神は在るか (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日)

此の問題に就いては昔から今日迄論議されていて、未だ解決は付かないが、之に就て先づ私自身の経験をかいてみよう。といふのは私は三十二、三歳の頃までは極端な無神論者で、神社の前を通っても決して礼拝をした事がない。その理由は斯うである。 凡そ神社の神体なるものは、木製の御宮と称する屋根と扉のある小さな一個の筥(ハコ) を作り、その中には金属製の鏡か石塊(イシコロ)か又は文字の書いた紙片があるばかりで、それを拝むといふ事は何の意味もないではないか、従而それを拝むなどといふ事は迷信以外の何物でもないと決めてゐたのである。其の頃私は哲学に趣味を持ち、当時流行してゐたドイツの哲学者オイケンの説に共鳴したが、その中に斯ういう事がある。

元来人間は何かを拝まなければゐられないという本能がある。野蛮人は木か石で何かの形を造り、それを立てて拝んで満足してゐる。文明人はそれの高等なるもので、偉人などの死後その霊を偶像化して拝む。其の際供物を供え、華などを上げるが、それは必ず拝者の方に向けられる。神に捧ぐるものなら神の方へ向かせるべきではないか、そうしないのは全く自己満足の為でしかないというのである。というやうな訳で私は極端な無神論者であった。当時の私を省みる時、今日恐ろしい気がする位である。故に今日無神論者の話を聞いてもよく判り得るのである。そうしてゐる中に私は運命の大転換をせざるを得なくなった。それは事業の大失敗と時を同じうして、 妻の死である。永年に渉り粒々辛苦(リュウリュウシンク)して作った財産も失ひ、反って大きな負債を負う事になり、悲観のドン底に陥ったが、そのような時に誰しも辿るのは信仰への道で、苦しい時の神頼みである。私も同様信仰を求めざるを得なくなり、種々の宗教を漁ってみたが余り魅力を感ずるものはなかったが、中で独り当時流行の大本教に魅力を感じたので遂に入信し、漸次熱心な信者となった。然し乍ら私の疑ひ深い性格は全身全霊を打込むまでには到らなかったが、無神論だけはどうやら解消した。確かに神は此の世に在るといふ事を知ったからである。その事は次項に譲るが、当時私の生活は奇蹟の連続であった。疑えば疑ふ程その疑ひを解かざるを得ない奇蹟が現はれる。どう考へても理屈では解らない。神は在るといふ訳で、一人の頑迷なる無神論者も、神の前に頭を下げざるを得なくなったが、そればかりではない、私の現世に生れた大使命を、或る形式によってマザマザと知らされた。愈々私も大決心をしなければならな い。それは一切を放擲(ホウテキ)し、信仰、否人類救済の大聖業に邁進しなければならないといふ事で今日に及んだのである。

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