戦前御教え

東方の光

人は神の子にしてまた罪の子なり (東方の光九号 昭和十一年一月一日)

凡ての物に表裏のある如く、人は神の子であって、また罪の子である
御講話など

特別講習会御講話 昭和15(1940)年4月2日

この治療の原理を理解するには、森羅万象の活動とか生成化育……そういうことから出発してゆかなくてはならぬ。その根本は霊や霊界のことを認識しなくては分からぬ。ただ目に見えぬので始末が悪いが、説けばそうなくてはならぬことが分かる
御講話など

御講話(昭和二十五年八月一日)「一厘の種」(再掲)

地方的、国家的のものは争いの元になる。最初から世界的考えでなくてはならぬ。凡ゆるものは世界的、大乗的になってゐる。国家的考えはすでに時代的ズレを生ずる。
大光明世界の建設

大光明世界の建設 「宗教と科学」(病貧争絶無の世界を造る観音運動とは何? 昭和十年九月十五日)

大光明世界の建設 「宗教と科学」(病貧争絶無の世界を造る観音運動とは何? 昭和十年九月十五日)
大光明世界の建設

大光明世界の建設 「病気の原因とその解消」(病貧争絶無の世界を造る観音運動とは何? 昭和十年九月十五日)

現在、生きている人間は、自分一個の存在でなくて、祖先の繋りで、祖先の延長である事を知らなくてはならない。また言い換えれば、無数の祖先の総合が、個体たる自分である。無数の祖先の霊線が、自分一個の霊と繋ぎ合っている。
大光明世界の建設

大光明世界の建設 「幸福の家」(病貧争絶無の世界を造る観音運動とは何? 昭和十年九月十五日)

。故に今迄不幸な事があったり、思う様に行かなかったそれ等が、不思議にも反対になって行くそれは悪魔が光りを恐れて退散するからだ。御奉斎して、半年も経てば病人がなくなるという不思議さは、体験者でなくては信じられない事である。今迄、斯んな大きな力を与えてくれる宗教は、断然無かったという事は言える
大光明世界の建設

大光明世界の建設 「支配階級の改心」(病貧争絶無の世界を造る観音運動とは何? 昭和十年九月十五日)

河川の濁るのは、上流の源が濁るからであるのと同一の理である、故に社会の溷濁(こんだく)は、社会全般の指導者たるべき上層階級が浄まらなくては、百年河清を待つとても、駄目である。
大光明世界の建設

大光明世界の建設 「低級宗教」(病貧争絶無の世界を造る観音運動とは何? 昭和十年九月十五日)

現当利益その物は、必ずしも、低級宗教ではないのである。しかしながら実際、低級宗教はあるにはある、しかも、その害毒たるや、恐るべきものであって、寧ろ、その筋の取締りを
大光明世界の建設

大光明世界の建設 「現当利益」(病貧争絶無の世界を造る観音運動とは何? 昭和十年九月十五日)

世に、現当利益が、心から嫌いだという人は、実は一人もあるまい、如(も) し、有るとしたら、その人は狂人である。病気が治るのは、嫌いだという人はあるまい。金が欲しくないと拒絶する人も、一人もあるまい。俺は、不幸が好きで、幸福は 真平(まっぴら)だと逃げる人は、恐らくこの娑婆には、絶対にない事を保証する。
大光明世界の建設

大光明世界の建設 「救主と贖罪主」(病貧争絶無の世界を造る観音運動とは何? 昭和十年九月十五日)

贖罪主とは、罪の贖(あがな)い主(ぬし)である。彼のナザレの聖者イエスが、世界万民の、罪の贖 いの為に、十字架にかかったのは之であった。之こそ、大いなる贖罪主であった、贖罪とは、罪人の代理又は代表者となって主神に対し奉り、罪の赦しを乞うのである
大光明世界の建設

大光明世界の建設 「光の主」(病貧争絶無の世界を造る観音運動とは何? 昭和十年九月十五日)

