今回も、新潟に単身赴任していた時の話です。仮にその青年をO君としておきますが、彼の一家をMOA会員に導いたのは、前回の話に出てきたKさんがお導きした人でした。その方が退会したために、Kさんが導き親のようにお世話していました。
20数年間のブランクのある私に、チーフ(昔でいう県本部長)や前任者は、丁寧な引継ぎをしてくれました。その中で、O君母子については、関わらないようにという忠告がありました。その理由をたずねましたが、地区本部からの指示だということでした。さらに詳しく聞くと、霊憑りでときどき変な声を張り上げて、信者さん方が怖がっているということでした。それで、Kさんも関わらないようにしているということでした。
初めのうちは、新潟センターに寝泊まりして、三条センターに通っていました。しばらくは、顔と名前と道を覚えるのが先決で、分院さんのネットワーク会合への参加を主に活動していました。
初めてO君母子と会ったのは、一ヶ月くらい経って、私がたまたまセンターに居る時でした。事務員の女性Tさん(彼女も分院)が、「あの人がOさんです。」と教えてくれました。私は、一階の事務所で様子を伺っていましたが、参拝を終えて、Oさん(母親)がトイレの掃除をしようとした時に、事務員のTさんが「ちょっとOさん、トイレの掃除は、ちゃんと奉仕する人がいるので、その人の御用を取らないでくれますか。」と言ったのです。私は、気の毒になって、帰ろうとするO君母子に声を掛けて、二階のスタッフ室(所長室)に案内しました。
余談ですが、私が赴任した当時のスタッフ室は、物置になっていて、足の踏み場もない状態でした。立派な部屋があるのに、勿体ないと思って、その日の御用が終わってから数日かけて、スタッフ室の隣にある物置部屋を整理して、また、廊下のデッドスペースをうまく利用して、テーブルなどの備品を収納して、信者さんとの面談ができるスタッフ室に改良していました。
私は先ず、Oさん母子に、「イヤな思いさせて申し訳ない。」とお詫びをしました。それから、いろいろと話を伺いました。最初は、一家三人でMOA会員になったようですが、どうも宗教遍歴癖があるようで、退会して昔の離脱教団である某宗教団体に入信したとのことです。その宗教に入信してからおかしくなって、O君は仕事もできなくなって、ご主人は間もなく亡くなったということでした。
私は、一通り話を聞いた上で、今後のことについて話をしました。先ずは、一度訪問させてほしいということ。いつ行けるか、その時点では約束できないので、電話番号を交換しました。それから、センターに来るのは、出来るだけ控えてほしいとお願いしました。何故なら、信者さん方が怖がっていること。また、Oさん方も嫌な思いをしてまで来る必要はないということです。但し、センターでの行事や会合の無い夜の時間帯で、私が対応できる状況であれば、センターでご浄霊をさせていただくという約束をしました。私が、身振り手振りで話していると、O君は顔を背けたり、身体をねじるような仕草をしていました。「どうしたんですか。」と聞くと、「先生が、手を上げたりすると、光が飛んでくるので、避けていました。」ということでした。私は、O君の眼光の鋭さからして龍神だろうと察しがつきました。
Oさん母子が帰ってから、事務員のTさんから、「スタッフ、これからどうされるんですか。地区から関わるなと言われている人ですよ。」と言われました。私は、「助けを求めてきている人に、手を差し伸べるのが宗教家だと思っています。私一人で対応しますので、皆さんにはご迷惑はかけませんし、もし何かあっても、全責任は私が負いますので、心配しないでください。」と返答しました。私は、この状況を見て、これが救いの機関の実態なのかと、何ともやるせない悲しい気持ちになりました。
