『阿呆文学』 枝葉末節文化  其二 (光明世界創刊号 昭和十年二月四日)

  帝国議会が開会毎に、法律という七面倒臭い条文が増えて行くんで御座る。此の分で行ったら、昭和五十年頃には、憲法第一万三千八百六十九条の第千七百二十八項等と言う、途轍(とてつ)も御座らぬ条文も出来るであろうと、大して心配もしないが、と、いってそうならぬとも限らないと思うので御座る。

  然し阿呆もそんな先の先迄苦労をすると、伜(せがれ)に笑われるかも知れないので御座る。其処(そこ)で世上のお偉い方々は、法規愈々(いよいよ)密にして文化愈々進めりと思召(おぼしめ)すで御座ろうが、其処へ行くと阿呆の見方はチト違うんで御座る。悪い事をする奴は法網を潜ろうと眼を皿に致して一寸でも隙があれば直ぐに潜るんだから仲々法網という檻の製造も、骨が折れるもので御座る。

  其処で此の潜る奴が増えれば増えるほど、益々条文という網の目も増やさねばならぬ訳なので御座る。年々日比谷で網の目を製造をすると言う事は、此の通り年々悪い奴が増えるので御座るという証拠を、天下に見せて下さるんで御座るから、洵(まこと) に以て御苦労千万で御座る。 茲で又考え好きの阿呆一晩とっくり考えたんで御座る。今日の人間はオギャアと生れ、八つになるか、成らない内に、教育修身という結構至極な悪い奴にならない勉強をオッ始め、それから物心が付く頃になると、道徳宗教と言う責道具を以て、思想善導業者が大童(おおわらわ)になってのお活動、お上(かみ)も無けなしの懐(ふところ)から無理算段してまで、此の思想善導業者をお助けなさる御苦労、並大抵の事では御座らぬ。

  ソコでどう考えたって斯(こ)う考えたって悪い事する奴なんか一匹も出る筈がないと思うんで御座るが、出るんで御座るから、どう考えたって不思議では御座らぬか。そこで阿呆も忙しいのに又一晩、考えたんで御座る。すると頭にピンと来たんで御座る。 何の事、別に不思議は御座らぬ哩(わい)。思想善導業者とは、口で喋舌(しゃべ) る善導業者で、行で見せる善導業者ではなかったんで御座る。坊さんは待合からお寺の本堂へ、酔の醒めた頃を見計らって出掛け、緋の衣を纒(まと)って、有難いお説教をなさり、又、文部大臣とかは何とかの嫌疑で職をお罷(や) めなさり、学校の校長さんや先生は月給以外の丸いものを欲しがったとかで、市ヶ谷の御別荘へ罷(まか)り越し、日比谷に集る偉いお方達は待合と高利貸との首引きや金持の番頭どんなんかで御座る。大抵のお偉いお方達は、口先で一生懸命思想善導をなされ、傍(そば)から行で善導破壊をやって御座るのだから、賽(さい)の河原で石を積んでいるようなもので御座るから、悪い奴はふえるばかりで御座るのも致し方が無い事で御座るという事が判ったんで御座る。

   帝国議会で毎年何ケ条の法律は、近頃殆んど適用せぬから廃止すべしという決議が出て段々法の条文が減って行く様になるのが、文化が進んだ証拠と思召して下されば間違いないので御座る。で御座るから法の条文が増える間は悪人が増えるので御座るから、実以て危ない次第なので御座る。中には悪人勢に捕虜にされた者に肩書のあるお方もあるのだから、此の神州日本も些(いささ)か心細いでは御座らぬか。依て帝国議会で法文の増えるのが続くようなら思想善導業者諸君の方が敗北したので御座るから、いっそ男らしく廃業なされては如何(いかが)で御座る。

若(も) しそうなったら失業善導業者諸君は早速此の阿呆の処へ来なさい。諸君の力だけで、今度は法規減少法を御伝授致すで御座ろう。それ計りでは御座らぬ。そうなれば松岡どんの政党解消もお仕舞になり、本願寺の大谷どんも大腕振ってお帰りになられ、総理大臣どんも弾丸除けの窮屈なチョッキも召さずに済むし、学校の先生様も馘(くび)の心配絶対御無用、警視庁に蜘蛛の巣が張るというような事になるので御座るから痛快至極では御座らぬか。但しチトお気の毒なのは警官の失業者で御座る。之は阿呆が一手に引受けて一生食うに困らぬようにして差上げる心算(つもり)で御座るとは、阿呆もなかなか話せるでは御座らぬか。
                                             (明烏阿保)       

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