凡ゆる病気を治し、貧乏を無くし、争いを無くする力、不幸と罪の原因を、はっきりさせて、その原因を取除く力、それは、光りの、力の浄化作用である。日月の光りが、一個の人間の肉体を通して、働きかけるという力とは、実に、空前の事象なのだ。
大光明世界の建設

大光明世界の建設 「観音力」(病貧争絶無の世界を造る観音運動とは何? 昭和十年九月十五日)

真の観音力を揮(ふる)うには、どうしても人間の現身(うつそみ)を、機関としなければならないのである。釈迦も基督も、阿弥陀も、一度は、肉身を以て救世の業をされたように。
大光明世界の建設

大光明世界の建設 「膏薬張の救い」(病貧争絶無の世界を造る観音運動とは何? 昭和十年九月十五日)

凡ゆる罪悪と不幸の原因は何か。それは人間の魂である。其魂を浄化してこそ、社会は良くなるのである。宗教としての使命も、其処(そこ)にある。これこそ他の何者も企及(ききゅう)し難い権威であり、それが宗教の貴い存在意義である。之を他所(よそ)にして、宗教の意義は無いのだ。
大光明世界の建設

大光明世界の建設 「真の救い」(病貧争絶無の世界を造る観音運動とは何? 昭和十年九月十五日)

人間の智慧でやる宗教の最後は、社会事業となって了(しま)う。神の力と、神の智慧で行く宗教は、奇蹟から奇蹟で、本当に世を救ってゆく。
大光明世界の建設

大光明世界の建設 「宗教の使命」(病貧争絶無の世界を造る観音運動とは何? 昭和十年九月十五日)

故に宗教は宗教としての、独自の使命があって、一切衆生の霊体を不幸から永遠に脱却さす事である。教化や道徳や、倫理や哲学では一時的の救いである。無量無辺に、魂を救う事は出来ないのである。
大光明世界の建設

大光明世界の建設 暗中模索(病貧争絶無の世界を造る観音運動とは何? 昭和十年九月十五日)

故に学者も、政治家も、教育家も、商人も農民も、凡ゆる大衆がみて以て、簡明直裁に、天地の真理を把握して、些かの迷いも生じ得ないという経典こそ、真の救世的、大威力を有(も)ったものである。
大光明世界の建設

大光明世界の建設 明の世界(病貧争絶無の世界を造る観音運動とは何? 昭和十年九月十五日)

日と月の文明が、一致結合して茲(ここ)に明の文明が生れる。之が大光明世界である。之が真文明である。この文明を造らんが為めのーー主神の経綸が世界の歴史であったのである。長い長い世界の歴史に意義あらしめて活かすそれが観音運動である。
大光明世界の建設

大光明世界の建設 東京が中心(病貧争絶無の世界を造る観音運動とは何? 昭和十年九月十五日)

西から、いろいろの種類の宗教や文化が東の中心へ集中されたのは、富士山の裾野から頂へ、沢山の人が登って来るような訳であった。求心的であった、そうして、その集ったものを綜合し、コントロールして、完全無欠の文化として、遠心的に、全地球へ向って、放射するのである。
大光明世界の建設

大光明世界の建設 大宗教の発祥地点(病貧争絶無の世界を造る観音運動とは何? 昭和十年九月十五日)

今日迄、数え切れない程の宗教や、救人(すくいびと) が出たが、それ等は尽(ことごと)く、中心地点から外れている。これに因ってみても、観音会は、如何に重大なる使命を以て、生れたかは、想像出来るであろう。
大光明世界の建設

大光明世界の建設 世界統一(病貧争絶無の世界を造る観音運動とは何? 昭和十年九月十五日)

我日本が、将来世界を統治すべき使命のある事は、如何なる点から観ても肯定し得らるるのである
大光明世界の建設

大光明世界の建設 東方の光(病貧争絶無の世界を造る観音運動とは何? 昭和十年九月十五日)

