栄光

悪は何故暴露するか (栄光136号昭和26年12月26) 

悪は人には知れなく共、自分だけは知っているのだから、この点が問題である。何故かというとどんな事でも、人間の肚にあるものは何でも彼んでも、手に取るように分る或恐ろしい処がある。其恐ろしい処とは一体何処どこかというと、之が霊界にあって現界でいえば検察庁のような処で、所謂閻魔いわゆるえんまの庁である
栄光

無神迷信(栄光134号 昭和26年12月12日)

人の眼は誤魔化し得ても、神の眼は誤魔化し得ないという只其一点だけを、彼等の肚はらの底へ叩き込む事である。
第十二篇「自観説話集」

善人よ強くなれ (自観叢書第十二篇 自観説話集 昭和25年1月30日)

まず善人が団結し連盟を作るのである。名称は悪徳排除連盟とでも言ったらよかろう。こういう案を私は提唱するのだが、之こそ社会改善に対する最も有効手段と思うからである。
栄光

悪人は病人なり(栄光 百三十一号 昭和二十六年十一月二十一日)

此標題を見たら、誰しも首を捻るであろう。何故なれば、悪人でも、健康そうに見える者も沢山あるからで、寧ろ悪人の方がそういう人間が多い位だ。然し之は表面から見るからで、内容即ち霊の方は立派な病人なのである。というのはいつもいう通り、悪人というものは悪霊が憑依して、本守護神を押込め、正守護神を蹴ッ飛ばして、早くいえば其人の霊の大部分を占領して了い、悪霊自身が主人公になり済まし勝手気儘に振舞うからである
信仰雑話

悪の追放 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日)

総ゆる問題も、成功不成功も善悪の量に因る事で、此意味に於て為政者も、教育者も、知識人も、世を挙げて悪を減滅する事に専念すべきで、それ以外に良法のない事を私は断言して憚らないのである。
文明の創造

『文明の創造』総篇  悪の発生と病 (文創 昭和二十七年)

前項の如く悪の九分九厘に対して、善の一厘が現はれ、絶対神力を揮って既成文化を是正すると共に、新文化を打ち樹てる。早くいえば掌を反えすのである。之が今後に於ける神の経綸の骨子であって、其破天荒的企図は想像に絶するといってよかろう。
文明の創造

総篇 天国建設の順序と悪の追放( 文明の創造 昭和二十七年)

抑々、此世界を天国化するに就ては、一つの根本条件がある。それは何かといふと、現在大部分の人類が心中深く蔵(かく)されてゐる悪の追放である。それに就て不可解な事には、一般人の常識からいっても悪を不可とし、悪に触れる事を避けるのは勿論、倫理、道徳等を作って悪を戒め、教育も之を主眼としてをり、宗教に於ても善を勧め、悪を排斥してゐる