御講話

教えの光

既成宗教の救い『教えの光』(1.宗教、科学、哲学、芸術の問題 ) 昭和二十六年五月二十日

【御垂示】ぜんぜん救われなかったのでなく、救われ方が微弱であった。というのは過去の宗教には力が薄かったからで、それは夜の世界のためであった。夜は月の光だからである。しかし暗(やみ)の中にいる人間が月光に浴したのでありがたいと思っていた。ところが今度の私の救いは太陽の光で、太陽は月の六十倍の力がある。そのくらいの違いがあると思ってよい。いままでの教えは月の光だからはっきりしない。今度の『信仰雑話』ははっきりしている。これを読んでも判るように、ごくわずかの言葉で浩瀚(こうかん)な経文と同じことが判る。だからいままでは霊界へ行っても寂光(じゃっこう)の浄土に救われた。寂光とは月の光である。太陽の光なら陽光(ようこう)である。
教えの光

大宗教の予言について『教えの光』(1.宗教、科学、哲学、芸術の問題 ) 昭和二十六年五月二十日

私も世の終わりとか最後の審判とか書いているが、これは『聖書』によったまでである。こういうことははっきり時期が判っても言えない。言わないところに価値がある。例えば人間の寿命が判ったら働かないことになる。私は予言しないようにしている。誤解されやすいからである
教えの光

音楽奏者の働き、世界平和、宗教教育『教えの光』(1.宗教、科学、哲学、芸術の問題 ) 昭和二十六年五月二十日

会主義は実に不公平な政治であり、共産主義はピラミツドを逆さに立てたのと同様である。資本主義は福助(ふくすけ)政治で頭だけ大きくて、身体や足がやせている。すべて片寄った主義は全部駄目でいまに理想的なものがで
教えの光

芸術の極致 『教えの光』(1.宗教、科学、哲学、芸術の問題 ) 昭和二十六年五月二十日

芸術の極致は自然のままを描写するのでなく、人格を通して真善美を表現するのである。西洋でも印象派以前は写真のように克明に画いた。これは本当の芸術ではなかった。ところが日本の光琳の画がフランスへ行った。光琳の画は無線で、単純なもので、これを見たフランス人はびっくりした。
教えの光

宗教、芸術、文化の誠『教えの光』(1.宗教、科学、哲学、芸術の問題 ) 昭和二十六年五月二十日

それを人類が利用する場合それがため社会が良くなり、人類の発明や発見を利用して人殺しや世の中を悪化させるのは誠の文化ではない。かように人間の使いようによって文化は善(よ)くも悪くもなるのである。
教えの光

脳波、現在の哲学『教えの光』(1.宗教、科学、哲学、芸術の問題 )昭和二十六年五月二十日

霊が放射する。それが脳波であって特に頭だけ出るのではない。全身から放射するのだが頭からが一番余計に出る。
教えの光

宗教と科学、原子力、霊子『教えの光』(1、宗教、科学、哲学、芸術の問題 )昭和二十六年五月二十日 

科学で説明のできない宗教は本当のものではなく、同時に宗教で説明できない科学も本当のものではない。
教えの光

悪と苦の存在 『教えの光』(1.宗教、科学、哲学、芸術の問題 )昭和二十六年五月二十日

邪念や言葉の罪などは、朝夕神仏を礼拝することによって大方は浄められるが、それのみでは本当でない。やはり人を幸福にすることが肝要で、信仰は拝むのみでは本当に救われぬ。まず多くの人に喜びを与えなくてはならぬ。 
教えの光

真 理 『教えの光』 (1.宗教、科学、哲学、芸術の問題)昭和二十六年五月二十日

があって善の活動を妨げたり苦しめたりすることによって善の力を強め、その進歩を促進せしめたのである。以上は大乗的な説き方であって、ある程度の覚りを開いた人に説くのは差し支えないが、小乗的な人にはその真意は解し難く、誤解を招く懼(おそ)れがある
教えの光

『教 え の 光』「 序 文」 昭和二十六年五月二十日

平易簡明透徹の御開示は高い神智、輝く珠玉の一齣々々である。 賢愚老幼の別なく、何人といえども一読大覚を得て天地開明の喜びに浸り、三界の真理は 髣髴として把握せしめらるるを疑わぬ
教えの光

特別御面会 昭和二六年七月八日 午後一時三十分より約二時間 (於)神山荘 上の間 ※その3

毒血が排除されるのであるから結構で、霊が物質化したのが浄血であるから、御浄霊を受けると、汚い血が出され、きれいな血が増えてゆくのである。
教えの光

特別御面会 昭和二六年七月八日 午後一時三〇分より約二時間 (於)神山荘 上の間 ※その2

これは釈尊が、毎年一回日を決めて、地獄にいる霊を、子孫の家に還らしてくださるのである。
教えの光

特別御面会 昭和二六年七月八日 午後一時三〇分より約二時間 (於)神山荘 上の間 ※その1

霊視能力は憑霊のためで、そのほとんどは狐霊である。狐が憑ると霊が見えたり、声が聞こえるのである。精神病者は右の能力が顕著である。ゆえに普通人がそうなることは危険である
御教え集