故に、此意味は、一天四海、日月神(じつげつしん)たる、観音の教に帰すると言う事である。即ち、之に由って万教は帰一するという予言である。
大光明世界の建設

大光明世界の建設 三位一体(病貧争絶無の世界を造る観音運動とは何? 昭和十年九月十五日)

東洋の父と西洋の母から生れた子が、即ち日本である。全世界が一大家族となって⦿(ス) の本即ち、日の本によって統一さるる。それが三位一体である。その三位一体が、実現してからの世界が、永遠の平和楽土であり、大光明世界なので、斯事は、天地創成の紀より、神定せられて居たのである。
大光明世界の建設

大光明世界の建設 ミロクの真相 (病貧争絶無の世界を造る観音運動とは何?昭和十年九月十五日)

何の断りもなく、時が来れば、太陽は、東天静かに昇って行く、それは、物質的太陽であるから、誰人(たれびと)も見得るのである、が、霊的太陽は、悲しい哉、眼には視る事が出来ない、然し乍ら、時の力は、世界万民に判らせずにはおかない、誰が否定しようが、遮(さえ)ぎろうが、物質の太陽は大空高く、昇ってゆく如く、霊的太陽の光は日に輝きを増すのである。何と素晴らしい事ではあろう。何千年間の夜が明けると言うのだ。 
大光明世界の建設

大光明世界の建設 三尊の弥陀(病貧争絶無の世界を造る観音運動とは何? 昭和十年九月十五日)

古来、三尊の弥陀と謂い、三弥勒と言い三位一体と言う言葉がある。之は、仏的に謂えば観音、阿弥陀、釈迦の三尊者であって判り易く説明する上に、諸種の事物に当て嵌めて、左の如く、分類してみる。
大光明世界の建設

大光明世界の建設 観世音菩薩の御本体(病貧争絶無の世界を造る観音運動とは何? 昭和十年九月十五日)

 今日迄、観世音菩薩のみは、全く御秘仏とされて、御本体は誰も識らなかったという事は、寔(まこと)に不思議な訳である。随而、多くの仏者は、菩薩の名に迷って、阿弥陀如来や、釈迦如来よりも、下位と思ひ、中には又、阿弥陀が本体であって、観音は阿弥陀の化身などと、途方もない解釈をなし、又、釈迦の脇立であるとさえ説くに到っては、沙汰の限りである。然らば、観世音菩薩の御本体は、如何なる御方かと申すに、実は、畏れ多くも、天照皇大御神の慈悲に依る救世の代現神仏で被在(アラセ) らるるのである。
大光明世界の建設

大光明世界の建設 病貧争絶無の世界 (病貧争絶無の世界を造る観音運動とは何? 昭和十年九月十五日)

病気のない人間、是が先決問題である。如何なる救いと雖も、それより外にありよう筈がない。而して之を実現する力こそ、観音力を措いて外に、絶対にないのである。故に、斯んな素晴しい事業は、釈迦、基督と雖も、夢想だもしなかった事であって、之を信じ得る人こそは、未だ嘗てない幸福者であると言えよう
大光明世界の建設

「大光明世界の建設 序論 」 (病貧争絶無の世界を造る観音運動とは何? 昭和十年九月十五日)

実は、此本を書く位、難しい事はないので、実地を書けば信じられ難いし、信じいい位に書けば、実際とは違って来る、恰度、徳川時代の人間に、飛行機とラジオの説明をするような、否、それよりも、困難であるからだ。
大光明世界の建設

『病貧争絶無の世界を造る観音運動とは何?』 観音運動とその宣言 (昭和十年九月十五日)

  終に臨んで、天下の医学専門家諸士に希望する。それは、観音力が、如何に絶大であり、如何に驚くべき治病力があるかを研究されん事である。私は喜んで材料を提供する。
光明世界

『阿呆文学』 枝葉末節文化  其二 (光明世界創刊号 昭和十年二月四日)

