御論文

文明の創造

『文明の創造』科学篇「口中の病など」(昭和二十七年)  

口中の病に関してかいてみると、先ず歯であるが、歯の強弱の原因は、全く全身の健康と正比例しているものであって、近代人の歯の弱いという事は、健康が弱っているからである。勿論其(その)原因は体内に溜っている薬毒の為ではあるが、其他として入歯の際の消毒や虫歯を治す為の薬毒の害も軽視出来ないものがある。
文明の創造

『文明の創造』科学篇「扁桃腺炎」(昭和二十七年) 

世間よく扁桃腺炎を根治する目的で、扁桃腺を除去する事が、常識のようになっているが、最近の学説によれば、扁桃腺は貴重なもので、除去しない方が可(よ)いとされて来たという事である。全く除去した結果は他に悪影響を及ぼす事が分ったからで、実に喜ばしい限りで、私が長年唱えて来た説が、漸(ようや)く認められるようになったもので、満足に堪えないのである。
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『文明の創造』科学篇「其(その)他のもの」(昭和二十七年)

背部や胸部等に出来た腫物を手術した為、其時の消毒薬が頭脳に迄滲透(しんとう)し固まるので、その手術が局部の前部、背部の関係で、前頭部又は後頭部の悩みとなるのである。要するに上半身に於ける手術の際の消毒薬が、頭脳の病原になる事が分ればいいのである。
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『文明の創造』科学篇「耳鳴」(昭和二十七年) 

此(この)原因もヤハリ延髄部の固結で、之が不断の微弱な浄化によって、溶ける其(その)音が耳に響くのである
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『文明の創造』科学篇「睡眠不足」(昭和二十七年) 

此(この)原因は全く一種の脳貧血であって、延髄部に固結が出来、それが血管を圧迫し、脳貧血を起させ、睡眠不能となるのであるが、此固結は右側の方が多く、左側は少ないもので、之を溶かす事によって百発百中必ず治るのである。
文明の創造

『文明の創造』科学篇「脳貧血其(その)他」(昭和二十七年) 

之は脳の血液が減少の為発(おこ)る病気である。では何故減少するかというと、人体は絶えず頭脳に向かって、送血されているので、之が一定量なら何事もないが、其量が減ると頭脳機能の活動が純る。それが脳貧血である。
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『文明の創造』科学篇「上半身の病気と中風」(昭和二十七年)

脳溢血の原因は、頸(くび)の固結であって、特に左右何れかの延髄部に長年月を経て毒血が固まるのである。従って脳溢血の毒結を知るのは雑作もない。右の部を指で探れば必ず固結の有無が判る。
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『文明の創造』科学篇「神経痛とリョウマチス」(昭和二十七年) 

単に神経痛といっても色々あるが、それは勿論場所によるのである。然し普通は手や足や肋間等でリョウマチスを併発する場合も多く、要するに此の病気は、外部的神経が痛むだけで、内臓は何ともないのである
文明の創造

『文明の創造』科学篇「肝臓、胆嚢、膀胱の結石」 (昭和二十七年) 

医診でよく言われる肝臓病というのは、実は誤りで、肝臓そのものには異状がないので、只肝臓の外部に薬毒が固結しておるのを間違えたものである。然し勿論其毒結が肝臓を圧迫しているので、苦痛であるのみか、之が黄疸の原因ともなるから、始末が悪いのである
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『文明の創造』科学篇「喘息」(昭和二十七年)

喘息に関しては、医学では全然判っていないのである。というのは医学に於ける喘息の説明は、殆ど問題になっていないからである。ヤレ、アレルギー疾患だとか、迷走神経の緊張だとか、神経過敏性とか、・・・
文明の創造

『文明の創造』科学篇 主なる病気(二)「肋膜炎と腹膜炎」 (昭和二十七年)

肋膜炎は、医学でも言われる如く、肺を包んでいる膜と膜との間に水が溜るので、之が湿性肋膜炎と言い、膿が溜るのを化膿性肋膜炎と言い、何も溜らないのに膜と膜との間に間隙(カンゲキ)を生じ、触れ合って痛むのを乾性肋膜炎と言うのである。
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『文明の創造』科学篇「主なる病気(一) 腎臓病と其他の病」 (昭和二十七年)

