無神迷信(栄光134号 昭和26年12月12日)

 最近新聞紙上を賑わしているものに、公務員の汚職問題がある。しかも御承知の如く次から次への続出で、殆んど底知れぬ観がある。之によって想像してみると官界方面は何処どこ彼処かしこも腐敗し切っており、恰度ちょうど第三期梅毒患者のように、何処を圧しても膿汁が出るのと何等変りはない。恐らく今迄に斯んなに迄腐敗した事は聞かなかった。そこで当局も何とかせねばならぬと、対策に腐心しているようだが、それとても知れた事で、例の如く官紀粛正の一途あるのみであろうが、之も致し方がないとしても、之等も一時的手段で、根本には触れていない以上、いずれは再び同様な問題が起るのは知れ切った話である。

 そうしてこの問題に関連して、近頃やかましく言われているものにの社用族の暗躍がある。彼等はそれぞれの役人を料理屋、待合等に招待しては、ウンと饗応し骨抜きにしてしまって、旨い金儲けをするのだそうだが、之等に要する費用も莫大な額に上るであろう。言う迄もなくそれらの金も物価や税金に掛けられて、其負担は国民が負うのであるから、考えれば国民こそいいつらの皮である。この様な訳でこの問題は一日も早く、徹底的に解決しなければならないが、遺憾ながら当局も有識者も、其根本原因が分っていないから、どうしようもないのが実状である。そこで私は之について、必ず解決出来る方法を教えたいと思うのである。

 まず何よりも理屈に合わない事は、この問題を起す処の連中は、残らずと言いたい程、高等教育又は相当の教育を受けた者ばかりであるから、教育と犯罪とは余り関係がない事になろう。処が世間一般は高等教育を受けた程の人間なら、犯罪を冒すような馬鹿な事はする筈がないと信じ切っている。それが今日の社会通念であろう。成程智識人に限って、暴力的犯罪は行わないから、そう思えるのも無理はないが事実は暴力を揮わないだけの話で、それに代るに智能的に行うのであるから、結果に於ては寧ろ深刻さがある訳で、而も彼等社会的地位ある人間であるから、一般に与える其影響も少なくないであろう。では何故智識人でありながら、彼等は其様な忌わしい犯罪を冒すかというと、其処には重大な理由があるので、私はまずこの点にメスを入れてみよう。

 其根本理由というのは、彼等の心理に一大欠陥がある事である。それはどんな不正な事でも巧妙にやり、人の眼にさえ触れなければ旨く済んで了うという唯物観念である。処が意外にも予想もしない処などかられて了うので、大いに驚くと共に首をひねるであろうが、其場合の彼等の心境を想像してみると、んな処であろう。俺はアンナに巧くやったんだが、遂々れて了った、俺だって法律上の事位相当知っているから、間違っても法の網に引っ掛かるような間抜けな事はしてないつもりだがそれが斯んな結果になるとはどうも分らない、しかし出来た事は仕方ないから、成可なるべく速かに軽くなるようにすると共に、し今度再び役人になった節は、もっと巧くってやろうと思うのが其殆んどであろう。中には殊勝な公務員もあるだろうが、そういう人は今度のような汚職事件を起したのは全く間違っていた、俺が悪かった、この上は潔く罪に服し、之を契機として立派な人間に更生しようと決心するであろうが、成程一時はそう思っても日の経つに従い、其決心は段々緩んで了い、元の木阿弥となるであろう。というのは其原因が何れも無神論者であるからである。

 ではこの問題を根本から解決するにはどうすればいいかと言うと、言わずと知れた信仰である。信仰によって神の実在を認識させる事である。それ以外効果ある方法は、絶対あり得ない事を断言するのである。それというのは彼等の犯罪心理は前述の如く、この世に神仏などは絶対ないと信じ切っており、この地球の上は空気だけで、外には何にもありはしないという、至極単純な観念である。処が、吾々の方は眼には見えないが、神は必ず在ると言うと、それは迷信に囚われているからだと決めて了うのである。処が真に実在しているから実在していると言ってもそう思われない処に、恐るべき無神迷信が伏在しているのである。とすれば実に憐れむべき彼等であって、この考え方が犯罪心理の温床となっているのであるから、この迷信を打破する事こそ、問題解決の鍵である事は余りにも明白である。では何故彼等は其様な迷信に陥っているかというと、言う迄もなく子供の時から唯物教育を散々叩き込まれた結果、唯物主義至上の迷信に囚われているからで、この啓蒙こそ吾々の仕事である。つまり彼等の再教育であって、事実之によってのみ犯罪を犯さない人間が作られるのであるから、為政者も智識人もこの事に目醒めない限り、他の如何なる方法も一時的膏薬張りに過ぎないのである。つまり人の眼は誤魔化し得ても、神の眼は誤魔化し得ないという只其一点だけを、彼等のはらの底へ叩き込む事である。

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