御講話

大経綸

御光話録(23年12月8日)奥付不明 <一、麻邇(まに)の玉、如意の宝珠 二、胎臓界、金剛界、の意味>

胎臓界は「弥勒胎臓」と言って「弥勒」が未だ出現しない時代の仏教で、夜の世界のことです。金剛界は昼の世界で、金とは太陽の光のことであり、「弥勒下生」後が金剛界になるのです。
ホーム

御光話録 昭和二十三年九月十八日  奥付不明 <東西文化の融合する所が日本>

マッカーサー元帥の書簡の中に「東西文化の融合する所が日本である」とあったがその通りです。皆が附けてゐるバッヂの真中の赤は日本を表しそこで縦と横が合一してゐる形を表してゐるのです。
大経綸

「地上天国の模型」完成 御教え集23号 昭和二十八年六月七日

今度の六月十五日は箱根地上天国の完成記念祭です。ですから此処は、つまり地上天国の模型が出来たわけです。それで地上天国というのはミロクの世ですから、今日ミロクの数字が出るという事はそれに関連した大変な意味になるわけです。
大経綸

御教え集31号  昭和二十九年二月六日  立春祭 

今年の節分は非常に意味があるのです。私としても非常に大きな奇蹟があったのですが、それはまだ言うわけにはゆきませんが、いずれ話をします。この節分という意味は、大本教と非常に関係があるのです。ごく古い、神代というのですが、神代と言っても、空漠(クウバク)たるものでなくて、神格を得た人間が住んで居た時代で、いわばの前の昼間の世界といったようなものです。
御光話録

御光話録 昭和二十三年九月二十八日(キリスト23年8月•9月) 

“メシヤといふのはヘブライ語ですから一寸日本語には解し難い。意味は救世主、救ひ主といふ事です。
ホーム

御光話録 昭和二十三年八月十八日 (信仰の小学校、中学校、大学)

“来月「信仰雑話」を出版するが信仰のない人でも判る様に書いてある。在来の宗教は宗教一点張りで外の事は説かなかったが、私のは千手観音式でいろんなものに手を出すのです
ホーム

御教え集18号 昭和二十八年一月三日⑤(霊界→言霊→物質) 

凡て順序というものは最初は頭の中です。これは霊界に出来るのです。それでこれを、こうしろああしろという言霊に出て、それから本当に物質が現われる、という順序です。それで今は頭の中の霊界では設計が出来てます。それで四月に行って、今度は言霊の設計をやるのです。そこで言霊というものは非常に重要なものです。それは誰がやる事でもそうです
御教え集18号

御教え集18号 昭和二十八年一月三日④ ( 箱根美術館)

去年の夏頃から不思議に浮世絵のいい物が集まってくるのです。それまではそんなに考えなかったのですが、これは神様が浮世絵展覧会をやれという事と分りましたから、そういう計画を立てたのです。それで去年の京都の浮世絵展覧会の品物よりもずっと上の物です。これは今までに例がないでしょう。又不思議にすばらしい物がはいってくるのです。これは道具屋がみんな不思議に思ってます。
ホーム

御教え集18号 昭和二十八年一月三日③ (大芝居)

建設が進むに従って破壊も進んでいくというわけです。ここのところに実に微妙な神様の経綸があるのが分ります。それが分らないで見ると、何がなんだか見当がつきません。つまり芝居なら筋書ですが、それを救世教信者は分っていて見るから、つまり芝居の役者でなく見物人、お客様の方です。
御教え集18号

御教え集18号 昭和28年1月3日 ① (「二十八」の数字)

今年は二十八年ですが、「二十八」というのは数字から言っても大変いいのです。終戦になったのが昭和二十年ですが、この「二十」という数字は今までにも沢山ありましたが、特に良いという事は「昭和」という年号に対して、その文字に対しての二十というのが大変大きな意味になるのです。「昭」というのは日偏に召すという字ですが、この「召す」という事は「しろしめす」という意味になります。「しろしめす」という事は「統治する」という事です
ホーム

御教え集18号 昭和二十八年一月二日② (法難→散花結実) 

丁度覆い被さった黒雲が晴れるという様な気持がします。しかし今度は神様の方から言うとそれが必要だったのです。これは一昨二十五年に散花結実という事を言いましたが、あれで花が散ったわけです。ですから検察庁の役目は、つまり低気圧の役目をしたわけです。
御教え集18号

御教え集18号 昭和二十八年一月三日 ( 昭和二十八年二月十五日)

凡て順序というものは最初は頭の中です。これは霊界に出来るのです。それでこれを、こうしろああしろという言霊に出て、それから本当に物質が現われる、という順序です。それで今は頭の中の霊界では設計が出来てます。それで四月に行って、今度は言霊の設計をやるのです。そこで言霊というものは非常に重要なものです。それは誰がやる事でもそうです。たとえば、ここならここで思いますが、それは霊界にはすぐに出来てしまうのです。
御教え集18号

御教え集18号 昭和二十八年一月二日 (昭和二十八年二月十五日)

富士山を一名昔から「八スの山」と言うのです。「八が統(ス)べる」というわけです。それで「八」は「五三」ですから伊都能売にもなります。そういう様な訳で、これは日本の将来のあり方を表わしているのです。(中略)そういう様でミロクが開けるという、それが二十八年からになります。それで丁度救世教の経綸も凡てそういう形になりつつあります
御教え集18号

御教え集18号 昭和二十八年一月一日 (昭和二十八年二月十五日)