名古屋市金山体育館 昭和二十七年十月十八日御講話 御教え集15号 ※「東方の光というのは私の事なのです。」

その東方の光について今日話そうと思って居りますが、東方の光というのは私の事なのです
教えの光

『妙智之光』地上天国十六号 (2) 昭和二十五年八月十五日

【答】無論時期を待つのがよい。決して無理に判らそうとしたり、本人の自由意志を押えつけたりしてはいけない。信仰は或程度霊の曇りが除れぬと入れぬものである。   浄霊は、特に先方から頼まぬ以上決してすべきではない。
御教え集

御教え集8号 昭和二十七年三月十六日 ※神仙郷建設 (昭和二十七年四月二十日発行)

今度は、ケーブルの向う側に広い地所が買つてありますから、本山の準備をしなければならない。一万坪あるんです。又馬鹿に良い処で、強羅の丁度中央で、山がホーロクを伏せた様に旨くいつて、後の方が杉林になつている。それは、不思議な程良い具合になつてます
御教え集

御教え集23号 昭和二十八年六月十六日 ※結核(昭和二十八年七月十五日)

結核について話しますが、何時か浄霊は一週間に一回くらいという事を言った事がありますが、だんだん浄化が強くなるから、その方針を変えなければなりません。というのはこれからは浄霊は幾度やってもよいのです。その代りこういうやり方をしなければならないのです。一番主にする所は肩です。
大経綸

御教え集23号 昭和二十八年六月十六日※世界にミロクの世が生まれた (昭和二十八年七月十五日)

昭和六年六月十五日に房州の日本寺が始まりですが、あの時は霊界の奥の方、最奥霊界が黎明になったのです。今度は現界の霊界に日が出たのが一昨々年の私が庵原警察の留置所の中で、日が出たと言えばおかしいですが、非常に神秘があったのです。
御垂示録2号 

※心臓肥大症?、真症癌 御垂示録2号⑤ 昭和二十六年九月一日

《御垂示》 真症癌だね。蛇が二匹か――夫婦だな。ヌラが出るだけ出れば治ります。ヌラは減る処にいつてませんか。
御垂示録2号 

※名前、鉱山御 垂示録2号④ 昭和二十六年九月一日

今日は骨董(コットウ)の話と鉱山の話だつたが、関係はあるからね。
御垂示録2号 

※美術品 御垂示録2号③ 昭和二十六年九月一日

神様がやつてますからね。私が欲しいと思えば、きつと誰かが持つて来る。よく道具屋が、こう言うものは出るものじやないが――と言う。
御垂示録2号 

※邪神の方で一番恐いのは神様 御垂示録2号② 昭和二十六年九月一日

つまり邪神の方で一番恐いのは神様の方だからね。どうしても神様はないと言う無神論を植え付けるのが一番の目的なんです。そこで、無神論と言うものを人類に――一生懸命に植え付ける為に二千年もかかつているんです。つまり物質ですね。病気を治せると言う処を見せ様と思つたんです
御教え集

御教え集33号 昭和二十九年四月七日  ※ヘンデルの「救世主(メサイヤ)」

今読んだ中に“神ならぬ神”という事を言ってますが、これは非常に面白いと思います。実際今まで神と言って拝んでいたのは、実は本当は神ではなかったのです。ですから神ならぬ神というのは、うまく言いまわしたものです
御教え集

御教え集33号 昭和二十九年四月七日※“世界を救う聖者が八人目に出る”

迦が七のミロクになるのです。釈迦は何処までも「七」の数字で支配される人です。だからつまり「地」は「七」ですからして、地のミロクです。私は伊都能売ですから「八」になるのです。伊都能売というのは、数で言うと「五」「三」ですから「八」になるのです。そして「八」という数字は富士山になるわけです。
御教え集

御教え集31号 昭和二十九年二月七日 立春祭

今年の節分について、もう少し詳しく話をしてみます。前にも言った事がありますが、節分というのは、古い時代に国常立尊という神様が世界を支配していたという事になっているのですが、その時分の事だから、世界と言ったところで全部だかどうだか分りませんが、まず日本を中心にして相当広範囲に支配していたに違いないのです。それで神様と言ったところで、やはり人間
御教え集

御教え集15号 昭和二十七年十月七日 ※「アメリカを救う」

アメリカの方で“日本を救う”という本を出したら、之は不思議とは思わないかも知れないが、敗戦国のヒョロヒヨロしている日本の奴が、アメリカを救うなんて生意気な奴だと、無論思うでしようが、こっちは全人類を救うのだから、アメリカだろうがアフリカだろうが、救うべき必要のある所はドシドシ救わなければならないので
御教え集