しかし、O君母子にご浄霊をお取り次ぎする機会は、さほど多くなく月に3~4回くらい、つまり週一程度でした。これでは、なかなか改善されないのは当たり前です。もっと徹底する必要があると思って、新潟からの通いをやめてセンターで寝泊まりするようにしました。但し、センターには風呂もシャワー設備もなく、事務員のTさんが気を利かしてくれて、向かいの旅館の風呂を使わせていただけるように交渉してくれました。有難く思って、使わせていただいていましたが、一回500円は単身赴任の身にはさすがに厳しく、そのうちに台所の瞬間湯沸し器で髪を洗い、身体を拭いてしのぐようにしました。風呂に入れたのは新潟に戻った際の月に3~4回程度でした。
O君は精神科医にも通って、薬を服用していました。私が、センターで寝泊まりするようになってから、ご浄霊の回数はグンと増えました。センターでは勿論、自宅を訪問してお取り次ぎをさせていただきました。少なくても週に3回程度、多い週だと毎日取り組ませていただきました。そのかたわら、老人施設に入居していたHさんのご浄霊も、定期的に取り組んでいました。Hさんは、昔でいう布教員で相当に御用をされた方のようですが、今では何かの霊に取り憑かれているようで、獅子舞の獅子のように歯をカチカチ鳴らしていました。私は、Hさんに関するさまざまな情報を聞き取って、今まで経験したことのない生霊だと思いました。Hさんのことは省略しますが、この地域は、まだまだ霊的な浄化者が多くて、救い甲斐のあるところだと思っていました。O君の家を訪問する時は、大抵Hさんのご浄霊を終えてからでした。午後の時もあれば、夜の時もありましたが、とにかく徹底することが大切だと思っていました。そのような日常が、何か月も続きました。
ある夜、O君母子がセンターにきて、ご浄霊を取り次いでいると、チーフが突然やってきて、面談したい人がいるので応接間を使ってもいいかなと言ってきました。私は、「どうぞ、使ってください。」と言って、ご浄霊を継続しましたが、しばらくしてO君が突然「ウォー、ウォー」みたいな大きな声を張り上げました。私は、「何なんだ、お前は。救ってあげようと思ってご浄霊をしているのに、他人の迷惑も考えないのであれば、今後一切、ご浄霊を止めるけど、それでいいのか。」と、O君に取り憑いている霊を、厳しく叱りつけました。そのあと、ウーウーという小さな声を発しながら、身体を蛇のようにくねらせていましたが、静かにしていました。
その後も、センターでご浄霊を取り次いだり、自宅を訪問して取り次いだりという日々が長い期間続きました。あるとき私は、薬の服用を止めて、ご浄霊一本でいくことを勧めました。また、その頃は少しづつ改善の兆しが見えてもいたので、本人も了解するとともに、導き親でもあるKさんにも協力をお願いしました。もともとKさんは、何とかしてあげたいという愛情の強い人でしたが、地区や県からの指示では、手を出す訳にもいかず、祈りに徹してくれていました。それから、私とKさんとの二人三脚で、救いのご神業が展開されました。
実は、O君だけでなく、OさんもO君ほどはきつくはなかったのですが、霊憑りでした。二人とも、他宗教に入信した際に取り憑いた龍神が、表面に浮いたり鎮まったりという日常を過ごしていたように思います。川上がきれいにならずに川下がきれいになる道理はなく、母親へのご浄霊が大事だと思って、先ずお母さんをご浄霊してから、O君のご浄霊に取り組みました。この場合は、いくらKさんでも、バケツに水を張って鎮めるという訳にはいかず、ご浄霊を徹底する以外にはありませんでした。
その内に、Oさんの状態が相当改善されてきたと思ったので、チーフに対して、「二人一辺にということは無理ならば、OさんだけでもMOA会員になることを、地区に進言してもらえませんか。それによって、母親が施術できるようになれば、O君の状態も更に良くなると思います。一度、面談して確認してもらえませんか。」とお願いしました。
