は、奥の方に引込み、頭脳だけを働かせ采配を振っておれば事業は発展する
信仰雑話

地震に就て  (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日) 

泥海が固体となるという事は大自然の硬化作用に因るので、硬化するに従い地球の容積は減ずる。所謂地殻の収縮である。此の地殻の収縮が地震の原因であるから、古い時代程地殻の収縮が大きい為、地震も大きかったのである
大経綸

開教の辞 世界救世(メシヤ)教の誕生に就て (救世四十八号 昭和二十五年二月四日)

霊界が昼となる以上、之が現界に移写するに於ては、夜の文化は当然不用なものは滅び有用な物のみが残る事となるのは当然である、それのみではない、長年月に渉る暗黒時代によって人類の罪穢の少なからず堆積せる以上、それの清掃作用が行はれなくてはならない、右の滅ぶべき不用物とは之を指して言うのである、
海外布教

[東方の光 下巻より] 海外布教(2)第一の布石

教祖は昭和二五年(1950年)ごろから、「アメリカ布教は樋口(ひぐち)さんに。」と語っていた。東京女子大学英語専攻部を出た樋口喜代子(きよこ)は、かつて日本女子大の講師を勤めるなど、長い間英語教育に携わったが、昭和十九年(1944年)、神縁に導かれて入信
アメリカを救う

米国に於ける病気状況  米国駐在信者 立松 文二(『アメリカを救う』 昭和28年1月1日発行)

再びイアゴウ・ゴールドストン博士の言葉を借りれば、「かかる現象は、現代医学の進歩に由因するのである。前にも述べたごとく、現代医学は死亡者数を大量に減らした代りに、罹病者数を大量に増やしたのである」そして、
芸術

ピカソ展を観て (栄光 百三十五号 昭和二十六年十二月十九日)

そこでありの儘をかいてみれば、先づ第一之が絵画というものであろうかという疑問である。一体何処に美しさがあり、何処に良さがあるのであろうか、之を室内に飾って、果して楽しめる人が一人でもあるであろうか、というように考えれば考える程分らなくなって了う。
信仰雑話

主義というもの (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日)

此の意味に於て人類社会永遠の平和と栄えを望むとすれば、今日迄の主義と異なる処の−−それは世界的、人類愛的のものでなくてはならないと思う。近来米国に於て唱道され始めた世界国家や、MRA運動等は右の如き意味のもので、吾等と同一目的たる地上天国出現を目標としての運動と見るのである。
信仰雑話

気候と天候 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日)

気候の変化も、天候の好し悪しも、人間が作るという事である。というと甚だ不思議に聞えるかも知れないが、之から私の説く処を玩味されたいのである。
信仰雑話

運命と自由主義 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日)

運命は限定された或枠内の中は自由自在で、その人の努力次第で、枠内の最上位に迄は到達なし得ると共に、その反対であれば下位に転落するのである。
信仰雑話

下座の行 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日)

神様は慢心を非常に嫌うようである。謙譲の徳といゝ、下座の行という事は実に貴いもので、文化生活に於て殊にそうである。
信仰雑話

観音教団とは何乎 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日)

以上説く如く世界の大転換期を乗越す資格とは、病貧争絶無の世界に生存なし得る人間であって文字通り病気のない健康人、貧苦から脱出した人間、和を好み争を嫌う人間である。此三大資格を有する人間であれば神は滅し給う必要がないばかりか、来るべき新世界の有能人として遇される訳で、神の意図と人間の理想との食違いはない事を私は信ずるのである。
御教え集

御教え集1号 昭和二十六年八月二十一日(昭和26年9月20日発行) ※御法難の別の面の救い

私は何もないから――良い弁護士を傭う丈の力があるから思いきつてやる。之も印刷にして、裁判長や検察官に配る積りですが、それは何にも気が咎める事がないから出来る。そうすると、今迄泣寝入りして、罪をつくられた人を助けてやる。それから、日本の裁判の非民主的のやり方を幾分でも良くしなければならないと言う、やはり一つの救いです。救いの別の面のやり方になる。
信仰

之も慢心 (栄光 百二十一号 昭和二十六年九月十二日)

其證拠には今迄間違った信仰の為に、神様から裁かれ、人によっては命迄失った事実は沢山あり、古い信者は幾度も経験しているであろう、だから人の善悪を批判する前に、先ず自分の腹の中の善悪を見る事である。
信仰雑話

大乗と小乗 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日)

最後は経緯を結ぶ、即ち十字型とならなければならない。此意味に於て時所位に応じ経ともなり、緯ともなるというように、千変万化、応現自在の活動こそ真理であって、此十字型の活動が観音行の本義である。昔から観世音菩薩は男に非ず女に非ず、男であり女であるという事や、聖観音が・・
信仰雑話

禁欲 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日)

 昔から立派な宗教家たらんとするには、禁欲生活をしなければならないように想われ、それが真理を悟り魂を磨く最良の方法とさえ思われてゐた。然し私は反対である。
信仰雑話

迷信邪教 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日)

今日新聞雑誌ラヂオ等、盛んに迷信邪教に瞞(ダマ)されるなという事を警告してゐるが、成程迷信邪教は昔から断えず輩出してゐるばかりか、今日は最も甚しいようである。然し全部が全部迷信邪教とはいわれまい。その中の幾分かは今日立派な宗教として残ってゐるからである
信仰雑話

難行苦行 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日)

日本に於ても未だ相当バラモン式苦行を行う行者や宗教家もあるようであるが、私はあまり賛成出来ないのである。というのはわが観音教の信徒が別段難行をせずとも覚者となり、正しき道を履(フ)み、天職使命を実践するようになり得るからである。
信仰雑話

