岡田茂吉 栄養の喜劇 (自観叢書十 昭和二十五年四月二十日) | 岡田茂吉を学ぶ

栄養の喜劇 (自観叢書十 昭和二十五年四月二十日)

栄養の喜劇とは、随分変な題と思うであらう、私もこんな言葉を用いたくはないが、外に適当な言葉を見出せないから読者は諒されたいのである。

抑々今日一般に何の疑いもなく信ぜられ実行されつつある栄養学なるものは、全然誤謬以外の何物でもない。此誤れる栄養学が有害無益の存在であるに不拘(カカワラズ)、最も進歩せる文化の一面と信じ盛に世に行われているのであるから、それに要する労力や費用の尨大なる事は、実に惜みても余りあると言ふべきである。私が此様な大胆不敵にして狂人とも見られそうな理論を発表するというのは今日の現状に対し到底黙止する事は出来ないからで、以下出来るだけ詳細に書いてみよう。

今日栄養剤として先づ王座を占めてるビタミンA、B、Cを初めアミノ酸、グリコーゲン、含水炭素、脂肪、蛋白等を主なるものとし多種多様なものがあり、ビタミンの種類が年々増加しつつあるのは衆知の通りであるが、之等を服用又は注射によって体内に入れるや一時的効果はあるが持続性はない。結局は逆効果となるから栄養剤を服めば服む程人体は衰弱するのである。之は如何なる訳かといふと、抑々人間が食物を摂取するといふ事は、人間の生命を保持し生活力を発揮させる為である事は今更説明の要はないが、此点の解釈が今日の学理は実際と喰違ってゐる。

先づ人間が食物を摂るとする、歯で噛み食道を通じて胃中に入り次いで腸に下り不要分は糞尿となって排泄され、必要分のみを吸収するのである。此の過程を経る迄に肝臓、胆嚢、腎臓、膵臓等凡ゆる栄養機能の活動によって血液も筋肉も骨も皮膚も毛髪も歯牙も爪等一切の機能に必要な栄養素を生産、抽出、分布し端倪すべからざる活動によって生活の営みが行はれるので実に神秘幽幻なる造化の妙は到底筆舌には表はせないのであって、之がありのまゝの自然の姿である。

右の如く、人間が生を営む為に要する栄養素は総ゆる食物に含まれてをり、食物の種類が千差万別であるのもそれぞれ必要な栄養資料となるからであると共に、人により時により嗜好や量が異ったり、又種類が同一でないのは受入れる体内の必要によるからである。例えば腹が減れば物を食ひ、喉が涸(カワ)けば水を飲み、甘いものを欲する時は糖分が不足しているからで、辛いものを欲する時は塩分不足の為である。という訳で人間自然の要求がよく其理を語っている。何よりも人間が欲する場合必ず美味いという事である。故に薬と称して服みたくもない不味い物を我慢して食う事の如何に間違っているかが判るのである。昔から「良薬は口ににがし」などという事の如何に誤りであるかで、にがいという事は毒だから口へ入れては不可ないと造物主が示しているのである。此の理によって美味である程栄養満点であって、美味であるのは食物の霊気が濃厚で栄養分が多い訳である。新鮮なる程魚も野菜も美味という事は霊気が濃いからで、時間が経つに従い味が減るのは霊気が発散するからである。

茲で栄養剤に就て説明するが、抑々体内の栄養機能は如何なる食物からでも必要な栄養素即ちビタミンでも何でも自由自在に恰度必要量だけ生産されるのである。つまりビタミンの全然ない食物からでも栄養機能の不思議な力は所要量だけのビタミンを生産するのである。此様に食物中から栄養素を生産するその活動の過程こそ人間の生活力である。早く言えば、未完成物質を完成させるその過程の活動が生活に外ならないのである。

此理に由って、栄養剤を摂るとすれば、栄養剤は完成したものであるから体内の栄養生産機能は、活動の必要がないから自然退化する。栄養機能が退化する以上、連帯責任である他の機能も退化するのは当然で、身体は漸次弱化するのである。之に就て二、三の例を挙げてみよう。

以前アメリカで流行されたフレッチャーズム喫食法という食事法があった。之は出来るだけよく噛み、食物のネットリする程よいとされてゐる。之を私は一ケ月間厳重に実行したのである。処が漸次体力が弱り、力が思うように出なくなったので驚いてやめ、平常通りにした処、体力も恢復したのであった。そこでよく噛むという事が、如何に間違っているかを知ったのである。それは如何なる訳かというと、歯の方でよく咀嚼するから、胃の活動の余地がないから胃は弱るという訳であるからすべて食物は半噛み位がよい事を知ったのである。昔から早飯早糞の人は健康だと謂われるが、此点現代文化人よりも昔人の方が進化していた訳である。

又消化薬を服むと胃の活動が鈍るから胃は弱化する。従って又服む。又弱化するという訳で胃病の原因は胃薬服用にあることは間違いない事実である。慢性胃腸病患者が消化の良いものを食べつつ治らなかった際、偶々香の物で茶漬など食ひ治ったという例はよく聞く処である。

前述の如く未完成食物を喰ひ、完全栄養素に変化させるその活動こそ人間生活力であるという事を、機械製造工場へ例へてみよう。

最初、工場に原料資材を搬入するとする、工場は石炭を焚き、機械を動かし、職工が活動し漸次完成した機械が作られる。その過程が工場としての存在理由である。之を反対に完成した機械を工場に搬入するとすれば、工場は労作の必要がないから石炭も焚かず、機械も動かさず職工も必要がない、という訳で工場は閉鎖するより仕方がない。

以上の如く私は出来るだけ判り易く説明したつもりであるが、此理によって考へれば栄養剤という何等の味もない物に多額の金銭を費し反って身体を弱らせるというのであるから、其愚や喜劇というより評しようがないのである。之が珍標題を付けた所以である。

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