チーフは、間を置かずに面談の機会をつくってくれて、地区に対して、母親だけでも会員になることを許可してほしいと進言してくれました。地区から、関わらないようにという指示が出ていた霊憑りの母子に、救われて行く道が開かれました。そして、OさんはMOA会員になることが許され、O君に施術(ご浄霊)することができるようになりました。勿論、Kさんも献身てきな取り組みをされたと思います。私は、その後まもなく、本部に異動することになり、詳細は知りませんが、Kさんから連絡がありました。「O君も、その後MOA会員になって、今は大分改善されて仕事にも行けるようになりました。今度の参拝日に、Oさん母子も箱根に参拝に行くということなので、是非お会いしたいとのことです。どこに行ったら会えますか?」ということでした。
何という嬉しい知らせでしょうか。たしか地上天国祭の時だったと思いますが、箱根でKさんとOさん母子とお会いすることができました。O君は、あの眼光鋭いO君ではありませんでした。Oさんも人相が違っていました。私は、人相観ではないので、顔の表情が違っていましたという方があっているかも知れません。とにかく、嬉しさ爆発の瞬間でした。その時、嬉しさの余り、いつか本寺小路(三条の有名な飲み屋街)で呑もうと言ってました。彼は、是非お願いしますということでしたが、私が退職して、半年か一年後くらいのときに、その何気ない一言が現実のものとなりました。その時は、全国の一之宮参りをご神業として取り組んでいた時でした。弥彦神社や佐渡の一之宮も参拝しましたが、その折に、私とKさんと、Oさん母子の4人で、約束どおり本寺小路のお店で食事をして、おいしいお酒を飲むことができました。本当に、有難いひと時を過ごすことができました。
今回の事例は、けっこう難しい事例だったと思います。龍神といってもどんな龍神が憑いていたのかさっぱり分かりません。恐らく、木龍とか水龍というのではなくて、恨みの想念が龍神化して憑いたのかも知れません。その意味では、Oさん母子に、特に母親のOさんに縁のある霊だったのかも知れません。ただ言えることは、某離脱教団に入信してからおかしくなったということですから、どの宗教と関わりを持つかは、慎重にしなければいけないと思わされる事例だったと思います。
恐らく、浄霊をして降霊させる宗教団体だと思いますが、その際に、霊を戻すことができなくなって、Oさん一家の三人に霊が棲みつくようになったのだと思います。救世教も昔は、霊作法といって降霊していたようですが、浄霊力の弱い人だと霊を帰せなくなるので、明主様が霊作法を禁じたということを、母親から聞いたことがありました。
また、地区の指示に従っていつづけたならば、Oさん母子はいつまでも救われることがなかったのではないかということです。その意味では、宗教とは何か。救いの機関とは何かを考えさせられる事例でもありました。そしてまた、宗教者としての資質が問われる事例でもありました。私は、時として、組織の指示命令に背いてでも、目の前の救いを求めている人に対して、全身全霊で救いの手を差し伸べるのが、宗教者ではないかと思っています。それが、宗教者としてのミッションではないでしょうか。組織の指示に従うことがミッションだと勘違いしている専従者が、余りに多いのではないかと嘆いています。
また、これは後日談ですが、審神者師的な役目のKさんが、特殊的な霊媒体質の女性を伴ってO君宅を訪問した時の話です。その霊媒体質の女性が言うには、O君の霊憑りの原因はお母さんにあるということでした。それは、過去世において、つまり前世か前々世において、母親であるOさんがある人を水に沈めて殺したことがあって、その殺された霊が、恨みを晴らすべく、Oさんを苦しめるために、息子に罹ってOさんに生き地獄を味あわせているということでした。そして、水に沈められた時の状況が、O君の喉を鳴らす音になっているということでした。お母さんの方に原因があると思ったのは正解だったかも知れませんが、その原因が過去世にあったとは想像もつきませんでした。喉を鳴らしていたのも、身体をくねらせていたのも、水没させられたときのもがき苦しんでいた状況だったのでしょう。その恨みの想念が、龍神と化していたのかも知れません。不思議な怖い話です。
by Mr.Right
【体験談Mr.Right】№13 龍神に取り憑かれて、仕事もできなかった青年
