御論文

文明の創造

総篇 既成文化の謬点(びゅうてん) (文明の創造 昭和二十七年)

天の時来って絶対力を与へられ、其行使による人類救済の大使命を帯びて出顕したのが私である以上、私によって真理の深奥を説き、人類最後の救ひを実行すると共に、新文明世界設計に就ての指導的役割をも併せ行ふのであるから、実に全人類に対する空前絶後の一大福音(ふくいん)である。
栄光

⦿(ス)の文化 (栄光百七十三号 昭和二十七年九月十日)

言い換えれば九分九厘の悪を一厘の善の力で往生させるという意味である。恰度○全体が黒く塗りつぶされようとする時、チョン一の力で、反対に黒を消して白全体にして了うので、之を世界的にいえば空虚な文明に実を入れる。即ち魂を入れるのである
文明の創造

『文明の創造』 総篇 「序文」( 昭和二十七年)

此の著は歴史肇って以来未だ嘗てない大聖著であり、一言にしていえば新文明世界の設計書であり、天国の福音でもあり、二十世紀のバイブルといってもよかろう。即ち現在の文明は真の文明ではなく、新文明が生まれるまでの仮の文明であって、聖書にある世の終りとは、この仮定文明世界の終りを言ったものである。また今一つの“普く天国の福音を宜べ伝えらるべし、然る後末期到る”との予言も、この著の事であろう。
大経綸

東方の光  (栄光百八十二号  昭和二十七年十一月十二日) 

今から約二千年前位と思うが、ヨーロッパの一隅から東方の光という言葉が生れ、段々拡がって今日は世界中知らぬ者はない程であるが、今日迄此言葉の意味が本当に 分らなかった為、今尚謎のまゝになっているのであるが、私は之に就て真の意味を知らせようと思うのである。
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『天国の福音書』 序文  救世(メシヤ)教とは何ぞや       (天国の福音書 昭和二十九年八月二十五日)

この文を書くに当って、前以て断っておきたい事は、我がメシヤ教は純然たる宗教ではないのである。と言っても、一部には宗教も含まれてはいるが、全部でない事は勿論である。では、何故メシヤ教の名を附けたかというと、何しろ有史以来夢想だもしなかった処の劃期的救いの業である以上、止むを得ずそう附けたまでであって、特殊の名前を附けるよりも、この方が分り易く親しみ易いからで、これを卒直に言って宗教以上の宗教、即ち超宗教であり、空前の救いの業と思えばいい

大経綸

六韜三略の巻 (栄光百十九号 昭和二十六年八月二十九日)

之は全く、仏滅後ミロクの世を御造りになる大経綸の、深い仕組をかかれたものに違いなく、其文字はミロクの神様の御神示をかかれたものであって之こそ私が現在実行しつつある、多種多様の神業のプログラムで、私が見真実になった時、已に明されたものである。
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私は宗教科学者だ (栄光255号 昭和29年4月7日)

近来学者間に於てヴィールスは無機物か有機物かの論議があるそうだが、実に滑稽である。それは無機物から有機物に変化せんとする中間粒子であるからで、どちらとも決められないのである。従って肝腎なのは無機物発生の原地であって、これが霊界である。故にこれが分れば最早顕微鏡の必要はなくなる訳である。
第四篇「奇跡物語」

黄泉比良坂の戦 自観叢書第4篇『奇蹟物語』昭和24年10月5日

この標題について、時々たずねられるから概略解説してみよう。これはもちろん古事記にあるものでそれを如実に私が体験した経緯をかくのである。
政治

再び汚職の母体 (栄光二百五十一号 昭和二十九年三月十日)

この題の下に前号に色々かいたが、まだ言い足りない点があるので、再びかいてみようと思うのである。というのは目下ジャーナリストがこの問題に対する批判として、各新聞に出ているのを見ると、尤もらしい理屈はかいているが、その実平平凡々、何等新味はなく

政治

汚職の母体 (栄光二百五十号 昭和二十九年三月三日)

汚職の急所とは何であるかというと有神思想であって、実は汚職問題と雖もその発生の母体は有神思想とは反対の無神思想であるから始末が悪いのである。言うまでもなく無神思想とは、ズルイ事をしても人の眼にさえ触れなければ済むとする怪しからん考え方であって、然も人智の進む程それが益々巧妙になると共に、出世の第一条件とさえ思われている今日である。
神霊科学

浄霊は科学療法なり-1(栄光二百四十三号  昭和二十九年一月十三日)

抑々人間なるものは万物中最高級なる生物であって、実に神秘霊妙到底人智では計り得ないものがある。処が科学はそのような深い点は全然未知なるが為、人間を以て単なる一個の動物と看做し、物質である肉体のみを対象として来たのでから、病気を以て肉体の毀損と解し、薬剤や機械等の物質を以て修理しようとする甚だ単純な考え方であった。

大経綸

浄霊は科学療法なり-2 (栄光二百四十七号 昭和二十九年二月十日)

前(サキ)にかいた処の太陽の精なるものは、勿論太陽の霊であるのは言うまでもないが、では何故今日まで地球上それが現われなかったかというと、これには大なる神秘 的理由がある事であって、それを詳しく書いてみよう。
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感じの良い人 (栄光257号 昭和29年4月21日)

凡そ感じが良いという言葉程、感じの良い響きを与えるものはあるまい。処がよく 考えてみると、処世上これが案外重要である事である。それは個人の運命は固より、社会上至大な関係があるのである。例えば誰しも感じのいい人に接すると、その人も感じが良くなり、次から次へと拡がってゆくとしたら、心地よい社会が出来るのは勿論である
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優しさと奥床しさ (栄光七十五号 昭和二十五年十月二十五日)

凡そ現代の人間を観る時、最も欠除してゐるものは、優しさと奥床しさであらう。 先づ茲では本教を主としてかいてみるが、例えば自分の信仰がどれ程進み、身魂がどの位磨けたかを知るには一の標準があって、これは左程難しい事ではない、何よりも人と争う事を好まなくなり、優しさが湧き奥床しさが現はれる、斯ういう心と態度 になるこそ磨けたとみてよく、此点最も信仰の価値を見出すのである

薬剤は科学?(栄光二百五十四号 昭和二十九年三月三十一日)      

驚いてはいけない、薬が効くのと病気の治るのとは似て否なるもので、根本的に異っている事である。という訳は 薬が効くというのは苦痛が一時治まるだけの事であって、病気そのものが治るのではない。