怒る勿れ (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日)

私の修業は「借金の苦しみと怒りを我慢する」という此二つが重なるものであった』と答へるので、聞いた人は唖然とするのである。
芸術

御教え集29号 昭和二十八年十二月二十三日 御誕生祭 (御生誕祭) 昭和二十九年一月十五日発行

私は今日で満七十一歳になります。それで今日は皇太子様の御誕生日にもなるので、余程私と因縁があるように思われます。皇太子様は明仁と言って、やはり「明」の字で、私は明主なのですから、これも不思議と思われます。
信仰雑話

信仰の醍醐味 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日)

私は常に、どうしても判断がつかぬ難問題に逢着した時、観音様に御任せするといふ事にして、後は時を待つのである。処が想ったよりも良い結果を得らるる事は幾多の体験によって明かである。殆んど心配したやうな結果になった事は一度も無いといっても可い。
観音講座

『観音講座』第六講座  日本と外国の使命(昭和十年九月五日) 

光明世界になった時の風俗、都市、農村及刑罰の点をお話する。
信仰雑話

常識 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日)

先づ自己が幸福者たらんとするには他人を幸福にする事で、それによって与えらるる神の賜が真の幸福である。然るに自己のみの幸福を欲し他人を犠牲にするというが如きは全く逆効果以外の何物でもない事を知るべきである。
第十二篇「自観説話集」

信仰の種類 (自観叢書十二 昭和二十五年一月三十日)

右の中、どれにも該当しない信仰でありとすればそれは正しい信仰である。
御垂示録1号 

※愛人、日本画、書、総合芸術、井戸 御垂示録1号 昭和二十六年八月八日⑤

綜合芸術と言うものが之から発達して行く。今迄色んな色を作つたでしよう。今度はその色々な色を混ぜて絵を画く。そう思えば一番分る。
御垂示録

※邪神、八大龍王、稲荷、霊媒 御垂示録1号 昭和二十六年八月八日 ④

ですから八大龍王が家来になつて闘つている。五男三女と言うのは、五柱の男神様と三柱の女神様ですね。その又眷族があり、関係があります。
御垂示録1号 

※御神体・お写真等 御垂示録1号 昭和二十六年八月八日 ①

《御垂示》 御神体です。それから病気とか、色んなお蔭を戴く時は御写真を先にする。やつぱり時期によつてそうするんです。今の時期は光明如来様が御神体として最高としてする。
信仰雑話

正しき信仰 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日)

「疑は信の初めなり」という事があるが、之は全く至言である。私は「信仰は出来るだけ疑へ」と常に言うのである。世間種々の信仰があるが、大抵はインチキ性の多分にあるものか、そうでない迄も下の位の神仏や狐、狸、天狗、龍神等を的(マト)としたものが多く、正しい神を的とする信仰は洵に少ないのである。
信仰雑話

誠 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日)

世界も、国家も、個人も、凡ゆる問題を解決する鍵は『誠』の一字である。
観音講座

『観音講座』第五講座  善悪の真諦と光明世界の建設

霊界において現界に相応するのは八衢(やちまた)である。天国、地獄の中間に位する所なのである。現在の世間はこの八衢であるのがよく現われている。天国は上に行く程綺麗になり立派になって行く。
御垂示録1号 

※霊界 御垂示録1号 昭和二十六年八月五日 ②

やはり霊界の邪魔なんです。一時先方が勝つが、段々神様の力が強くなると、こちらが勝つ。ミロクの世迄この戦いは続くんです。
浄霊

平均浄化に就て (救世五十九号 昭和二十五年四月二十二日)

此平均浄化という事は治る医術であるからで、本教浄霊の特殊性で、他には決してない、何となれば他の凡ゆる療法は治病の力がないから、平均浄化などあり得ないからである。
生活

子供の不良化 (救世五十九号 昭和二十五年四月二十二日)

親が木の幹であるとすれば子はその枝である。故に幹の方を閑却しておいて、枝が腐朽するのを止めようと骨を折るのだから、ナンセンス以外の何物でもない、子供の不良化の原因が親にある事を充分知る事こそ、問題解決の根本条件である。
大経綸

霊的に観たる熱海の大火 (救世五十九号 昭和二十五年四月二十二日)

原因は自動車運転助手の過失という事であるが、勿論不注意の為である点に間違いはないが、吾々宗教人としては、此原因を霊的に検討する義務があると思うから、茲にかくのである。
信仰

*最善を尽くして時を待つ 御光話録 昭和二十三年九月二十八日 奥付不明

メシヤというのはヘブライ語ですからちょっと日本語には解し難い。意味は救世主、救い主ということです。キリスト教の人はキリストが救い主だと信じているが、本当は贖罪主であって救世主とはたいへん違うのです。万民の罪を贖った人、罪の代表になり生命をギセイにして初めて許された人です
観音講座

『観音講座』 第四講座   「神幽現三界の実相」

仏界は追々となくなり、仏が神界へお帰りになる。これにより仏滅となる。八段地獄ということを日蓮上人は言ったが、九段地獄が本当である。これでやはりみろくである。
御垂示録1号 

*法は順序、お守り、御神体御垂示録1号 昭和二十六年八月一日②

あなたの個人の方が上になる。そう言う、順序が狂つている。それが、一つの法なんですね。だから、何んでも神様の方を先にしなければならない。主と従が、何んでもある。神様の事は何んでも主にして貰いたい。