芸術の極致 『教えの光』(1.宗教、科学、哲学、芸術の問題 ) 昭和二十六年五月二十日

    【お伺】絵画、彫刻など、人工芸術の極致とは誤らざる自然の描写でありましょうか。また芸術は美の追求であると考えますが、真善を具(そな)えればまったきというべきでしょうか。

【御垂示】芸術の極致は自然のままを描写するのでなく、人格を通して真善美を表現するのである。西洋でも印象派以前は写真のように克明に画いた。これは本当の芸術ではなかった。ところが日本の光琳(こうりん)の画がフランスへ行った。光琳の画は無線で、単純なもので、これを見たフランス人はびっくりした。これは細密に自然描写をするより、単純にしたほうがかえって印象が強いということを発見し、最初アール・ヌーボーという人がこれを図案に応用し、ついに欧洲を風靡した。この影響を受けて後期印象派のごときすばらしい芸術が生まれたのである。フランスでは、『世界を動かせる光琳』という本が出たが、光琳は死後三百年を経て世界の芸術を革命したということは日本の最大の誇りである。私は今に光琳神社を建立したいと思っている。光琳の影響は絵画のみではない。建築にまで革命を齎(もたら)した。単純な線を応用したセセッションのごときもそうである。丸の内の「第一生命」はその代表的な様式である。またあらゆるものの模様が単純化したのもみんな光琳の影響からである。彫刻とても印象派の影響を受けている。昔は細かく滑(なめら)かに作ったのであるが、荒っぽい簡素な彫り方になった。佐藤朝山(ちょうざん)(清蔵)のごときも現在では代表的のものであろう。

      芸術は美の極致を表現すべきものであるが、高い低いはある。最高のものは真も善も具備されている。それは人間の霊の高さによるのである。音楽でも文学でも同様で、これらについてはいずれ詳細に書くつもりである。

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