腎臓は体内機能中、三大機能に次いでの重要なる役目をしているもので、之は医学でも唱える如く、一旦腎臓へ集溜されたる血液中から、貴重なるホルモンを抽出すると共に、廃物液体である尿は膀胱へ送られるのである。処が厄介な事には、腎臓が完全に活動されるとしたら右の通りであるが、実際上幼児から少年、青年、壮年と年を重ねるに従って、漸次働きが鈍るのが通例で
文明の創造

『文明の創造』科学篇「胃病」(昭和二十七年)

病気の原因が殆ど薬毒である事は、今迄説いた通りであるが、特に胃に関した病気程それが顕著であって、悉(コトゴト)く薬で作られるといってもいいのである。それを今詳しくかいてみる
文明の創造

『文明の創造』科学篇「心臓」(昭和二十七年)

人体の機能中、最も重要であるのは、心臓であって、機能中の王者と言うべきものである。従って心臓機能の本体が根本的に判らない限り、真の病理は確立する筈はないのである
メシヤ様の生涯

宗教となる迄 (自観叢書九 昭和二十四年十二月三十日)

戦時中の事はあまりかく必要がないが、兎に角、奇蹟の多かった事は素晴しいものであった。戦禍による災害を蒙ったものは殆んど一人もないといってもいい位だ。雨霰と降る爆弾が其人をよけてゆき聊かの被害もなかった話や、煙に取巻かれ、進退谷った時、道案内するかのように、煙の幕の一部に人の通る位の間隙が出来た事や、飛行機から機銃掃射をされたが、弾はその人を除けて前後左右に落下した事など数限りない生命拾いの体験を、毎日のように聞かされたものである。
メシヤ様の生涯

運命の転換 (自観叢書九 昭和二十四年十二月三十日)

昭和十五年十二月一日愈(イヨイヨ)よ治療をやめ、いはば一個の浪人となったのである。それは寧(ムシ)ろ霊的にみて、一段階上った事になるので内心は喜ばしく思ったのである。というのはそれまで治療という極限されたいはば、第一線に於る体当り的兵隊の仕事であったからでもある
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『文明の創造』科学篇「薬毒の害」(昭和二十七年)

処が私が生まれた事によって、此の人類の不幸の源泉たる病気が解決される事となったので、全く有難い時が来た訳である。従って之によって文明は百八十度の転換となり、理想世界実現となるのは勿論であろう。

夜の終り近づけり汝等悔改めよ(光新聞四十二号昭和二十四年十二月三十一日)

大聖キリストの曰った「世の終り近づけり汝等悔改めよ」と、又一面「天国は近づけり汝等悔改めよ」との此二つの警告は此意味を本当に説いたものは未だ曽つてなかったようである、勿論時期到らなかった為でもあるが、私が常に言う処の今日迄は夜の世界であったからで、それが時期愈々来って夜の世界は茲に終焉を告げ昼の世界に転換する事となったという意味とよく合致している事である、即ち世の終りとは夜の終りであり、天国とは昼の世界を言うのである
文明の創造

『文明の創造』科学篇「人間と病気」(昭和二十七年) 

近代医学に於ては、病原の殆どは細菌とされている。従って細菌の伝染さえ防げば病に罹(カカ)らないとする建前になっているが、只それ丈では甚だ浅薄であって、どうしても細菌というものの実体が、明確に判らなければならないのである。というのは仮令(タトエ)黴菌(バイキン)と雖(イエド)も、何等かの理由によって、何処からか発生されたものである以上、其の根本迄突止め、把握しなければ意味をなさない訳である
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夜昼転換  (天国の福音 昭和二十二年二月五日) 

私は約二十数年間に渉って治療した患者は無慮数万人に上ったであらう。その体験から得た結論は一言にしていへば「病気の原因は薬剤である。」といふ事である。凡ゆる病患の原因を探求すればする程、悉く薬剤ならざるはないのである。もし人類が之に目覚めない限り何時かは滅亡に至るべきは一点の疑ふ余地はない。
栄光

世界人たれ(栄光124号 昭和26年10月3日)