昭和二十八年一月御教え 一月一日 元日は何時でも“今年は大いに意義のある年だ”とか、“発展する年だ”という様な事をよく言いますが、今私が言う“今年はよい年だ”という事は、御座成(オザナ)り的な事でなくて本当に今年は大きな意味があるのです。...
御教え集5号 

御教え*御聖誕祭/美術館 (御教え集5号  昭和26年12月23日①) 

何う言う訳かと言うと、私は昔――若い時分から薬をうんとやつたんです。此――薬毒を知る迄は殆んど薬づけと言つた様な具合だからね。それが相当なんですからね。それで、始終自分で浄霊している為に、年々それが減つていくので、健康を増していくんですね。
ホーム

御光話録 昭和二十三年十月十八日

“言霊学上ア行以下各行の働き、意味につき御教示を御願ひ致します。 “ア行は天、火、霊の働きで、オ行は地の働きです。ウ行は中間。 ア行、基礎音、上の働き、例へばアタマ等。 カ行、物を区切る働き、カ行音の人は几帳面です。 サ行、天狗の音、サ行音...
ホーム

御教え集16号  昭和二十七年十一月六日   

この事は一番肝腎な事でして、之については色んな神秘があります。乾坤山日本寺ですが、日本寺に行った人は分りますが、山の上に石仏が沢山あります。達磨、観音、釈迦、阿彌陀、釈迦の十大弟子から羅漢と、それは仏教に関係した仏様は全部網羅してあります。それで入口には、お釈迦さんが行をした沙羅双樹(サラソウジユ)――樹下石上と言って、石の上で行をされた。それであそこは日本に於ける仏界の型
大経綸

御垂示録15号 昭和二十七年十一月一日 ※エルサレムの開かずの門

将来救世主が現われる、其時にそれを御迎えするという準備です。其為に四つの門を拵えたのです。それで三つの門丈は開けられるが、一つの門丈は“開かずの門”と言って開けられなかった。今でもありますが、それで一番不思議に思う事は“開かずの門”の上に十六の菊が附いている。
ホーム

御教え集30号 昭和二十九年一月三日

今まで浮世絵展覧会というと版画が主で、肉筆は殆んど出さなかったくらいですが、今度は肉筆専門ですから、これも初めての企画です。
ホーム

垂示録13号 昭和二十七年九月一日

大体犬は座敷に上るという事は嘘です。法に外れているのです。犬というのは、土間に居るのですから、土間に置く可きです。然も神様をお祀りしてある処に四足を入れるという事は大変な御無礼です。信者というものは気がゆるんでいるのです。神様に対する尊敬心を忘れているか、ゆる んでいるかしているのです。だから隙があるわけです。
ホーム

御教え集30号 昭和二十九年一月六日

以前はなかなか医学が喧(ヤカマ)しく、政府が言論の自由をなくしていたから、下手にやって酷い目に遭うといけないからと思って、はっきり書かないようにしていた。それがずっと続いて来たので、あまり徹底しなかったのですが、今度、今言ったような訳で書きました
御垂示録30号

*原子爆弾と浄霊 御教え集30号  昭和29年1月3日 

私は原子爆弾は殺人光線、霊の方の火素は活人光線と名をつけたのです。片方は殺す光線で、こっちは生かす光線で、反対なわけです。それが丁度同じ頃に地球上に現われたという事は非常に意味があるわけです
ホーム

御教え集32号 昭和二十九年三月十五日

兎に角日本人というものは美的には実に勝れたものです。私はよく仏像を見る場合に、支那の仏と日本の仏とは、こうも違うかと思うくらいです
ホーム

御教え集32号 昭和二十九年三月十五日

今のは学校の勉強時間のような話ですが、これが本当に分れば何でもないのです。逆の方の教育を受けたために非常に分り難くなっているわけです。つまり救世教というものは高度の科学を教えるわけです。だから宗教ではないと言う

ホーム

御垂示録29号 昭和二十九年三月一日 ※不純水素

“火素の放射によって毒粒子が焼ける。浄霊は物質でないから霊を焼く”とあり、一月三日の御教えに“不純水素というのは、水素中の毒粒子、薬毒が固まったもの”とあり、又他の御論文によりますと“火 素によって全滅し、漿液中に吸収される”とあります。この漿液、毒粒子、不純水素というのは、霊的なものでございましょうか、体的なものでございましょう か
ホーム

御垂示録15号  昭和二十七年十一月一日 

どっちでも良いです。というのは、どっちか余計やる処がありますから、同じという事はない。その方を先にやれば良い。それから額の熱ですが、触ってみて暖かかったら、何処かに浄化があります。それから前(頸部淋巴腺)から触るのです。そうすると一番良く分ります。それから離れてやるのです。
ホーム

御教え集32号 昭和二十九年三月六日  ※薬を徹底的に分析

そういうような工合で、薬と病とは関係ないわけです。薬で病に対し、科学的にどういう理論で治るかという事は全然分らないのです。それは、病気というものが分らないのだから、分らないはずです。ただ飲んでみてちょっと工合が良いから、これは効くのだ、この薬に限るというように思ってしまっているのです
ホーム

御教え集32号 昭和二十九年三月六日

悪い事に趣味が起こらない、それで良い事をするのが面白いという魂になると、それが本当の魂です。ですからウッチャラかしておいても悪い事をしないというので、人が見ているから悪い事をしないというのではいけないわけです。そういう人間を作るのが救世教の本筋なのです。しかし無論いきなりそういう立派な人間になれるわけがないから、教義というものも必要です。しかし根本はもっと上の方にあるのだからして、そこで宗教ではないと言うわけです。