御垂示録2号 昭和二十六年九月一日 ※邪神の方で一番恐いのは神様

 《お伺い》 「美術館の事で御座いますが、今日の御論文で、美術館が出来上つたら完成になると言う事で御座いました。何時か、其資金には今度山から金が出ると言うので考えさせて頂きましたが、もし山から出させて頂きますと・・・我々は普段、そう言う御奉仕をさせて戴く他に、何によつて御魂磨きと申しますか・・・磨かせて頂けると考えて居りますが、其方法がなくなるので御座います。そう言う事で御奉仕をさせて頂くのが、一番だと考えて居りますが」

《御垂示》  山から出ますよ。直き出ると思つているだろうが・・・必ず出ますよ。やつぱり、色んな準備や何かで、相当かかる。やはり熱海の時と思います。ここじやない。ここは僅かで建築が出来ますから。

《お伺い》 「天国の型の時に本物が出る筈がないと思いまして」

《御垂示》 本物と言うのは世界全体です。だから、世界に型をこしらえるだけで百億の金が要る。世界の型ですよ。

《お伺い》 「やはり、出来上りますには、悪魔の方で困るので・・・どうにもならない様になるので、色んな妨害があると思いますが」

《御垂示》 そりやあります。それがなければ今頃は日本一の宗教になつているからね。悪魔の方では大変な事だからね。

《お伺い》「今日の御論文を拝聴させて戴きまして、あれをお聴きして分からん奴はと思いますが・・・」

 《御垂示》そうだな、つまり邪神の方で一番恐いのは神様の方だからね。どうしても神様はないと言う無神論を植え付けるのが一番の目的なんです。そこで、無神論と言うものを人類に・・・一生懸命に植え付ける為に二千年もかかつているんです。つまり物質ですね。病気を治せると言う処を見せ様と思つたんです。それで一生懸命に・・・ユダヤは学者が多かつたからね・・・やつて来て、未だにそれに瞞まされている。その奥には邪神の親玉が居る。物質で治そう・・・病気を解決しようと、それ一方で進んで来たのが医学ですからね。だから屁みたいな事を、発見したと言つている。ついこの間、癌の原因を発見したとか、なんとか出ていたが、原因を発見しなくてもいいんで、治して貰えばいいんです。原因を発見してから治すと言うのですが、治ればいいんです。処が、原因を発見したと言つて喜こんでいるが、一つの遊戯に過ぎない。驚きますね。あんな事をして無駄な金を使つて、ありもしない頭を使つて死んでいくんですね。それだけのものですね。

《お伺い》 「少し分りかけましたら大変で御座います」

 《御垂示》 大変です。肝腎な・・・力のないもので、一生懸命解決しなければならないと言うのが、今の文明ですね。それを教える仕事です。色々な法律を作るとか、一家が一生懸命やつて・・・今もラジオの街頭録音で、現代の世相と言うのは・・・世相が悪いと文句を言つている。親子心中だとか、家庭争議だとか、瞞まし合うとかね。政府の政治が悪いとか、教育が悪いとか、金が無いからとか、色んな事言つているが、宗教と言う事を言つた奴は一人も無い。一人、トルーマンもマツカーサーもキリスト教信者だと言つたが、もう少し言うかと思つたら、それでお終いだからね。それだけ、宗教と言うものは世の中から認められなくなつた。何故かと言うと、力がないからです。出来たては力があつたが、段々無力になつた。そこで信用がなくなつたから、結局忘れられていつた。だから我々は、宗教が信用をされる様にするのです。宗教の信用・・・信じさせると言うのは奇蹟なんです。奇蹟がなくて理窟だけだつたら、道徳や教育と同じで、奇蹟のある処に、理窟や教えで及ばないものがある。それが奇蹟だから、奇蹟即宗教だ。最初は多少あつたが、今日ではなくなつたから、宗教の使命がなくなつたと言う訳で、それが長く続いたので、奇蹟がないのが宗教で、あるのは迷信邪教となつた。凡そあべこべになつた。

      キリスト教の方は、二千年経つてキリストが再臨すると言うが、この方が現実的です。仏教の方は謎みたいに書いてあるが、そうしないと本当はいけない点もあるんです。仏教の中で弘法大師は良い方です。極楽の方ですからね。少しは地獄の方に行つたかも知れませんが、早く上がつた。親鸞だとか、日蓮だとかは地獄に行つている。

 《お伺い》「高野山にあれだけのお寺を作つたと言うのは、政治的にも偉らかつたのですね」

 《御垂示》  偉らかつたんです。奇蹟なら奇蹟を、お互いに話し合うといい。体験のない人はないからね。役員でなくて、会なら会で信者の人を集めてやつても良い。奇蹟と言えば、数カ月前に鉛の山を買つた。非常に鉱石が良い。段々調べてみると、そこの山から砥石が出るんです。砥石の採集を長い間やつていたんですね。それで、抗道が四十カ所ある。大抵二、三十間はある。それを掘っているとちよいちよい鉛がある。処が法律では砥石の許可を得ていると、他の物は採集出来ない。鉛なら鉛の許可を得ていると、他の物は掘れない。然し、四十カ所あれば、必ず鉱石のある処があるに違いない。その中に段々調べて見る。それが今迄分からず、つい四、五日前に分つた。非常な奇蹟ですね。非常に良いものです。だから見付かりさへすれば素晴らしいです。それには、色んな施設が要るんです。機械もです。鑿岩機や精練機や電機具類もです。ああ言う山というものは、必ず大きなものがある。鉱脈も大体見当ついている。色んな機械が相当かかります。今は進歩しているのでね。分けたりする薬だとか・・・大変なものです。それに対する金も日数も相当かかります。

      もう仏教は駄目ですね。二、三日前に鎌倉の長谷観音で、こつちを観音教と思つていたのでしよう。長谷観音を引受けて呉れと言うんです。御本尊は高さ三丈三寸かで、大きな観音さんがありますね。それで、こつちはメシヤ教になつて観音様には縁が薄くなつたから、と言つて断つた。

 《お伺い》 「そんなに大きく作るのは・・・観音さんとしては、あんまり大きくしてはいけないのでしようか」

 《御垂示》 いけないんです。阿彌陀さんは、どんなに大きくしても良いが、観音様は上等に小いさくするんです。

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