御教え集1号 昭和二十六年八月二十一日(昭和26年9月20日発行) ※御法難の別の面の救い

私は何もないから――良い弁護士を傭う丈の力があるから思いきつてやる。之も印刷にして、裁判長や検察官に配る積りですが、それは何にも気が咎める事がないから出来る。そうすると、今迄泣寝入りして、罪をつくられた人を助けてやる。それから、日本の裁判の非民主的のやり方を幾分でも良くしなければならないと言う、やはり一つの救いです。救いの別の面のやり方になる。
御垂示録2号 

*理屈は面白くない 御垂示録2号① 昭和二十六年九月一日 (昭和二十六年十月十日発行)

話の前に言いたい事は、「地上天国」や「栄光」に載せる寄書ですね。あれを少し変えて貰いたい。年中同じで、論文ばかりです。面白いかどうかは自分で考えて見ても分る。分り切つた事や真面目な事は、偶に少しは良いが、読む気にならないでしよう。
芸術

御教え集29号 昭和二十八年十二月二十三日 御誕生祭 (御生誕祭) 昭和二十九年一月十五日発行

私は今日で満七十一歳になります。それで今日は皇太子様の御誕生日にもなるので、余程私と因縁があるように思われます。皇太子様は明仁と言って、やはり「明」の字で、私は明主なのですから、これも不思議と思われます。
御垂示録1号 

※愛人、日本画、書、総合芸術、井戸 御垂示録1号 昭和二十六年八月八日⑤

綜合芸術と言うものが之から発達して行く。今迄色んな色を作つたでしよう。今度はその色々な色を混ぜて絵を画く。そう思えば一番分る。
御垂示録

※邪神、八大龍王、稲荷、霊媒 御垂示録1号 昭和二十六年八月八日 ④

ですから八大龍王が家来になつて闘つている。五男三女と言うのは、五柱の男神様と三柱の女神様ですね。その又眷族があり、関係があります。
御垂示録

※病気 御垂示録1号 昭和二十六年八月八日 ③ 

初めての患者はウンとした方が良い。今私が言つたのは、一旦浄化が良くなつて、再浄化と言う場合です。それから肺病と他の病気は違うから、そこのところを間違はない様に。
御垂示録

※先祖供養 御垂示録1号 昭和二十六年八月八日 ② 

真宗と日蓮宗とではいけないですね。大体養家を主にして、実家の方はお客様扱い位で良いです。祭らないよりは良い、祭つた方が功徳になると言う程度です
御垂示録1号 

※御神体・お写真等 御垂示録1号 昭和二十六年八月八日 ①

《御垂示》 御神体です。それから病気とか、色んなお蔭を戴く時は御写真を先にする。やつぱり時期によつてそうするんです。今の時期は光明如来様が御神体として最高としてする。
御垂示録1号 

※幼児,鳥目,胃癌,松,子宮筋腫 御垂示録1号 昭和二十六年八月五日 ④

鳥目には二種類ある。前世で鳥であつたのが生れ変つたものと、鳥の霊が憑依したものとある。鳥の生れ変りは、目だけが未だ鳥の性質が残つているんです。途中から鳥目になつたものの方が治り易い。
御垂示録1号 

※先祖供養、御神体奉斎 御垂示録1号 昭和二十六年八月五日 ③  

天理教でお祭りしなさい。死んでも、霊界ではその宗教の団体に居るんです。それ以前の禅宗の先祖は仏教で祭るんです。或時期になると、霊界も全てメシヤ教になる。
御垂示録1号 

※霊界 御垂示録1号 昭和二十六年八月五日 ②

やはり霊界の邪魔なんです。一時先方が勝つが、段々神様の力が強くなると、こちらが勝つ。ミロクの世迄この戦いは続くんです。
御垂示録1号 

※無肥料栽培 御垂示録1号 昭和二十六年八月五日 ①

肥料は体内に入ると毒素になる。日本の場合は糞小便の肥料が体内に入ると、薬毒程ではないが、やはり毒になる。
御垂示録1号 

*然毒と薬毒、聖地『御垂示録1号』 昭和二十六年八月一日 ③

《御垂示》 然毒は一代位では駄目です。数代ですね。天然痘は、古いのは極くかゆいんです。 新しいのは、かゆいのと痛いのです。
御垂示録1号 

*法は順序、お守り、御神体御垂示録1号 昭和二十六年八月一日②

あなたの個人の方が上になる。そう言う、順序が狂つている。それが、一つの法なんですね。だから、何んでも神様の方を先にしなければならない。主と従が、何んでもある。神様の事は何んでも主にして貰いたい。