帝国議会で毎年何ケ条の法律は、近頃殆んど適用せぬから廃止すべしという決議が出て段々法の条文が減って行く様になるのが、文化が進んだ証拠と思召して下されば間違いないので御座る。で御座るから法の条文が増える間は悪人が増えるので御座る
光明世界

『阿呆文学』 枝葉末節文化  其一 (光明世界創刊号 昭和十年二月四日)

複雑多岐に渉れば渉る程、真理と言う奴、影も形も見えなくなるんで、御座るから不思議で御座る
東方の光

『阿呆文学』 空々寂々 (東方の光六号 昭和十年六月)

或先生が例えば人間の肉体は此通り実在はしているようだが、真実は空なものであると言われたが、それは真理であろうか?
光明世界

阿呆文学 東西愈々入れ替り (光明世界三号 昭和十年五月二十一日)

東方の、光の本の観音会、東に生れた宗教は、最初であって最後であり、之が唯一の救世教、之から天の日月と、歩調を揃えて東から、西へ西へと照しゆき、日本は愚か唐天竺(からてんじく)、大千世界の果までも、照して救ふ、すばらしい、万教帰一の二度とない。世界救済の大神業、
東方の光

日本医術に依る健康法の提唱(三) (東方の光七号 昭和十年八月十六日)

天地間、森羅万象凡ゆる物の生成化有は陰陽の理に外れるものはない。昼と夜、夏と冬、天と地、火と水、男と女という様な訳であって、食物にも又陰陽があるのである。
東方の光

日本式健康法の提唱(二) 食餌と栄養 (東方の光六号 昭和十年六月)

今日大いに発達せる如くに見ゆる、栄養学が其根本に於て、一大誤謬のあるということは、私は、断言して憚(はばか)らないのである
東方の光

日本式健康法の提唱(一) 一、日本人と白人との相違 (東方の光五号 昭和十年四月八 日)

元来私自身が、稀なる弱体者であったのが、現在稀なる健康者になっている。夫(それ)は今日の西洋式衛生の大誤謬を悟り、日本式衛生を独創実行したるが為であって、夫等の体験を基礎とし、観世音菩薩の霊告を真髄とした健康法を大成し、茲に日本式健康法の名に依って、社会に提唱しようとする
御講話など

丸の内中央亭御講話 昭和16(1941)年9月11日

療術というか、いままでになかったことなんで分かりにくいが、分かってしまえばなんでもないが、分かるまでにはひまもかかるし、骨も折れる。いままで世の中の人が思ってたこと、言ってたこととはだいぶにちがう。ほとんど反対のことが多い。結局、新しい医術というものが生まれたと考えるのが一番いい。
御講話など

江の島片瀬における御講話 昭和16(1941)年7月22日

 なにぶん私の療法は、特に病気についての解釈は前人未発ともいうべく、よほど頭を白紙にしないと判り難い。一般の人は西洋医学で教育されているので、私の話とぜんぜん反対なんで、そのつもりで聞かれたい。今後迷ったり判らなかったりする、それは根本的認識ができていないからである
御講話など

箱根日光殿増築落成祝賀式御講話 昭和26(1951)年6月15日※今年から現界の昼間になる

そんなわけで、今年から現界の昼間になる。今日がその第一歩である。現界が昼間になると種々なことがたいへんに変わる。
岡田先生療病術講義録

その他の疾患『岡田先生療病術講義録』下巻(五)昭和11(1936)年7月

船車の酔 これも一種の病気であって、割合多いのであります。原因としては、胃の周囲に滞溜せる水膿が動揺の為胃中に浸潤し、不快、嘔吐感又は嘔吐をするのであります。
岡田先生療病術講義録

小児病『岡田先生療病術講義録』下巻(五)昭和11(1936)年7月

小児麻痺。この病気の種類は非常に多く、千差万別であって、概略その症状を述べてみましょう。そうして大体、先天的と後天的に分ける事が出来ます。