御教え *負けるが勝ち(御教え集4号 昭和26年11月5日③)

【御教え】昨夜、福井県の方の信者で、相当古いらしい信者なんですが、何でもそこに来る、やっぱり信者らしいんですが、最近龍神が憑って、色々邪魔したりするとみえ、浄霊すると、龍神だか何だか知らないが――精神病的に暴れたんじゃないかと思いますが、それを十五人の人間が抑えつけて、無理に腕力でやったとみえて、怪我したらしいのです。

 それはそれとして、「憑っている龍神と今闘っている。だからそれを屈服させるべく御守護願いたい」と、頼んで来た。運転手の米谷君から私に手紙の依頼をして来たんです。それで米谷に、こう言う風にしろと教えてやった。これはあり得る事で、心得て置かなければならない。それは「先は――暴れた人間に憑いた龍神は邪神だ。これをやっつけなければならないと思った。私の神力で――お力でやっつけて貰いたいと言う意味なんですが、それは逆で、あなた方皆んな――十何人かの信者皆んなに邪神が憑っている。暴れると言う龍神は、神様なんだ。手紙には、どうしても勝たなければならないと言う事を書いてあるが、勝たなければならないと思う気持ちは、それは邪神なんです。だから、あっちに行ったら、負けなさいと言え」と言った。負ければ、先が良い気持ちになる。負かそうとするから、先が怒って来る。負かそうと言う気持ちそのものが、全然メシヤ教ではない。昔から言う通り、負けるが勝です。負けなければならない。勝とうとする気持ちが、全然メシヤ教の気持ちとはあべこべになっている。それは、行者か何かがやる事です。よしんば邪神でも、負ければ良い。

 しかし、私は悪に負けてはいけないと言う事を言いますが、悪に負けないと言う事と、邪神に負けないと言う事は違うんですよ。それで私は話したんですが、善とか悪とか言う事は、その道理ですね。理屈にはずれている事は、悪ですから負けてはいけない。邪神と言うのはそうではない。ただ、邪魔すると言うんだから、そう言う邪魔する人間は、無抵抗にして収めて了えば良いんだから、そんな善悪なんて考える事は勿体ないから、相手によっては――事情によっては、負ける方が良いんですよ。第一、日本の戦争が、日本が負ける気になったから、あれで収まった。降参したからね。もし降参しないで、未だやっていたら、未だ未だ何んな犠牲をはらったか分からない。実は降参の仕方が遅かった。もっと、半年も早く降参していたら何んなに良かったか分からない。負けるが勝ですね。フィリィピンを攻めた時、マッカーサーが逃げたですね。その時私は、マッカーサーと言うのは偉い人だと褒めましたがね。と言うのは、マッカーサーは逃げるから偉い。日本の軍隊は逃げないからいけない。戦(いくさ)は逃げれば勝つんです。徳川家康は逃げ逃げ天下を取った。一旦負けても、あとを勝てば良い。私は今迄も、最初は負けろと言うんです。で、何時かは勝ちますね。最初から勝とうとするからいけない。

 この人達は信仰が間違っているから、神様がこの人達をいじめたんです。警察問題になって、今調べられてますが、これは邪神が信者に憑ったんです。そうして、懲りさせたんですね――神様がね。だから、結局龍神の方に神様が、反って憑った。そう言う訳です。

 なおもう一つは、霊憑りは、不断から言う通り、霊憑りはやってはいけないんです。ただ、ある場合に祖霊や何かが出て、警告を与えると言うのは良いんですが、霊憑りを全然いけないと言うのではないが、それを心得て置かなければならない。しかし、霊憑りは面白いので、皆んなやりたがるんですよ。それで、いかなる場合にも常識的に考えれば分かるんですね。もしか、精神病なんかにしろ、暴れたりすると、それこそ病院に入れちゃうと良い。なぜなれば、それでないと教えに瑕(きず)をつけますからね。その為に普通の――他の人の浄霊ができなくなるし、手間をとって他の患者の邪魔になるからね。ですから結果においてマイナスになる訳ですね。だから、そう言う場合には臨機応変に処して、暴れたりする事のない様にすると良い。こっちの御神業の邪魔する場合には、しかるべき処置をとると良い。今の話は、目茶苦茶に――浄霊一方でやろうと言うのだが――もしも――憑っている精神病者の霊は、浄霊でやっても、そう言う浄霊は、よほどこっちの霊力がないと抑える事はできにくい。普通なら浄霊でも治りますが、よほど強いのがありますから、そう言うのは、こっちで適当に処置をとる。そう言った判断が、その人の智慧証覚ですからね。ですから、そう言う点も大いに勉強する。それには私の書いた本をできるだけ読むと良い。ちゃんと書いてありますからね。読み方が足りないと判断を間違えるんですね。ですから、そう言う事も、良く言ってやりましたがね。

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