岡田茂吉 人間の賢愚 (信仰雑話 昭和二十四年二月五日) | 岡田茂吉を学ぶ

人間の賢愚 (信仰雑話 昭和二十四年二月五日)

 人間生れながらにして腎愚があるのは如何なる訳であろうか。之に就て解説してみよう。それに就て前以て知らなければならない事は、人間は一度は必ず死ぬが、死とは何ぞやという事であるが、死とは実に老癈したり、大負傷したり、病気の為衰弱したりして、その肉体が使用に堪えなくなった為に、霊魂はその肉体を捨てゝそうして霊界へ往き、数年、数十年、数百年に渉って浄化作用が行われる。それは現界に於ける生存中に、如何なる者と雖も相当の罪穢を犯し、それが溜ってゐるので、恰度長く清掃をしない家や衣服と同様であって、浄化された霊から再生する訳は前項に述べた通りであり、勿論人間の霊には再生が多いが、新生の霊もある。この新生の霊は霊界に於ける生殖作用によるので、これは現界の生殖作用と異なり神秘極まるようである。斯の如く再生の霊と新生の霊とがあり、新生の霊は人間としての経験が乏しい為、どうしても幼稚であるに対し、再生霊に到っては、人間としての経験を積んでゐる為賢い訳であるから、再生の度数の多いほど賢く、偉大なる人物は最も古い霊魂という訳である。

次に転生というのがある。之は仏教に輪廻転生という言葉があるが、此事である。之は人間が生存中に犯した罪が重い場合、畜生に生れる。即ち狐、狸、猫、犬、蛇、蛙、鳥等が重なるもので、多くの種類がある。何故畜生道へ堕ちるかというと、生前の想念と行が人間以下に堕落し、畜生同様になったからである。斯ういう事をいうと、現代人は兎角信じ難いであろうが、私は二十数年に渉り、無数の経験によって動かすべからざる断定を得たのである。

その中で二、三の実例を書いてみよう。

(一) 某家に長年飼われてゐる可成大きな犬があった。家人曰く「此犬は不思議な犬で、座敷に居て決して地面へ降りようとしない、使用人が呼んでも行かない。凡て家族の者でなくては言う事を聞かないばかりか、絹布の座蒲団でなくては座らないし、座敷も一番良いのを好み、食事も贅沢好みで、人間と同じでなくては気に入らないのです。之はどういう訳でせう」と質くので、私は−−「此犬はあなたの家の祖先が畜生道へ堕ち、犬に生れたのです。従而貴女方を自分より下に見てをり、自分は家長の気持で居るのです」と答えたので納得がいった。

(二) 六十歳位の老婆、狐霊が二、三十匹憑依し、それが豆粒大の大きさで身体中に居り、特に腋下に多く居た。私はその豆粒へ指の先から霊射をすると非常に苦しむ。其際老婆の口から「痛い、いたい苦しい、助けてくれ。今出る、出るから堪忍してくれ」というような事を喚(ワメ)くと共に豆粒は順々に消え去るが、数時間経つと復集ってくる。之は如何なる訳かというと、その老婆は前生に於て女郎屋の主人であって、其時傭った多くの女郎が畜生道に堕ち、狐霊となって、復讐せんと、老婆を苦しめてゐるのである。或時は「老婆の生命を奪(ト)る」と狐霊が囁き、心臓部の下を非常に痛めたり、或時は食事半ばにして食道を締めつけ、飯を通らなくしたり、或時は一日位尿を止める等、種々の悪戯をするが、其都度私は霊射し治癒させたのである。

(三)以前私は、宗教が当局から圧迫された時代、やむを得ず民間治療を行った事があった。其際衣服を脱がせて患部を治療したのである。其頃腰部から腹へかけて蛇の鱗の如き斑点があり、赤色或は薄黒色の人を度々見た事がある。之は蛇が人間に転生したので、その鱗の形が残存してゐる訳である。

 又色盲という病気は動物霊の転生であって、その動物の特異質が残存してゐる為である。凡て動物の眼は物体が単色に見えるもので、恰度動物の音声が一種又は二種位の単音である事と同一である。

 其他多数の実例があるけれど略すが、凡て転生の場合、残存せる動物霊の性能が多分にあるものである。そうして動物に人語を解するのと解せないのとがあるが、人語を解せないのは純粋の動物である。猫や蛇を殺したりすると祟るというが、之は人間が転落し再生した動物であるからで、そうでないのは祟るような事はない。よく田舎などで青大将が旧くからゐるが、之は祖先が蛇となってその家を守護してゐるので、斯ういう蛇を殺すと必ず祟って、次々に死人が出来たり、甚だしきは家が断絶する事さえある。それは折角守護してゐた祖霊を殺した為、非常に立腹するからである。そうして人間性の中執着が蛇霊となり、偽りを好み人を騙したりする結果は狐霊となるのである。一旦畜生道へ堕ちて転生しても、その一代はあまり幸福ではない。特に女性の独身者の多くはそれである。

 今一つ面白い事がある。旅行の時など特に親しみのある場所があるが、それは前生に於てその附近に居住又は滞在した事のある為である。又他人であって親子兄弟よりも親しめる人がある。それ等も前世に於て親子、兄弟、主従、親友等であったからで、因縁とは此事を指して言ったものである。それと反対にどうしても親しめなかったり、不快を感ずる人は、前世に於て仲が悪かったり苦しめられたりした為である。又古の偉人英雄や武将等で、特に崇拝する人物があるが、之等も前世に於て自分が臣下や部下であった為である。又熱烈な恋愛に陥る男女の場合、之は前世に於て、相愛しながら恋愛が成立しなかった男女が偶々今生に於て相知り、其時の執着が強く霊魂に沁み付いてゐる為で、目的を達した喜びの余り夢中となるのであるが、之等は当人自身でも不可解と想う程情熱が燃え上るものである。又男女共独身を通す者があるが、之は前生に於て男女関係が原因で、刑罰や災害等により生命を奪われる際、悔恨の情に禁(タ)えず、男女関係に恐怖を抱いた為に外ならないのである。

 其他水を恐れたり、高所を怖れたり、人混みを恐れたり、又は或種の獣類、虫類等を怖れたりする人は、右の原因による死の為である。以前斯ういう例があった。その人は人の居ない場所を悚(オソ)れ、一人も居なくなると恐怖に我慢が出来ず往来へ飛出し、家人の帰宅する迄家に入らないのである。之は前生に於て急病等の為、人を呼びたくも誰も居らず、其儘死んで了った為で、其霊が再生したからである。

タイトルとURLをコピーしました