終戦直後或軍人上りの人が私の処へ来て、憤懣に堪えない面持で『今度の降伏はどう考えても分らない、実に怪しからん』と言って、憤慨しながら話かけるのだが、私の方はサッパリ気が乗らないので、彼は呆れたらしく曰く『先生は日本人ですか』と質くから、即座に『私は日本人じゃない』と答えると、彼はギョッとして、震え乍ら『では何処の国の人間ですか』と質き返えすので、私は言ってやった。『つまり世界人なんですよ』
文明の創造

『文明の創造』科学篇「栄養」(昭和二十七年)

人間は食物に関しては栄養などを余り考えないで、只食いたいものを食うという自然がいいのである。其の場合植物性と動物性を都会人は半々位がよく、農村人と病人は植物性七、八割、動物性二、三割が最も適している。食餌を右のようにし、薬を服まないとしたら、人間は決して病気などに罹る筈はないのである。
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病気の真因 (天国の福音 昭和二十二年二月五日)

凡そ人間が此世に生を享くるや、遺伝黴毒や最初に述べた天然痘毒素が主なるものとして種々の毒素を保有してゐる事は前項に述べた通りである。そうして之等の毒素の支障によって健康が完全に保持出来得ないから、生理的に体外に排泄せらるべく、断えず自然浄化作用が行はれるやう造られてゐるのが人体である。然し乍ら自然浄化作用が行はれる場合或程度の苦痛が伴ふので、その苦痛過程を称して病気といふのである。
メシヤ様の生涯

三度目のブタ箱入り(自観叢書九  昭和二十四年十二月三十日)

前項に述べたごとく、復活した私は一年有余の空白を埋めようとして一生懸命治療に励んだ。すると三年目の昭和十五年十一月またまた玉川警察へ召喚された。
メシヤ様の生涯

豚箱入り(自観叢書九  昭和二十四年十二月三十日)

当時、大日本観音教会(創立は昭和九年十月)の会長をしておった私は当時支部が埼玉県大宮市にあり、その支部長として武井某なる者が、大宮市にあった片倉製糸で女工千人くらいを収容していた大工場があった。その女工連中の病気を多数治した事から医師法違反に引掛り、武井が警察へ留置されると共に、その会長たる私が調べられる事になった
生活

女性の福音 (栄光二百三十号 昭和二十八年十月十四日)

化粧品中毒が如何に恐ろしいものであるかをかいてみるが、先頃四十歳位の本教幹部の婦人、全部の歯がグラグラになり、総入歯にしなければならないと困っているのを私は見た処、強い薬毒が含まれている化粧品を、長い間用いたのが原因であることが分った。
メシヤ様の生涯

神様と私との関係 (地上天国57号 昭和二十九年二月二十五日)

以前のように神様に伺う事は必要がない事になったのである。というのは神霊は私の体内に在す以上、以前のように神と人との隔てが撤去され、神人合一の境地になったからである。つまり神即人である以上、私の行う事は神直接であるから、私の思うままを行ればいい事になったのである。
文明の創造

『文明の創造』科学篇 「結核と特効薬」 ( 昭和二十七年)

薬の効き目とは毒の効目であるから、毒が強い程よく効く訳で、浄化停止の力もそれだけ強いから、症状が軽減するといふ訳で、特効薬として売出されるのである。然(しか)し何(いず)れは其の薬毒の浄化作用が起るから、毒の強い程浄化も強く来るといふ次第で、結果は一の苦痛を免れやうとする其の方法が、二の苦痛の種を蒔くといふ事である。それが薬学の進歩と思ふのであるから問題は実に大きいと言はねばならない
文明の創造

『文明の創造』科学篇 「自然を尊重せよ」 ( 昭和二十七年)

医学特に結核患者に対しては、安静を最も重要とされてゐるが、之は前にも述べた如く大変な間違ひである。ではどうするのが一番いいかといふと、何よりも自然である。自然とは自分の身体を拘束する事なく、無理のないやう気儘(きまま)にする事である
文明の創造

『文明の創造』科学篇 「結核と精神面 」( 昭和二十七年)

