本教と大道主義 (自観叢書第十二篇 自観説話集 昭和25年1月30日)

今日世の中を見ると、ヤレ左翼だとか、ヤレ右翼だとか、否俺の方は左派でも右派でもない、中道だとか言って騒いでいるが、どうも或限られたる主義や思想を飽迄固持し、それを貫こうとする結果、どうしても摩擦が生じ易い。尤(もっと)も中には摩擦や争いを目的とするものもないではないが、これはまた別の話である。

 終戦後、国民の目標は言うまでもなく民主主義であるが、民主主義とは勿論、最大多数の最大幸福を目的とするものである以上、自己の主義や思想を飽迄固執するとすれば、争を捲き起し、最大多数の幸福処か、反対に最大多数の最大不幸を招く事になる。

 これは私が言うばかりではない、事実今日の世相をみれば、遺憾なく表われている。彼の政党を見てもそうである。一党内に何々派などと主義主張を異(こと)にしたもの同志が、常にカクシツ(確執)してをり、ややもすれば分裂解体などの危険すら絶えない事実で、何でも自己の主義主張に合わないものは、忽ち敵と見たがる。出来たばかりの内閣をすら倒そうと計画するかと思えば、僅か二、三カ月経たばかりの内閣に対し、野(や)に居た時の政策の実行を督促し、空手形呼ばわりをする。このような訳で、日本の内閣は頻々と代わって席の暖まる暇もない。この点フランスとよく似ている。彼の英国の労働党内閣が、最初一年位経た頃は意外に成績が悪かった。日本ならば囂々(ごうごう)たる非難の声が揚がるべきに、流石英国民の寛容さは、アトリー氏に委任して、静まり返っていたのを、吾等は不思議に思った位である。

 又アメリカを見てもそうである。同国大統領が任期四年であるからこそ、思い切った政策が行えるのである。彼の第二次世界戦争に当って勝利を得、戦後と雖も綽々(しゃくしゃく)たる余裕を以て、欧洲も東亜も救済せんとする偉観は、全くルーズヴェルト氏が四回の当選によって、十六年の歳月を閲(けみ)し、思いきった施策を行い、宜しきを得た事によるのである。

 曩(さき)に述べた如き日本の現状は、全く狭い島国根性が抜け切れない為であるから、何よりも日本人全体がこの際大いに寛容の精神を涵養(かんよう)すべきで、之が当面の喫緊事であろう。

 宗教の目標は、争いのない社会を作るとすれば、何よりも、自己独善から他を排斥する狭量を改めなければならないのである。この意味に於て、本教の如きも、右にも、左にも偏らず、中道にもこだわらず、凡(あら)ゆる主義主張総てを包含し、一切をコントロールした世界思想ともいうべき高い大理想を掲げて進まんとするものである。吾等はこれを名づけて大道主義というのである。

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