邪神の特色、真を行うには、言葉と言霊について『教えの光』(4、浄霊および信仰上の問題)昭和二十六年五月二十日

 邪神の特色  

      【お伺】邪神はことさら正神らしく見せかけるように思われますが、いかがでしょうか。

    【御垂示】これは無論そうであって、最初から邪神と判られては人間のほうで警戒するから、邪神の目的は立たぬ。どこまでも正神と見せかけて間違ったこと、悪いことを、善いこと、正しいことのように思わせるものである。邪神はいわば人間界の詐欺師のようなものである。これを認識しないと邪神の術中に陥るのであるから、よほどはっきりとした眼識をもたねばならぬ。

      私の『信仰雑話』を書いたのも、一つはそういうものにしっかりした判別力を植えつけるためでもあるから、どうしてもこれによって智慧証覚を磨かねばならぬ。従って邪神の言動は立派に見えても必ずどこかに欠点のあるもので、容易に見破り得るのであるが、人間はその判断がつかぬため他愛なく騙されるのである。例えば共産主義のごとき、これは自己の階級だけを愛し、他を打倒しようとする間違ったものであるが、主義者はこれこそ大衆を救う唯一のものであり、絶対の真理だと信じてやっている。それだけにまた非常に強いところがある。

      また社会主義のごときもそうで、これが本当のやり方で、これによって社会は救われると信じきっている。この主義によると、愚者も、智者も、恵者も、偉人も平等に取り扱おうとする。そこに不公平がある。大自然を見てもいっさいにおのずから階級がある。偉人とか智者は、社会からそれ相当の地位を与えられ、優遇さるべきが本当であって、それによって社会の秩序が保たれる。また社会主義は人間の競争心をなくそうとするが、これは、文化の進歩を阻害する事になる。競争心があるんで進歩発展するのである。次に資本主義もはなはだ間違っている。これは、金力をもって大衆の幸福を蹂躪(じゅうりん)することになるからである。どうしても全体が幸福を得るという、全体幸福主義というような新しい思想が生まれなくてはならない。そこまで文化が向上することを念願として進むべきである。

  真を行うには  

       【お伺】真を行なうにはいかがいたしたらよいでしょう。

    【御垂示】自分のことを第二にし他人を良くするのが誠である。すなわち人良かれの精神。利他的精神である。世の中とか社会のためになることを行なうことである。真とは嘘の反対で本当のことである。しかしながらただ正直のみでも困る。智慧が働かなくてはいけない。常識的判断がよい。自分の国家とか階級だけ良くするのは善いように見えて真ではない。それは小さい真であるから、突きつめれば真でなくなってしまう。どうしても人類愛を本として判断しなくてはならない。

  言葉と言霊について 

        【お伺】言葉と言霊について。

        (一)こちらの発する言葉が相手を益する場合には嘘、怒り、泣き言の相槌などの言葉を発してもよろしいのでしょうか。

        (二)神様からご覧になった場合の良否は判らなくても、自己の所信を表現する場合の言霊はどうなりましょうか。

        (三)お世辞の言葉、虚勢を張るための言葉、あるいは自己を卑下する言葉はいかがなものでしょうか。

        (四)言葉は簡潔なほうがよろしいと存じますが、時と場合により空気をやわらげるために、雑談、冗談などを言う場合の言霊はどのようなものでしょうか。

    【御垂示】(一)嘘はいけないがやむを得ない嘘もある。また昔から天下国家のために怒るのは善いが、個人的の怒りはいけないとしている。怒りを行動にうつすことは勿論いけない。そうかといって怒りを抑えて精神病になる人もある。怒り、嘘もすべて臨機応変である。嘘にも善悪があって、いい嘘はよい。よく入信しないと救われぬというような嘘はいけない。神様のことはどこまでも真実でなくてはいけない。目的のために手段を選ばぬということは非常に悪い。泣き言に対する相槌はうたなければならない。慰めるわけだからで、しかしそれには限度がある。早く泣き言を打ちきるよう知慧を働かせるべきだ。

    (二)神様のご覧になった場合といっても程度問題である。誠のあるほどいい智慧が出る。たいていは誠の心をもって、常識的に考えれば善悪はたいてい判る。ただ大乗と小乗は逆の場合があるから注意すべきだ。戒律宗教は小乗で、戒律によって悪いことを防ぐのは本当ではない。戒律がなくても悪いことをしないのが本当である。要するにこれも臨機応変である。

    (三)これも程度問題で表面だけじゃかえって不快を与える。相手に快感を与える程度にするのが原則である。よくしゃべるのが下手で、信者ができないと言う人があるが、話がうまくて信者ができるものなら講釈師でも頼んだほうがよい。むしろしゃべるのが下手な人に多く信者ができる。私は常に思うがユスリなどは実に話がうまい。それで効を奏するから、ますます弁舌が発達する。嘘が進歩する。誠の人はどうしても実行的で話は下手である。虚勢は嫌味である。人間はアク抜けなくてはならない。自己を卑下するのは下座の行である程度はよいが、卑下しすぎることはあまり感心出来ない。

    (四)冗談もうまいのは大いによい。場面をやわらげる。人間は人を笑わすくらいに話術がうまくならなくてはならない。事務的なことは無論簡潔がよい。

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