結核に就(つい)て、割合関心を持たれてゐないものに精神面がある。処が事実之程重要なものはない。誰も知る如く一度結核の宣告を受けるや、如何なる者でも精神的に一大衝撃を受け、前途の希望を失ひ、世の中が真暗になって了(しま)ふ。言はば執行日を定めない死刑の宣告を受けたやうなものである、
第九篇  「光への道」

玉川時代 (自観叢書九  昭和二十四年十二月三十日)

その屋敷の門から入り、庭に降り立つや思はず知らず、「こゝだ。」という声が出た。帰宅後一首の歌が浮んだ。『  月に好く   花にまたよし雪によき   玉川郷は天国の花』
第九篇  「光への道」

大本教脱退の理由 (自叢九 昭和二十四年十二月三十日)

之はよく聞かれるから、簡単ながら弁明する事にする。確か昭和二、三年頃だったと思うが、
文明の創造

『文明の創造』科学篇 「霊主体従」 昭和二十七年 

抑々人間とは体と霊との二原素の密接合致によって成立っているものであって、勿論体とは眼に見ゆる物質で誰にも判るが、霊とは眼に映らないものである以上、長い間分からなかったのである。処が確実に存在している一種のエーテルの如きものである。としたら方法によっては、把握出来ない筈はないのである。
文明の創造

『文明の創造』科学篇 「無機質界」 昭和二十七年   

唯物科学の到達し得た処の極致点が、現在の原子科学であるとしたら、其の次の存在である処の世界、即ち私の唱える無機質界が明らかにされたのであるから、科学上からいっても、実に劃期的一大進歩といえよう。そうして此の世界こそ曩に述べた如く、科学と神霊との繋がりの存在であって、今茲に説く処の此の文は、つまり科学界と神霊界との中間にある空白を充填した訳である。実に此の空白こそ今日迄科学者も、哲学者も宗教家も知らんとして知り得なかった処の、神秘的謎の世界であったのである
結核信仰療法

黴菌の発生  (結核信仰療法 昭和二十七年十二月一日)

  茲で一体人間の霊なるものは、何であるかというと、科学的に言えば非常に密度が高く超稀薄なものであって、現在進歩した原子顕微鏡でも、到底見る事は出来ない程の超々極微粒子であるにも拘わらず、之こそ前記の如く人間の本体であるから、全く想像もつかない程の神秘幽幻なものである。此理によって病原の最初は此霊の全部又は一部に曇りが発生する
大経綸

最後の審判とは何か (栄光213号 昭和二十八年六月十七日)

世界的大清算であって、長い間溜りに溜った処の罪穢の浄化作用である。従って余りに穢(キタナ)くどうにもならないものは、地上から永遠に抹殺される外はないから、恐ろしいのである。
文明の創造

『文明の創造』科学篇「肺患と薬毒」 ( 昭和二十七年)

三期結核は薬毒病と言ってもいい位で、斯ういう患者を私はよく治療したが、その目的は薬毒を除るだけである。何よりも薬毒が減るに従って、漸次恢復するに見て明らかである。但し此の薬物を除る方法こそ私の発見した浄霊法である。
文明の創造

『文明の創造』科学篇 「肺炎と結核」(昭和二十七年)

抑々肺炎と結核という病気の初因は、勿論感冒からである。というのは前項に述べた如く、折角感冒という浄化作用が発生するや、医療は極力停止させようとして、種々の手段を行う。之も既に述べた通りである
文明の創造

『文明の創造』科学篇 病気とは何ぞや「寒冒」 (昭和二十七年)    

毒素排泄作用の苦痛が病気であるとしたら、病気こそ浄血作用であり、健康上最も必要なもので、神の恩恵中最大なものと言うべきである。故に若し人類から、病気を取除いたとしたら、人間は漸次弱って、遂には滅亡に到るかも知れないのである。
文明の創造

『文明の創造』科学篇「医学の解剖」( 昭和二十七年)

若し病気が医学で本当に治るとしたら、段々病人は減り、医師の失業者が出来、病院は閑散となり、経営も困難となるので、売物が続出しなければならない筈であるのに、事実は凡そ反対である。何より結核だけにみても、療養所が足りない、ベットが足りないと言って、牟々悲鳴を上げている現状である。