【御教え】*話術/霊憑り/お任せする(御教え集4号昭和26年11月15日⑤)

霊憑り

【御教え】霊憑りと言うのは、私は始終注意していますが、最初は非常に興味があるものでね。私なんかも最初は随分やりましたがね。結局、これは弊害があるんですね。私は霊憑りをやって懲りた事がある。それから、やらなくなった。それは、ある青年ですが――大本時代ですが、その男は――店に使っていた――その時分は商人でしたから、店で使っていた店員なんです。それが、大本教で熱心になり、それで――大本教は鎮魂帰神ちんこんきしんと言って、こう言うかっこうで、指の先から霊を出す。浄霊と同じ意味ですがね。それをやっている内に、色んな霊が憑る様になった。憑ると面白いから随分やった。そのうちに遂々精神病になって、鉄道線路に行って轢かれて死んじゃった。それで、私は神憑りと言うのは、危険なものだ。すべきでない、と。それで、私はめちゃった。そう言う事が、あと一、二件――頭のおかしくなったのがありましたが、それは治りましたがね。そんな訳だから、霊憑りと言うのは、よほど危険なものですね。処が良い場合もある。それで私は、霊的研究を段々していくうちに、良い――悪い、色んな事が解って来ましたから、それで、良いのと悪いのとの区別が判る様な知識ですね。霊的知識――それを得られれば、そう危険はないんですが、それ迄には相当な修業と経験が要るんですよ。ですから、一般には非常に難かしいのと、それから霊界が昔と違って来ているので、今はそんな事をしなくても、人を救う事ができるんですから、全然霊憑りに触れないで、霊憑りはいけないものだと、決めてやるのが一番安全であると共に、霊憑りに触れる人はやっぱり発展しないんです。神様が嫌うんです。だから、霊憑りに重きを置かない人は発展するんですね。本当のやり方です。この間も書いた通り、バラモンから出たものですからね。現在、西洋で霊憑りを使ってやりますが、これは科学的なものだから大した事はないが、日本の行者とか、日蓮宗とか、精神病が出るんですね。本当のものじゃないからね。そう言う意味をくわしく書いて、新聞か雑誌に出そうと思っているが、これは、今の神憑りに対する根本的の事と、それから大体知って置くべきだけの事を書いてありますからね。

(御論文「霊憑りについて」のあとの御教え)
 これについて、書き足りない点があるんですがね。霊視能力と言うのがありますね。人間は――霊の見える人ですね。始終見える人は狐が憑いているんですね。だから危ないですね。肝腎な事を正守護神が知らせ様とする場合に、ちょっと――パツと見せるんですね。これは本当です。それから、光が見えるのがあるが、これは差し支えない。よく、人間の姿ですね――そう言うのが見えるのは――始終見えてはいけないですね。必要な時にちょっと見える。それで、神様は――本当の神様は実に簡単なものです。無駄がないんですね。ですから、人間も本当に信仰が徹底して来ると、そう言う風になるべきものですね。それは、他愛ない――普通はいくら喋っても、面白くても、唸っても良いですが、肝腎な事は、急所々々に触れる。それが神様のやり方です。よく――女に多いですが、のべつまくなくベラベラ喋るのがありますが、これは狐が喋るんです。何を喋ったか解らない様な――それがよくありますがね。まくし立てて、人に喋らせないですね。話でも、人に話させない様にするのは狐霊と思って良い。話は聞かなければならないですね。だから昔から「話上手に聞き上手」と言うのがありますからね。しかし、聞くだけで――感心したり、解ったなと思うと、案外解らない。そこで、一番良いのは、人の話を良く聞いて、隙ができたら、こっちの話をする。それからもう一つ受け答えですね。受け答えが満足にできる人は、外国人には案外多いですが、日本人には割合ないですね。受け答え――返事が急所をはずれる人が多いです。聞こうと思う処にぶつからないで――それは聞き手のまずい場合もありますが――私なんか、何か聞いたり話したりしても、それに対する受け答えが満足な事は滅多にないですね。それで、その人が頭が良いか悪いか一番分りますね。男には割合多いが――女の方にはまことに申し訳ないが――非常に少ない。

話術

 それから、話術――術ではないが、話したり聞いたりする処置ですね。これは大いに勉強しなければならない。と言うのは、ですね。間が非常に肝腎な事です。先方で――話なら話を聞く事がありますが、中には間髪を入れずに聞く事があるし、それから順々と言う事があるし、その――一つの調子ですね。まあ、芸術みたいなものですね。これは大いに勉強するんですね。何処迄も簡単明瞭に言う。それから、急所を掴むんですね。ですから、相手の様子ですね。興が乗って、耳をそばだてて来るか、あるいは大して――先が聞きたくない――興が乗らない時はしてしまう。それで、趣味とか聞きたい事を洞察してしまう。こう言う煩悶があると言うのだから、こう言う解答をする。この人には、こう言う喋り方なら解るだろうとか、インテリならインテリ――普通人なら普通にと、立て別けなければならない。これは、大変な芸術なんです。そこで、環境、空気、一人対一人、二、三人と話す時に、多勢に言う場合、土地の習慣あるいは、一つの色がありますね。九州の地方の人と北海道の人は違いますね。九州は、昔から古い人がいて――中々、九州魂と言うのがありますからね。

 それから、北海道と言うのは、移民ですからね。移民と言うのはおかしいが、地つきの人と言うのが少ない。地つきと言うのはアイヌですが、皆んなこっちから渡った人ですからね。そう言う人は、色がありますからね。東北の人、上方の人、江戸っ子――皆んな違いますからね。それに対する、色んな言い方――やり方がある訳だからね。そうなると難かしくなるが、そんなに難かしく考えなくても――そんなのがある訳ですね。

神様にお任せする

 それから、物事を難かしく考えてもいけないし、単純に考えてもいけないですね。どうしてかと言うと、考え過ぎて結果が悪い事があるんですね。だから、できるだけ単純にですね。私なんかも難かしくなる事があるが、極く単純に考える。そうして、あとは神様に任せるんですね。だから始終気が楽です。人間は、気が楽だと良い考えが浮かぶんです。気が楽でないと、良い考えが浮かぶ余地がないんです。ですから、始終頭の中を空っぽにして置くと、良い考えが浮び易いです。

 それから、良い考えと言うのは、正守護神がヒントを与えるんです。神様は、人間に直接と言う事はない。正守護神に知らせて、それから来る。処が、頭に一杯あると、知らせても――アンテナが、働きが悪いんです。だから、良い考えが浮ばない。と言うのは、そう言う訳ですね。これは、一種のインスピレーシヨンみたいなものですが――始終、ゆったりした気持ちでね。処が、色々な心配事や、気にかかる事があると、そうはいかない。処が、やり様によって、そうではない。私は、昔はよく気になる事が、色々あると、他の事は頭に入らない。処が、段々信仰に入って、そう言う事は、神様にお任せしてしまうと言うと、忘れちゃう。これは、そう言う癖をつけちゃうんです。一種の修業ですね、よく他の人が、色々な心配事を言うが、私は笑っているので、びっくりしてしまう。普通の人では、それができませんよ。それについて書いてある。

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