御教え集4号

*神様を冒瀆する事になる(御教え集4号昭和26年11月11日①)

無理は決していけないですね。無理に押しつけたりするのは、なぜいけないかと言うと、神様を冒涜する事になる。神様は――人間が、どうかお助け下さいと言うのが、本当
第十二篇「自観説話集」

神秘の扉は開かれたり (自観叢書第十二篇 自観説話集 昭和25年1月30日)

見真実の境地に入ってみれば、過現未に渉って一切が明かに知り得る。勿論過去の一切の誤りは浮び上って来ると共に、未来の世界も其時の人間の在り方も、判然と見通し得るのである
御垂示録3号

*医者がメシヤ教を発展させている 御垂示録3号昭和26年10月5日⑩

浄化されてるんですね――邪神の為にね。以前にぱっといったのは、花が咲くんですからね。ああ言う風にはいきませんよ――実が成るんですからね。堅実に着々といきます。何しろ、神様のやり口は深いんだからね。
御垂示録3号

*三千世界の大芝居 御垂示録3号昭和26年10月5日⑨

神様は深いんだから、人間の目で良いとか悪いとか分かる様では――そんな神様ではね。何んな悪い奴でも、何んな馬鹿な奴でもその時は必要があって使われるんです。たいてい、時が経つと分かります。
東方の光

人は神の子にしてまた罪の子なり (東方の光九号 昭和十一年一月一日)

凡ての物に表裏のある如く、人は神の子であって、また罪の子である
御教え集

御教え集1号 昭和二十六年八月十八日 *神様( 昭和二十六年九月二十日)

「宗教篇」と言うのは神様をかいてある。こんな事は今迄やった人はないですからね。今迄の人は神様と言うと、頭から怖がって、罰があたるとか言って——恐怖心がありますからやりませんでしたが、これを大いにやろうと言うのは、神様を科学的にかいたんです。
教えの光

明神、天王、天神、七福神について『教えの光』(1.宗教、科学、哲学、芸術の問題 ) 昭和二十六年五月二十日

明神—最初は偉い神様などにつけていたが、それがだんだんでたらめになった。こういうことが世の乱れる元になる。下の位の者が、上の位の神の名を犯したりしている。それが人間界へ移って位の上の人が下へ落ちたり、下の人が僭上(せんじょう)の位置になったりいろいろ乱れた。
信仰雑話

プロテスタントとカトリック (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日)

私はキリスト教に就て少しく話したい事がある。それはプロテスタントの無教会主義と、カトリックの教会主義との意見の相違である
信仰雑話

見神に就て (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日)

実は私は最初「神じゃ」と言はれた時に、前々から神にも贋(ニセ)神があ るといふ事を聞いてゐたので、警戒してゐたが−−右の話によって贋神ではなく真正の神様である事を知ったのである。其後それが国常立尊という神様で
信仰雑話

神は在るか (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日)

私は三十二三歳の頃までは極端な無神論者で、神社の前を通っても決して礼拝をした事がない。その理由は斯うである。