自由主義の本義『教えの光』(2.天文、地文、易学、人事等の問題)昭和二十六年五月二十日

  【お伺】自由主義の本義について。

    【御垂示】自由主義といっても、無軌道な自由主義ではいけない。自由主義には有限自由主義と無限自由主義とがある。無限自由とは、なんでもかんでも自分の自由にするという悪性的のものであり、有限自由は或範囲があって、その枠を越えない事で、之が本当の正しい自由主義である。

      故に無限自由主義によって破滅した人は古来その例に乏しくない。

      そうして自由と運命とはよく似ている。例えば秀吉は日本で関白になるのが運命の限度であった。朝鮮征伐をしたのはその限度を破った事になる。ヒツトラーでもドイツだけ治めていればよかった。ドイツの統治が彼の運命の限度であった。これもその運命を突き破って滅びた。大本教の出口王仁三郎氏のごときも、やはり運命を突き破ろうとしたために失敗したが、それがなければ今は素晴らしいものになっていたであろう。ナポレオンの如きも「吾が辞書に不可能の文字なし」などと自惚の極み大失敗した。徳川家康などはその分をよく知っていたから長く続いたのである。人は自分をよく見極めなくてはならない。人間は調子よくゆくと慢心をする結果、運命を破るのである。日本も軍閥時代は個人の有限自由までも圧迫した。それがアメリカの手により解放された次第である。故に真の自由主義とは、他人の自由を尊重し合う事である。

     

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